デジタル大辞泉
「ガイ」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
がいがひ
- 〘 造語要素 〙 ( 名詞「かい(甲斐)」の変化した語 ) 体言または体言に準ずる語句に付く。
- ① 主として、動詞の連用形に付いて、その行為をした効果、効験の意を表わす。「生きがい」「勉強しがい」など。
- [初出の実例]「嘸(さぞ)世話がひもなき者とさみして居やらふ」(出典:浄瑠璃・忠義墳盟約大石(1797)八)
- ② 主として、人間関係を表わす名詞に付いて、その関係の効果を発揮する意を表わす。…としてのよしみ。
- [初出の実例]「平太落度(をちど)にきはまらば、一門がひに討こそせめ、そもや肩を持つべきか」(出典:浄瑠璃・悦賀楽平太(1692頃)二)
- ③ 否定を含む句に付いて、そうでないのが幸いなほど、の意を表わす。
- [初出の実例]「理窟(りくつ)につまってあげくには死なずがひな目にあふて」(出典:浄瑠璃・曾根崎心中(1703))
- ④ 願望を含む句に付いて、そうしたい放題の程度の意を表わす。
- [初出の実例]「言ひたいがいに言ひこめて、死んでもまだ言ひたらぬか」(出典:浄瑠璃・卯月の潤色(1707頃)中)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
ガイ
Ljudevit Gaj
生没年:1809-72
ユーゴスラビアの文学者。イリュリア運動の指導者。フランスとドイツ系のクロアチア人で,ウィーンとグラーツに学び,ライプチヒ大学で哲学博士号を得る。初めドイツ語で詩作したが,民族的意識に目覚め,南スラブ諸民族の統一,さらには全スラブ民族の協力まで考えた。そのためロシアへ旅立ったほどである(1840)。チェコスロバキアのパン・スラブ主義者J.コラールと,詩人だった母親の大きな影響があった。南スラブ諸族の大同団結を唱えるイリュリア運動は,政治的・文化的な改革をめざす闘いで,当時の知識人や青年層から熱狂的な支持をえた。だが1848年革命期にいわゆる反動的なクロアチア総督イェラチッチ側に立ってから人気を失い,貧窮のうちにザグレブで没した。彼は文学的才能にはさして恵まれていないが,クロアチア語の正書法を改革して文語を確立し,最初の新聞やその文学付録《明星》で新しい思想を鼓吹するなど,啓蒙家,組織者として特にすぐれていた。
執筆者:田中 一生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ガイ
米国のブルース・ギター奏者,歌手。本名はジョージ・ガイGeorge Guy。伝統的なブルースのスタイルに基盤を持ちながら,その要素を吸収してよりモダンなスタイルを模索した。代表作に《A Man & The Blues》(1968年)などがある。ロック・グループ,ローリング・ストーンズとの共演(1970年)やE.クラプトンとの共同作業(1972年,1989年)で意欲的にロックとの接点を開拓した。後のJ.ヘンドリックスやスティービー・レイ・ボーンStevie Ray Vaughan〔1954-1990〕らのギター・スタイルにも大きな影響を与えている。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
ガイ
ガイ・フォークス(Guy Fawkes。一五七〇~一六〇六)▼英国の陰謀家。プロテスタントの両親のもとに生まれたが、若くしてカトリックに改宗。カトリック弾圧に対抗するため、一六〇五年一一月五日の議会開会日に火薬を爆発させ、ジェームズ一世と国会議員たちを一挙に殺害することを企てた。しかし陰謀は事前に漏れ、翌年、他の陰謀者六人と共に絞首刑に処された。現在も毎年一一月五日にガイ・フォークス夜祭(Guy Fawkes Night)が行われ、彼を模した人形を燃やし、花火を打ち上げたりする。
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
ガイ
Guy, Thomas
[生]1644/1645. ロンドン
[没]1724.12.27. ロンドン
ロンドンのガイ病院の創立者。 1668年から書籍商で,印刷や投資で財をなした。 1704年セントトマス病院の理事となり,07年に3つの新病棟の建設費を出したが,なお病院が過密であることを知り,のちに世界的に有名になったガイ病院を筋向いに創設した。これは完全に一個人の寄付による総合病院の最後のものといわれる。
ガイ
Gai
ロシア西部,オレンブルグ州の都市。ウラル山脈南麓,オルスクの北約 30kmにある。 1959年地元の銅資源開発に伴ってつくられた新興鉱業都市で,銅選鉱コンビナートが立地するほか,建設資材工業などがある。州都オレンブルグとオルスクを結ぶ幹線鉄道から分岐する支線の終点。人口約3万。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ガイ
がい
Ljudevit Gaj
(1809―1872)
クロアチアの文学者、政治家。南スラブ民族運動を主導。『クロアチア・スラブ語正書法要理』(1830)を著し、クロアチア語の文語改革を提唱した。1835年『クロアチア新聞』を創刊、翌年その補遺である週刊誌『明星』を発刊し、新正書法を実践した。ロマン派の詩人としても知られ、愛国詩『クロアチアいまだ亡びず』(1835)を作詞・作曲したことは有名。
[栗原成郎]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内のガイの言及
【ユーゴスラビア】より
…旧ユーゴスラビア地域の南部では,ウィンナ・ソーセージ風のメンチボール,チェバプチッチčevapčićが最も一般的な肉料理だが,ほかに串焼き(ラジュニッチražnjić),腰肉ステーキ(ベシャリツァvešalica),ユーゴ風ハンバーグ(プリェスカビツァpljeskavica)が加わる。卵をふんだんに使ってナスやジャガイモのスライスをオーブンで焼いたムサカmusaka,挽き肉とタマネギと米を詰めたピーマンの煮込み(プーニェネ・パプリケpunjene paprike)も人気が高い。
[余暇と娯楽]
旧ユーゴスラビア地域は,だいたいの職場が午前7時に始まり午後2時に終わる。…
※「ガイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」