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キプロス キプロス Cyprus

翻訳|Cyprus

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

キプロス
キプロス
Cyprus

正式名称 キプロス共和国 Republic of Cyprusギリシア語でキプリアキ民主国 Kipriaki Dimokratia,トルコ語クブルス共和国 Kibris Cumhuriyeti。

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知恵蔵2015の解説

キプロス

キプロスは地中海東部の共和国。首都はニコシアで、四国の半分ほどの島国である。1960年に英国から独立を果たしたが、多数派のギリシャ系住民と北部に多いトルコ系住民の争いが生じ、1983年に北部が「北キプロストルコ共和国」として独立を宣言した(国連は未承認)。その後、南北統合の交渉が断続的に進められているが、実現の見通しは立っていない。
2004年、南部「キプロス共和国」のみが欧州連合(EU)に加盟し、08年からはユーロも導入した。小麦・果実栽培や牧畜が盛んで、鉱産資源にも恵まれているが、主産業は観光業であり、世界遺産の「パフォス」「ヒロキティア」「トロードス地方の壁画教会群」を始め、各地にギリシャ・ローマ時代の遺跡や中世の修道院モスクが点在し、白砂のビーチ「アギア・ナパ」も多くのリゾート客を集める。
その観光業と並び、キプロス経済を支えているのが国際金融業である。スイスルクセンブルクと同様、欧州有数のタックスヘイブン(租税の回避地)として、世界中から投資を呼び込んでいる。その銀行の総資産は、国内総生産(GDP)の7~8倍にも及ぶ。とりわけロシア企業の投資が多く、脱税やマネーロンダリングが横行しているとも指摘されている。こうして集めた巨額な資金の行き先が、ギリシャ国債であった。キプロスは歴史的にギリシャと関係が深く、キプロスの大手銀行は大量のギリシャ国債を購入していたのである。
09年に表面化したギリシャ金融危機の影響を受け、キプロスも銀行の財務が悪化。国家財政も破綻の危機に直面した。12年6月、キプロス政府はEUに金融支援を要請したが、ドイツを始め支援に消極意見が強く、救済策の基本合意までに半年以上を要した。
13年3月EUは、キプロス政府が約7000億円を自己調達することを条件に、最大約1兆3千億円の支援を約束。その財源確保のため、キプロスの全預金口座に課税することを提案した。これをキプロス議会が拒否すると、EUは大口預金者のみに課税することを再提案。結果、キプロスの大手2銀行(キプロス銀行、ライキ銀行)は、10万ユーロを超える預金者から一定額を徴収した上、1銀行に整理されることになった。徴収額は、13年4月19日時点では未定。

(大迫秀樹  フリー編集者 / 2013年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

キプロス

地中海の東に浮かぶ島国キプロスは人口約86万人。1960年に英国から独立し、2004年に欧州連合(EU)に加盟、08年にユーロを導入した。国内総生産(GDP)は約177億ユーロ(11年)。一律10%と低率の法人税を目当てに、租税回避地として、ロシアなどユーロ圏外の資本が流入。キプロス国内の銀行など金融機関が持つ資産はGDPの約7倍にも達するほど、金融に依存していた。大量のギリシャ国債を保有していた民間銀行がユーロ危機で多額の損失を出し、11年12月、ロシアから25億ユーロの支援を受けた。

(2013-03-25 朝日新聞 朝刊 2総合)

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デジタル大辞泉の解説

キプロス(〈ギリシャ〉Kypros)

《糸杉の意》地中海東部にあるキプロス島を占める共和国。首都ニコシア。1571年オスマン帝国領、1925年英国の植民地となり、ギリシャへの帰属の動きも出るなか、1960年独立。住民の8割を占めるギリシャ系住民とトルコ系住民とが対立。1964年からPKF国連平和維持軍)が駐留。1974年トルコ軍が北部に進駐して南北に分断される。1983年北部が独立を宣言して「北キプロス・トルコ共和国」を名のるが国連未承認。南部のキプロス共和国は2004年EU(欧州連合)に加盟。2008年1月からユーロを導入。人口110万(2010)。サイプラス。クブルス。南キプロス

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百科事典マイペディアの解説

キプロス

◎正式名称−キプロス共和国Republic of Cyprus(北部のトルコ系住民は,北キプロス・トルコ共和国の独立を宣言している)。◎面積−9251km2
→関連項目欧州債務問題国際連合トロードスパフォス

