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1962年10月、当時のソ連がキューバに攻撃用のミサイルを設置したため生じた事件。ミサイルの搬入阻止をめぐって米ソ両国が対決寸前にまでいき、世界中を核戦争瀬戸際の恐怖に陥れた。当時、アメリカのキューバに対する敵視政策はエスカレートしており、62年1月には米州機構がキューバを除名するなどキューバ封じ込めが進んでいた。これに対してキューバも同年2月に「第二ハバナ宣言」を発してラテンアメリカでの革命の必要性を強調するなど、キューバをめぐる西半球での冷戦は一つの頂点に達していた。このような情勢のもとでキューバとしては、革命を反革命から防衛し、ラテンアメリカでの革命を促進するための支えとなる強力な武器―攻撃用ミサイル―を必要としていた。一方、キューバとの関係を深めつつあったソ連は、フルシチョフ首相がキューバ防衛の意志を表明するとともに、ソ連周辺諸国に設置された対ソミサイルに対抗して、キューバに攻撃用ミサイルを設置することを考えていた。
1962年10月、キューバに攻撃用ミサイルが設置されているのを確認したアメリカのケネディ政府は、10月22日、ソ連に対して、ミサイルがさらに搬入されるのを阻止するためキューバを海上封鎖することを通知するとともに、ソ連がただちにキューバのミサイルを撤去することを要求した。ソ連はこの要求を拒否し、キューバも海上封鎖は「主権に対する侵害」だとして非難した。かくして10月24日、アメリカによるキューバの海上封鎖が開始され、米ソは衝突寸前にまでいった。しかしフルシチョフからの申入れで交渉が行われ、アメリカがキューバへ侵攻しないことを条件に、ソ連がミサイルを撤去することに同意したため、この危機は回避された。
この解決はキューバの頭越しになされたものであったため、その後キューバの指導者たちはフルシチョフに対して不信を抱くようになり、フルシチョフにとってもこの事件はのちに失脚する遠因となった。
[加茂雄三]
『加茂雄三編『ドキュメント現代史11 キューバ革命』(1973・平凡社)』
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…むしろ比較的議会の束縛を受けない外交面で,大統領としての足跡を残したといえる。就任早々,キューバ侵攻問題でつまずいたが,ベルリン問題,キューバにおけるソ連ミサイル基地問題(キューバ危機),核実験停止等でソ連フルシチョフ首相と激しく対立,渡り合いつつ,しだいに米ソ和解の道を切り開き,63年8月部分的核実験停止条約の調印にまでもっていった。他面,中国との外交正常化は残され,彼の政権の下で軍事顧問団の名で1万6000の軍人がベトナムへ派遣され,軍事介入が進められたことも忘れてはならない。…
…
[軍事的緊張]
米ソ間の,あるいは東西両ブロック間の対立は,厳しい軍事的緊張を伴うものであった。実際,朝鮮戦争のように軍事的対立が戦争に転化した場合もあったし,キューバ危機のような〈核戦争〉が勃発する危険をはらんだ国際危機がいく度となく存在した。その原因としては,次の三つをあげることができる。…
※「キューバ危機」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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