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カーボベルデ Cabo Verde

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カーボベルデ
Cabo Verde

正式名称 カーボベルデ共和国 República de Cabo Verde
面積 4033km2
人口 51万9000(2014推計)。
首都 サンチアゴ島プライア

アフリカ大陸北西岸沖にある島国。セネガル西部のベール岬沖合い 600~900kmの大西洋上に散在する 10の島(うち 1島は無人島)といくつかの小島からなる。二つの島群に分けられ,北部のバルラベント諸島(風上諸島)にはサントアンタン島サンビセンテ島,サンタルジア島(無人島),サンニコラウ島,サル島,ボアビスタ島が,南部のソタベント諸島(風下諸島)には,ブラバ島,フォゴ島,サンチアゴ島,マイオ島が含まれる。各島とも火山起源で山がち。最高点はフォゴ島のピコ活火山(2829m)で,1951年にも噴火した。月平均気温は最高の 9月で 26℃。年較差は少ない。植生は湿気の多い北東貿易風や海からの風に面するところに豊かで,海岸低地は乾燥が著しく,砂漠状のところが多い。住民の約 70%がヨーロッパ人とアフリカ人の混血で,カトリック教徒が多い。公用語はポルトガル語,クレオル語は国語。かつてはすべて無人島であったが 15世紀半ばにポルトガル人が来航,カーボベルデ(緑の岬)と命名して植民地とし,1462年サンチアゴ島にヨーロッパ人都市リベイラグランデを建設。その後ヨーロッパ,アフリカ,アメリカ各大陸間の航海の中継補給地,奴隷貿易の基地として繁栄したが,1541年海賊の,1585年と 1592年にイギリスのフランシス・ドレークの襲撃を受け,さらに 1712年のフランス人の攻撃によって都市は壊滅。奴隷貿易の衰退とともに各島も衰退した。1974年のギニアビサオ独立をかちとった指導者の多くの出身地で,解放組織であったギニア・カーボベルデ独立アフリカ党はギニアビサオとの同時独立をポルトガルに要求したが,かなわなかった。しかし独立戦争には発展せず,1975年独立。1990年カーボベルデ独立アフリカ党はマルクス主義を放棄,複数政党制に移行した。経済は農業,漁業と大陸間航路の中継補給地としての港湾サービスを柱とし,コーヒー,バナナ,トウゴマの実,魚,畜産加工品,塩,ポゾラン(セメントの原料の火山岩)などを輸出。ほかに自給用としてトウモロコシ,ジャガイモなどを産する。

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デジタル大辞泉の解説

カーボ‐ベルデ(Cabo Verde)

《ポルトガル語で、緑の岬の意》アフリカ西岸のベルデ岬の西方沖にある共和国。15の島からなるベルデ岬諸島を占め、首都プライアサンティアゴ島にある。コーヒー・サトウキビ・バナナ栽培や水産業が盛ん。ポルトガルの植民地から1975年独立。人口51万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

カーボベルデ

◎正式名称−カーボベルデ共和国Republic of Cabo Verde。◎面積−4033km2。◎人口−49万人(2010)。◎首都−プライアPraia(13万人,2010)。

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大辞林 第三版の解説

カーボベルデ【Cabo Verde】

〔カボベルデとも〕 アフリカ大陸の西方、大西洋にあるベルデ岬諸島からなる共和国。1975年ポルトガルから独立。住民はムラート。首都プライア。面積4千平方キロメートル。人口50万( 2005)。正称、カーボベルデ共和国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カーボベルデ
かーぼべるで
Republic of Cape Verde英語
Repblica de Cabo Verdeポルトガル語

アフリカ大陸西岸沖のベルデ岬諸島を占める共和国。ベルデ岬の西方500キロメートルの大西洋上の15の島からなる。正称はカーボベルデ共和国Repblica de Cabo Verde。面積4033平方キロメートル、人口48万3000(2006推計)、50万6000(2009推計)。人口密度は1平方キロメートル当り125人と比較的高い。国民の大部分はポルトガル人とアフリカ系住民の混血であり、主産業はバナナやサトウキビの栽培と水産業である。1人当り国民総所得(GNI)は3130ドル(2008)。ともに独立闘争を闘ったギニア・ビサウとの国家統合を政策に掲げてきたが実現していない。首都はサン・ティアゴ島のプライアで人口12万3700(2008推計)。[藤井宏志]

自然

ベルデ岬諸島15島のうち人の住む島は9島で、最大の島はサン・ティアゴ島(面積991平方キロメートル、人口23万6352。2000)、最小はブラバ島(面積67平方キロメートル、人口6820。2000)である。北端のサント・アントン島から南端のブラバ島まで、西方に開いた半径150キロメートルの半円形に並び、北半弧の群島をバルラベント群島(北東貿易風の風上の意)、南半弧の群島をソタベント群島(風下)とよぶ。いずれも大陸棚上の火山島で、標高は1000~2000メートルと高く、フォゴ島にあるこの国唯一の活火山は標高2829メートルに達する。気候には、群島を洗いながら南下するカナリア海流(寒流)と、サハラ砂漠からの風が大きな影響を与える。気温は1年を通じて22~30℃と高温ながらしのぎやすいが、年間を通じて下降気流があるため夏季を除いて降水量が少なく(プライアの年降水量270ミリメートル)、干魃(かんばつ)の害の出ることが多い。樹木も少なく植生は貧弱である。[藤井宏志]