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世界大百科事典 第2版の解説

キプロス【Kypros[ギリシア]】

正式名称=キプロス共和国Kypriakí Demokratía(北部のトルコ系住民は,北キプロス・トルコ共和国Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyetiの成立を宣言している)面積=9251km2人口(1996)=76万7000人(島全体)首都=ニコシアNikosía(トルコ名レフコサLefkoşa)(日本との時差=-7時間)主要言語=ギリシア語,トルコ語通貨=キプロス・ポンドCyprus Pound(トルコ系住民地域ではトルコ・リラ)東地中海の北東端,トルコの南64km,シリアの西97kmに位置する地中海第3の島(面積9251km2)。

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大辞林 第三版の解説

キプロス【Kypros】

地中海の東部にあるキプロス島を領土とする共和国。もとトルコ領であったが、1925年イギリス直轄植民地になり、60年独立。住民は南部がギリシャ系、北部がトルコ系で両者の対立が激しい。ブドウ・銅などを産する。首都ニコシア。面積9千平方キロメートル。人口80万( 2005)。正称、キプロス共和国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

キプロス
きぷろす
Republic of Cyprus英語
Kypriaki Dimokratiaギリシア語
Kbrs Cumhuriyetiトルコ語

地中海東部に浮かぶ同名の島からなる共和国。面積9251平方キロメートル。首都はニコシア。キプロスの名は、この島に自生する植物ヘンナLawsonia albaのヘブライ語kopherに由来する。住民はおもにギリシア系(約78%)とトルコ系(約11%)のほかにアルメニア系などからなり、ギリシア語による名称キプロスKyprosに対してトルコ語ではクブルスKbrsとよぶ。なお英語ではサイプラスと読む。1960年の独立以来、言語、文化、宗教を異にするギリシア、トルコ両系住民の間で紛争が絶えず、1975年にはトルコ系住民が北部に「キプロス連邦トルコ系住民共和国」を樹立し、さらに1983年にはギリシア系住民国家との連邦構想を放棄して一方的に「北キプロス・トルコ共和国」としての独立を宣言している。2009年時点でキプロスの総人口は87万1000人と推計され、「北キプロス・トルコ共和国」を除いた人口は77万1000(2006推計)である。2004年、ヨーロッパ連合(EU)加盟。[末尾至行]

自然

東のシリア海岸から100キロメートル、北のトルコ海岸から70キロメートルにあって、地中海東部の交通を制する位置にあり、地中海の島としてはシチリア、サルデーニャに次いで大きい。地体構造上はアルプス‐ヒマラヤ造山帯に属し、島の南北に、ともに標高1000メートル級のトロードス山脈とキレニア山脈が東西に走る。最高点はトロードス山脈中にあるオリンポス山(1951メートル)である。キレニア山脈はおもに石灰岩からなるが、トロードス山脈には火山岩もみられる。なお、両山脈の中間にはキプロスの穀倉地帯である幅20~30キロメートルのメサオリア平野が横たわり、首都ニコシアもここに位置する。気候は典型的な地中海性気候を示し、年平均気温は約20℃、年降水量は平地で300~400ミリメートル、山地では1200ミリメートルに達するが、降水はほぼ10月から翌年3月までに限られる。山地を中心に、国土の20%近くがマツ、スギ、イトスギ、プラタナスなどの森林で覆われ、地中海東部地方で最高の美林といわれている。西部のパフォスの森には、野生の保護動物キプロスヒツジが生息する。[末尾至行]

