フランスの映画監督。パリに生まれる。初め演劇を志し、俳優となり、前衛芸術家たちと交わる。1911年映画に出演し、シナリオを書き、ついで監督となる。1915年フランス最初の前衛映画『チューブ博士の狂気』を制作し、特殊レンズによる対象の変形が人を驚かせた。第一次世界大戦末期、反戦映画の大作『戦争と平和』(1918)を発表して、論議の的となったが、ヒューマニズムの賛歌としての芸術性が高く評価された。ガンスの映像のモンタージュがもっとも音楽的に処理され、サイレント映画の芸術性を最高度に発揮した傑作は『鉄路の白薔薇(ばら)』(1923)である。老機関士の苦悩に満ちた半生を描いた。また『ナポレオン』(1927)は3個のスクリーンを用いて、後年のシネラマの技術を早くも開拓した記念碑的作品であった。トーキー以後も監督を続けたが、特筆すべき作品はなく、1981年11月10日パリで不遇の生涯を閉じた。彼の映画芸術樹立の不朽の功績は、第二次世界大戦後に再認識された。
[飯島 正]
チューブ博士の狂気 La folie du docteur Tube(1915)
戦争と平和 J'accuse(1918)
鉄路の白薔薇 La roue(1923)
ナポレオン Napoléon(1927)
世界の終り La fin du monde(1930)
偽れる唇 Le maître de forges(1933)
椿姫 La dame aux camélias(1934)
楽聖ベートーヴェン Un grand amour de Beethoven(1936)
バルテルミーの大虐殺 La reine Margot(1954)
悪の塔 La tour de Nesle(1955)
ナポレオン アウステルリッツの戦い Austerlitz(1959)
フランスの映画監督。パリに生まれパリで死去。《戦争と平和》(1919),《鉄路の白薔薇》(1923),《ナポレオン》(1927)の3巨編でサイレント映画の歴史に不滅の足跡を残し,〈映画におけるビクトル・ユゴー〉とも〈ヨーロッパのD.W.グリフィス〉とも呼ばれた。《戦争と平和》《鉄路の白薔薇》では32コマ(サイレント映写で2秒)から1コマまでの極端に短く刻んだカットを編集してせん光のような効果を出し,〈観客と映画とが一体となって興奮する一種発作的感情の激発〉(飯島正)をあおる〈フラッシュ・カッティング〉の技法を創始した。〈映画は光の詩だ〉と主張したガンスは,《鉄路の白薔薇》のシナリオをラテン語詩のリズムによってコマ単位で書いたともいわれる。このサイレント映画ならではの手法はエイゼンシテインらソ連の〈モンタージュ理論〉派の映画作家に影響を与えた。さらに《ナポレオン》では,3台の映写機を使って3面のスクリーンに映写する〈ポリビジョン〉方式(シネラマの前身といわれる)を考案するとともに,ポータブルカメラを駆使して走る馬のくらにカメラをくくりつけるなど,ありとあらゆる撮影方法を試みた。そうした技法のうえでの〈前衛〉性,あるいは一種のモダニズムと,〈フランスのセシル・B.デミル〉と揶揄(やゆ)されることもある題材のメロドラマ性,語り口の大言壮語調が一体となって,ガンス独自の天才肌の作風が生まれている。しかし,《ナポレオン》は,興行的に惨敗に終わり,トーキー以後,マルチスピーカーを使ったステレオ音響によるサウンド版《ナポレオン》(1934),《戦争と平和》のリメーク版《私は告発する》(1937),《失楽園》(1939)といった〈反戦メロドラマ〉をはじめ,《悪の塔》(1954)といった娯楽大作をつくり続けるが,サイレント時代の名声は戻りえなかった。1981年にフランシス・コッポラのプロデュースにより《ナポレオン》の復元版が世界中で公開され,ガンスの偉業は再評価を得た。
執筆者:宇田川 幸洋