歴史

15世紀なかばポルトガルの航海者がヨーロッパ人として初めて到達し、ポルトガル王直轄領となり入植が開始された。奴隷貿易時代にはヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカのそれぞれを結ぶ中継地として栄え、サン・ビセンテ島のミンドロは補給港として知られたが、汽船の時代になると衰退した。また、ポルトガル領ギニアから移入したアフリカ系住民の労働力で綿花、コーヒーなどのプランテーションが開かれた。第二次世界大戦後の1951年ポルトガルの直轄領から海外州となり、政府協議会と立法協議会によって選ばれた知事が統治にあたり、公認政党は国民同盟(UN)だけであった。1956年カーボベルデ出身の農学者アミルカル・カブラルがギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)を結成、圧制と貧困からの脱却を求める民族主義者たちは、これに参加し武装闘争に乗り出した。1974年4月ポルトガル本土の民主化クーデターが成功したのを機に闘争が前進し、カーボベルデでは同年12月のポルトガルとPAIGCの双方からなる暫定政府の樹立を経て、1975年7月5日独立を達成した。初代大統領にはアリスティデス・ペレイラ、首相にはペドロ・ピレスが就任し、PAIGCを唯一の合法政党とする共和国が発足した。独立以来ギニア・ビサウとの国家統合策が進められたが、人種、宗教、思想などの相違があってまとまらず、1980年11月ギニア・ビサウの統合推進派カブラル元首がクーデターで失脚したことにより、統合問題は後退した。また、1981年1月にはギニア・ビサウとの共通支配政党であるPAIGCを、カーボベルデ独自の政党カーボベルデ独立アフリカ党(PAICV)に改組した。[藤井宏志]

政治・経済

1990年代に入り、民主化、市場経済化が図られ、複数政党制を導入し、1991年総選挙で野党の民主運動党(MPD)が圧勝、同党が大統領、首相を出した。議会は一院制で、1995年総選挙ではMPDが72議席中52議席を占めた。しかし2001年1月に行われた総選挙ではPAICVが40議席を獲得し、勝利をおさめた。同年2月の大統領選挙でも、PAICVのピレスが当選した。2006年1月の国民議会選挙でもPAICVが勝利、同年2月の大統領選挙もピレスが勝利し大統領に再選された。憲法の大統領三選禁止に従い、ピレスは2010年に引退することを表明、元大佐アンテロ・マテスがアドバイザーに任命された。外交は非同盟政策で欧米との関係も良好である。軍事は選抜徴兵制で陸海空三軍1200人。
 農業と水産業が主要産業であるが、農業は年降水量が150~300ミリメートルと少ないため生産性が低い。商品作物としてコーヒー、サトウキビ、バナナ、自給作物としてトウモロコシ、キャッサバ(南米原産の根茎作物。根を食用とし、タピオカの原料となる)、ジャガイモ、サツマイモ、豆などが栽培され、牧畜も行われる。食糧自給率は10%程度で、多くを輸入に依存する。農家の54%が1ヘクタール以下の耕作面積で、小作人が多い。ポルトガル人経営の農場は国有化されたが、うまく運営されているとはいえない。限られた降水量と地下水利用のため、ダム建設と井戸掘削が計画されている。水産資源は豊富だが、伝統的漁法に頼り、近代的な漁船はまだ少ない。マグロ、ロブスターがとれる。工業人口は2%しかなく、製塩、食料品工業がおもなものである。輸出品目は水産物、バナナ、塩、輸入品目は小麦、ミルク、食用油、トウモロコシ、豆などの食料品である。貿易相手国はポルトガルが60%を占め、オランダ、スペイン、コートジボワールがこれに次ぐ。貿易収支は輸入超過である。70万人の海外移住者の送金と外国からの援助が経済を支えている。サル島、サン・ティアゴ島の国際空港がリスボンやアフリカ、アメリカと結んでおり、国内便もここを起点としている。最近は外国人観光客受け入れに力を入れている。「シダーデ・ヴェリヤ、リベイラ・グランデの歴史都市」がユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。[藤井宏志]

社会・文化

住民はアフリカ系(30%)と、アフリカ系住民とポルトガル人の混血(70%)からなる。公用語はポルトガル語であるが、一般には部族語化したクレオール語を用いる。宗教はほとんどがカトリックの信者であり、文化や生活面でもポルトガル化が著しい。近年人口が増加し移民に出る者が多い。日本からは漁業技術協力を中心にした無償援助が行われている。[藤井宏志]
『小川了編著『セネガルとカーボベルデを知るための60章』(2010・明石書店)』

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