歴史

新石器時代の遺跡もみられるが、古くからギリシア人が定着し、ミケーネ文明の影響も受け、エジプトとの交流地点として栄えた。その後フェニキア、アッシリア、ペルシア、プトレマイオス朝などによって支配され、紀元前57年にはローマ帝国領となった。引き続きビザンティン帝国領となったが、7世紀から10世紀にかけてアラブ人の侵入を受け、1191年には十字軍に参加したイングランド王リチャード1世(獅子(しし)心王)によって征圧された。ついでテンプル騎士団の手に渡ったのち、1192年から3世紀にわたっては、リチャード1世から託されたフランスのリュジニャン家によって統治され、この期には中世的繁栄をみた。しかし1489年にはベネチア領となり、さらに1571年にはオスマン帝国に支配され、以後トルコ人の移住が始まった。しかし300年後の1878年、ロシア・トルコ戦争後のロシアの南下政策に対応しようとするイギリスが、オスマン帝国の容認のもとでその統治権を得た。ついで第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)とともにイギリスが併合し、1925年にはその直轄植民地となった。
 1930年代から、キプロスをギリシアに合併させようとするエノシス運動が、ギリシア政府の支援のもとに、多数を占めるギリシア系住民の間で高まり、これに反対する少数派のトルコ系住民およびトルコ政府との間で対立が激化し始めた。1954年にイギリスが中東統合軍司令部をキプロスに移したことから、エノシス運動は反イギリス暴動とテロ活動へと先鋭化し、1958年にはトルコ系住民の分割要求も高まって抗争は深刻化した。ついにイギリスは領有を断念し、1959年のイギリス、ギリシア、トルコの三か国会議の結果、1960年8月16日、これらの国の保障のもとにキプロスは単一の共和国として独立を遂げた。
 しかし独立後もギリシア系住民とトルコ系住民の反目はいっこうに後を絶たず、1963年には内戦が勃発して国連キプロス平和維持軍(UNFICYP)が出動した(~1964)。さらに1974年になって、ギリシア政府に支持された過激派ギリシア系軍人によるクーデターが発生し、穏健派のマカリオス大統領が一時追放される事態となった。これを機にトルコ軍がトルコ系住民の保護を理由に北部に侵入して紛争は国際化し、トルコ軍によって北部(国土の39%)が占領された状態が固定したまま、1975年には北部での「キプロス連邦トルコ系住民共和国」の発足が宣せられた。このような連邦制の採用は、その後1977年になって双方の合意を得たが、しかし事態の進展がないまま1983年11月、トルコ系住民議会は「北キプロス・トルコ共和国」としての独立を宣言、以後キプロス島は、事実上南北2か国が存在する状況となっている。[末尾至行]

政治

1960年発足の複合民族国家「キプロス共和国」では、1959年の三か国会議での取決めに基づき、大統領(任期5年)をギリシア系、副大統領をトルコ系にそれぞれ固定し、内閣と国会(一院制)構成員をギリシア系7、トルコ系3に割り振るなどの配慮がなされてきた。しかし早くも1963年には、トルコ系国会議員15名が選出されないまま、ギリシア系の35名だけで国会が運営されるなどの変則事態が生じ、以来改められることがなかった(2009年時点では80議席のうち、ギリシア系56議席のみで構成、任期5年)。さらに1975年に「キプロス連邦トルコ系住民共和国」が誕生してからは、分裂は決定的となり、この「トルコ系住民共和国」は独自の憲法と議会を確立し、通貨もキプロス・ポンドからトルコ・リラに切り換え、標準時間もトルコ本土と統一させるなどの措置を講じている。なおこの分裂を契機に、約18万のギリシア系住民の北部から南部への脱出と、約4万5000人のトルコ系住民の南部から北部への移住がみられた。1983年の「北キプロス・トルコ共和国」の独立宣言は、キプロスの政治情勢をますます複雑、混迷化させている。トルコは「北キプロス・トルコ共和国」をその独立直後に承認したが、国連の場ではこの独立宣言はほとんどの国から非難の対象となっている。
 1991年国連は南北2国による連邦制を提案したが、「キプロス共和国」の1993年の大統領選挙では、国連提案に反対の立場のクレリデスが当選し、1996年の総選挙でもクレリデスの率いる民主運動党(DISY)が多数を得た。1998年の大統領選挙ではクレリデスが再選された。1993年以後、国連提案を受けてしばしば南北の会談が繰り返されているが、1997年の交渉では、北キプロス側が支援国トルコとともに、南単独のEU加盟問題に反発して交渉は物別れに終わった。2001年、国連仲介のもと、ふたたび両系大統領の直接交渉が行われ、以後、定期的な直接交渉が続けられた。2003年2月に行われた大統領選挙ではクレリデスの対北キプロス政策に批判的なパパドプロスが当選。2004年4月、連邦国家制を骨子とする国連和平提案による南北統合の是非を問う国民投票が行われたが、南北で賛否が分かれ、交渉は中断した。2004年5月、キプロスは単独でEU(ヨーロッパ連合)加盟を果たした。2008年2月の大統領選挙ではキプロス問題解決に柔軟な姿勢のフリストフィアスが選出され、ふたたび北キプロスとの統合に向けた交渉が始まっている。
 陸軍の兵力1万のほか陸海空軍に若干の装備をもつ「キプロス共和国」の戦力に対して、「北キプロス・トルコ共和国」も5000の国民軍をもち、さらに3万6000のトルコ軍が駐留しこれを支援している。一方、中立的立場から国連キプロス平和維持軍(約850人)が駐留する。またアクロティリ、エピスコピ、デケリアの3地区にはイギリスが軍事基地をもち、中東統合軍司令部を置いて約3000の兵力が駐留。ギリシア軍も約1100の兵力が駐留している。[末尾至行]