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…戦後の混乱したドイツに生まれた〈表現主義〉の映画《カリガリ博士》(1919)が世界の注目を浴びたころ,ドイツの哲学者コンラート・ランゲは《現在および未来における映画》(1920)の中で,芸術は〈静〉で〈動〉を表現するというイリュージョンで成り立つものであるから,映画が〈動く画面〉を基礎とするかぎり芸術とは無縁であると映画の芸術性を否定したが,20年代を通じて世界の各国で〈サイレント映画〉の芸術性が追究された。例えばフランスでは,アベル・ガンスが《鉄路の白薔薇》(1923)をつくり,グリフィスのモンタージュを視覚的なリズムによる心理的なモンタージュに発展させ,カール・ドライヤーは《裁かるるジャンヌ》(1928)で大胆なカメラアングルと,クローズアップを最大限に活用したモンタージュでそれまでの常識を破り,〈サイレント映画〉形式の一つの頂点を示した。また,ドイツ映画の黄金時代(古典時代)を代表するフリードリヒ・W.ムルナウの《最後の人》(1925)は,文学的な借物であるタイトル(字幕)を排除し,カメラを自由奔放に駆使して映画以外の手段では不可能な映画的表現を開拓した。…
…とくに後者はイタリアのサイレント映画の頂点を示す作品であり,著名な詩人,小説家,劇作家,軍人であったダンヌンツィオが荘重華麗な文学的字幕を書いたことでも知られ,スペイン出身の名カメラマン,セグンド・デ・チョーモン(1871‐1929)の移動撮影や,のちにハリウッドで〈レンブラント・ライティング〉と名づけられた人工光線による下からの仰角(あおり)ぎみの照明といった革新的な技術が各国の映画に大きな影響をあたえ,アメリカのD.W.グリフィスは《カビリア》のプリントを1本手にいれてつぶさに研究し,アメリカ最初のスペクタクル映画《国民の創生》(1915)と《イントレランス》(1916)をつくった。 スペクタクル映画はグリフィス以来,ハリウッドのお家芸になって今日まで続いているが,全映画史を通じてその最大の推進者となったのが〈スペクタクルの巨匠〉の名をほしいままにしたセシル・B.デミル監督である(他方,フランスにはほとんど狂い咲きのように大スペクタクル映画をめざしたアベル・ガンス監督の孤高の存在がある)。1920年代には西部の開拓者たちを描いた《幌馬車》(1923),聖書に取材したデミル監督《十誡》(1923),古代ローマの歴史を描いた《ベン・ハー》(1926),キリストの生涯を描いたデミル監督《キング・オブ・キングス》(1927),第1次世界大戦における空中戦を描いた《つばさ》(1927)などがスペクタクル映画としてつくられた。…
…日本公開は1926年。映画を〈光と影の交響楽〉と定義したアベル・ガンス監督のサイレント時代の名作の1本で,〈黒の交響楽〉と〈白の交響楽〉の2部構成になっている。第1部は主人公の老機関手が養女に失恋して絶望のあまり機関車を車止めに激突させるまで,第2部は盲人になった彼の後半生を描く。…
…1927年製作のフランス映画。《戦争と平和》(1919),《鉄路の白薔薇》(1923)に次いでアベル・ガンス監督がサイレント映画史に残した傑作として知られ,〈映画的効果の百科事典〉〈サイレント映画に可能なことのすべてを陳列して見せた絢爛豪華な大展覧会〉(ケビン・ブラウンロー評)とまでいわれるように,すばやく,たたきこむように短いカットをつないでスピード感を出す〈フラッシュ・カッティング〉や分割画面,あるいは軽量カメラを馬の背や振子にくくりつけての撮影等々,文字どおりあらゆる映画的技法が〈光の交響楽〉をつくりあげている。さらに3台のカメラで撮影した映像を3面のスクリーンに映写する〈ポリビジョン〉(または〈トリプル・エクラン(三面スクリーン)〉)と命名された映写方式がこの映画のためにガンス自身によって考案され,あるときは一つのイメージが三つの画面にひろがり,またあるときは三つのスクリーンに別々のイメージが映し出され,ラストのイタリア出撃のシーンをはじめ,いくつかのシーンで用いられて圧倒的なスペクタクル効果を上げた。…
※「ガンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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