カンピドリオ広場(読み)カンピドリオヒロバ(英語表記)Piazza del Campidoglio

デジタル大辞泉 「カンピドリオ広場」の意味・読み・例文・類語

カンピドリオ‐ひろば【カンピドリオ広場】

Piazza del Campidoglio》イタリアの首都ローマにある広場ローマの七丘の一で最も高いカンピドリオの丘に位置する。古代ローマの中心地として最高神ユピテルユノーミネルバ神殿が置かれた。現在の広場は16世紀半ばにミケランジェロ設計で造られた。広場中央にローマ皇帝マルクス=アウレリウス=アントニヌス彫像がある。周囲の建物は、建築家ジローラモ=ライナルディとジャコモ=デッラ=ポルタが、ミケランジェロの死後にその構想を受け継ぎ、16世紀後半から17世紀初頭にかけて建造した。カピトリーノ広場

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カンピドリオ広場」の意味・わかりやすい解説

カンピドリオ広場
かんぴどりおひろば
Piazza del Campidoglio

ローマのカンピドリオの丘にある小広場。ミケランジェロの設計によって有名。この場所には、古代ローマの記録庫(タブラリウム)を中核として、中世に改築された旧元老院とその付属建造物があり、全体として秩序シンメトリーも欠如していた。ミケランジェロは旧元老院前の広場の輪郭梯形(ていけい)(台形)とするために、左右に新たに設計した2棟の建物の間隔が、奥が幅広く手前が狭くなるように配置し、その梯形の枠内に星形を基調としたデザインを組み入れ、中心部にマルクス・アウレリウス帝のブロンズ騎馬像を設置した。また旧元老院の正面には新たに両面階段を取り付け、前面に河神「ナイル」と「テーベレ」の擬人像を左右に配した噴水盤を設け、その上部に女神「ローマ」の彫像を立てた。このように、広場と建物とを調和的に結合させようというミケランジェロの構想(1526)を、その死後16世紀後半から17世紀初頭にかけて実現させたのは、建築家ジローラモ・ライナルディとジャコモ・デッラ・ポルタの2人である。

[濱谷勝也]

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世界の観光地名がわかる事典 「カンピドリオ広場」の解説

カンピドリオひろば【カンピドリオ広場】

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノ(古代ローマ遺跡地区)近く、ローマの7つの丘の一つ、ガンピドリオの丘の頂上にある広場。◇「カピトリーノ(Capitolino)広場」とも呼ばれる。ルネサンス期にミケランジェロが設計した広場で、広場正面にローマ市庁舎があり、その左右にカピトリーノ博物館(美術館)、博物館となっているコンセルヴァトーリ宮殿が、広場中央にはミケランジェロの作品であるマルクス・アウレリウス帝の騎馬像が建っている。ここは古代ローマ時代のローマの中心で、ジュピター神殿をはじめ、25の神殿が取り巻いていた。丘の麓にはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂のあるベネチア広場がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カンピドリオ広場」の意味・わかりやすい解説

カンピドリオ広場
カンピドリオひろば
Piazza del Campidoglio

ローマのカピトリーノの丘にある広場。 1538年頃ミケランジェロによって設計着工され,のちに G.デラ・ポルタによって一部変更されて 90年頃に完成した。広場に通じる幅広い階段を登りつめると,両側にディオスクロイ (ゼウス神の双生児) の彫像が立ち,梯形をなす広場の中央には『マルクス・アウレリウス騎馬像』があり,広場を囲んで正面にパラッツォ・セナトリオ,両側にパラッツォ・ディ・コンセルバトーリおよびカピトリーノ美術館が建っている。

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