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塩原多助一代記 しおばらたすけいちだいき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

塩原多助一代記
しおばらたすけいちだいき

歌舞伎狂言。世話物。6幕。 1876~78年にかけて三遊亭円朝が口演した同名の人情噺 (ばなし) を3世河竹新七脚色,92年東京歌舞伎座で初演。江戸本所相生町の炭屋塩原太助の実話に基づくもので,浪士の子に生れながら,わけあって百姓の養父のもとで育てられた塩原多助が,養父の死後養母と女房の悪性のために愛馬青と別れてひとり江戸に出,炭屋で十数年の骨身を惜しまぬ奉公の末,独立し豪商になったという出世物語。内容は円朝の作に忠実であるが,実直な多助と悪党道連れ小平の善悪二役を5世尾上菊五郎が演じ評判をとった。

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デジタル大辞泉の解説

しおばらたすけいちだいき〔しほばらタすけイチダイキ〕【塩原多助一代記】

人情噺(にんじょうばなし)。三遊亭円朝作。明治9~11年(1876~78)にかけて完成。塩原多助の成功譚をもとに脚色したもの。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

塩原多助一代記
しおばらたすけいちだいき

人情噺(ばなし)。三遊亭円朝(えんちょう)作。モデルとなった塩原太助(1743―1816)は、上州(群馬県)沼田から江戸に出て炭商として成功し、「本所(ほんじょ)に過ぎたるものが二つあり、津軽大名炭屋塩原」とうたわれた江戸後期の富商。円朝は1876年(明治9)、画家柴田是真(しばたぜしん)から塩原家の子孫におこった怪談を聞いて菩提寺(ぼだいじ)を訪ね、さらにその故郷に赴き調査して78年に完成した。
 物語は、同姓同名で先祖を同じくする武士と百姓の塩原角右衛門(かくえもん)の出会いから、武士塩原角右衛門の子多助が、父の帰参のための50両と引き換えに百姓角右衛門の養子になることに始まる。成人して角右衛門の後妻おかめの連れ子、おえいと結婚するが、養父の死後、母娘は浪人者の父子とそれぞれ密通、じゃまな多助を殺そうと謀る。しかし、愛馬青(あお)の働きで助かった多助は、青に泣く泣く別れを告げて故郷を出奔、辛苦のすえ江戸にたどり着き、炭屋の山口屋に奉公し、実父とも対面する。勤倹を重ねて本所相生(あいおい)町で炭屋を開業、乞食(こじき)と成り果てた義母おかめを養い、豪商藤野屋の娘お花と結婚。嫁入りの日、お花は炭を担ぎ、振り袖を斧(おの)で断ち切って、多助への協力を表明する。
 勤倹奨励、勧善懲悪という新時代の要請に沿ったこの多助立志伝は、1885年に若林(かんぞう)の速記により刊行され、91年には明治天皇御前口演も行われ、ついには小学校修身教科書にも採用された。また、3世河竹新七脚色の歌舞伎(かぶき)化(1892)も5世尾上(おのえ)菊五郎の「青の別れ」が大好評であった。[関山和夫]
『『三遊亭円朝全集5』所収(1975・角川書店)』

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