経済・産業

農業は古くからキプロスでもっとも重要な産業である。就業人口の7.2%が農業に従事し(2004)、国土の多くが農業生産に利用されている。ただ、ほとんどが天水耕地であるため休閑地も多く、農地面積は国土の17.8%(2005)を占めるにすぎず、経営も零細で生産性はそれほど高くない。そのうえ1974年からの紛争によって農業生産が被った打撃には著しいものがあった。おもな作物は伝統的に小麦、大麦、ジャガイモ、ブドウ、およびオレンジなどの柑橘(かんきつ)類であるが、紛争の影響によって主穀類は、一時は大量の輸入を余儀なくされた。他方、ジャガイモや果実は、アラブ産油国の需要に支えられて生産が伸び、重要な輸出品となっている。ギリシア語でキプロスを意味することばから銅ということばが生まれたといわれるほど、キプロスでの銅の産出は古くから有名であったが、現在でも銅のほか鉄、クロム、石綿、石膏(せっこう)を産し、その多くは輸出されている。ただし近年は資源の枯渇によって生産量も低下してきた。工業は小規模な食品加工業や織物業、あるいはセメント工業が中心であり、織物やセメントなど製品の一部は輸出に向けられている。
 国土の分断によって「キプロス共和国」は北部の39%の面積を失ったが、この北部地域はキプロスの国民総生産(GNP)の58%、宿泊観光客の75%、柑橘園の80%、鉱業生産高の56%、工業生産設備の50%をそれぞれ占めていたため、その損失は大きかった。しかしその後は経済復興が進み、またレバノン内戦の余波を受けて、ベイルートにあった通商・観光資本が転進してくるなど、経済は活気を取り戻し、外国人観光客も増えていった。
 2007年の輸出額は12億5000万ドル、輸入額86億9000万ドル。おもな輸出相手国はイギリス、ギリシア、ロシア、アラブ首長国連邦、レバノンで、おもな輸出品は衣料品やジャガイモ、レモン、グレープフルーツ、ブドウ、ワイン、タバコなどの農産物、薬品、セメントなどである。おもな輸入相手国はイギリス、イタリア、ギリシア、アメリカ、ドイツで、おもな輸入品は原油、石油製品、機械類、化学製品、繊維製品である。
 一方、北部の「北キプロス・トルコ共和国」はトルコの援助によって経済開発を進めつつあるが、トルコの財政難もあって、その成果は南部に比べて劣っている。[末尾至行]

社会

住民の約78%はギリシア系、約11%はトルコ系によって占められ、ほかにごく少数のアルメニア人、アラブ人などが居住する。かつてギリシア系およびトルコ系の住民は、都市内の住地や村を異にして生活しながらも、地域的には偏らず全土に分散していた。しかし1974年以後、南北分断が固定化するに伴い、ギリシア系住民は南部へ、トルコ系住民は北部へ、それぞれ難民として移住を余儀なくされている。言語はギリシア語とトルコ語が公用語として用いられてきており、英語もイギリス統治時代の名残(なごり)でよく通用する。ギリシア系住民のほとんどはギリシア正教に、トルコ系住民はイスラム教スンニー派に属し、アルメニア人はほぼキリスト教アルメニア教会派、またアラブ人はほぼキリスト教マロン派の信者である。初等教育は6~15歳(9年間)で、無料・義務制をとる。大学としては総合大学のキプロス大学、ニコシア大学のほかに工科大学などが設けられている。[末尾至行]

文化

地中海に浮かぶ風光明媚(めいび)な島で、史跡や伝説の地にも富み、観光面ではみるべきものが多い。キロキティアの先史住居跡、ビーナス誕生の地と伝えられるパフォスの浜、ギリシア・ローマ時代のサラミスの遺跡、キレニアにあるベネチア時代の城塞(じょうさい)などがとくに著名である。ニコシアにはキプロス博物館がある。各地に海水浴場があり、トロードス山脈中にはスキー場の設備がみられる。[末尾至行]
『澁澤幸子著『キプロス島歴史散歩』(2005・新潮社)』

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