人情噺(ばなし)。三遊亭円朝(えんちょう)作。モデルとなった塩原太助(1743―1816)は、上州(群馬県)沼田から江戸に出て炭商として成功し、「本所(ほんじょ)に過ぎたるものが二つあり、津軽大名炭屋塩原」とうたわれた江戸後期の富商。円朝は1876年(明治9)、画家柴田是真(しばたぜしん)から塩原家の子孫におこった怪談を聞いて菩提寺(ぼだいじ)を訪ね、さらにその故郷に赴き調査して78年に完成した。
物語は、同姓同名で先祖を同じくする武士と百姓の塩原角右衛門(かくえもん)の出会いから、武士塩原角右衛門の子多助が、父の帰参のための50両と引き換えに百姓角右衛門の養子になることに始まる。成人して角右衛門の後妻おかめの連れ子、おえいと結婚するが、養父の死後、母娘は浪人者の父子とそれぞれ密通、じゃまな多助を殺そうと謀る。しかし、愛馬青(あお)の働きで助かった多助は、青に泣く泣く別れを告げて故郷を出奔、辛苦のすえ江戸にたどり着き、炭屋の山口屋に奉公し、実父とも対面する。勤倹を重ねて本所相生(あいおい)町で炭屋を開業、乞食(こじき)と成り果てた義母おかめを養い、豪商藤野屋の娘お花と結婚。嫁入りの日、お花は炭を担ぎ、振り袖を斧(おの)で断ち切って、多助への協力を表明する。
勤倹奨励、勧善懲悪という新時代の要請に沿ったこの多助立志伝は、1885年に若林玵蔵(かんぞう)の速記により刊行され、91年には明治天皇御前口演も行われ、ついには小学校修身教科書にも採用された。また、3世河竹新七脚色の歌舞伎(かぶき)化(1892)も5世尾上(おのえ)菊五郎の「青の別れ」が大好評であった。
[関山和夫]
『『三遊亭円朝全集5』所収(1975・角川書店)』
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…脚色物に機知と趣向の才を生かし,洒脱と速筆でも知られた。代表作に《籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)》(1888年千歳座)はじめ《塩原多助一代記》《怪異談(かいだん)牡丹灯籠》《江戸育御祭佐七》など。【河竹 登志夫】。…
…三遊亭円朝作の人情噺《塩原多助一代記》(1885年速記講談本刊)の主人公の名。円朝が友人の絵師から聞いた実話,江戸本所の炭屋塩原太助の成功談をもとに作り,高座にかけたもの。…
※「塩原多助一代記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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