ユーゴスラビアの文学者。イリュリア運動の指導者。フランスとドイツ系のクロアチア人で,ウィーンとグラーツに学び,ライプチヒ大学で哲学博士号を得る。初めドイツ語で詩作したが,民族的意識に目覚め,南スラブ諸民族の統一,さらには全スラブ民族の協力まで考えた。そのためロシアへ旅立ったほどである(1840)。チェコスロバキアのパン・スラブ主義者J.コラールと,詩人だった母親の大きな影響があった。南スラブ諸族の大同団結を唱えるイリュリア運動は,政治的・文化的な改革をめざす闘いで,当時の知識人や青年層から熱狂的な支持をえた。だが1848年革命期にいわゆる反動的なクロアチア総督イェラチッチ側に立ってから人気を失い,貧窮のうちにザグレブで没した。彼は文学的才能にはさして恵まれていないが,クロアチア語の正書法を改革して文語を確立し,最初の新聞やその文学付録《明星》で新しい思想を鼓吹するなど,啓蒙家,組織者として特にすぐれていた。
執筆者:田中 一生
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クロアチアの文学者、政治家。南スラブ民族運動を主導。『クロアチア・スラブ語正書法要理』(1830)を著し、クロアチア語の文語改革を提唱した。1835年『クロアチア新聞』を創刊、翌年その補遺である週刊誌『明星』を発刊し、新正書法を実践した。ロマン派の詩人としても知られ、愛国詩『クロアチアいまだ亡びず』(1835)を作詞・作曲したことは有名。
[栗原成郎]
…旧ユーゴスラビア地域の南部では,ウィンナ・ソーセージ風のメンチボール,チェバプチッチčevapčićが最も一般的な肉料理だが,ほかに串焼き(ラジュニッチražnjić),腰肉ステーキ(ベシャリツァvešalica),ユーゴ風ハンバーグ(プリェスカビツァpljeskavica)が加わる。卵をふんだんに使ってナスやジャガイモのスライスをオーブンで焼いたムサカmusaka,挽き肉とタマネギと米を詰めたピーマンの煮込み(プーニェネ・パプリケpunjene paprike)も人気が高い。
[余暇と娯楽]
旧ユーゴスラビア地域は,だいたいの職場が午前7時に始まり午後2時に終わる。…
※「ガイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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