キリスト教社会党[ベネズエラ]
キリストきょうしゃかいとう[ベネズエラ]
Comite de Organizacion Politica Electoral Indepenndiente
略称 COPEI。ベネズエラの穏健派政党。民主行動党と並び二大政党の一角を占める。 1946年,親キリスト教的立場をとる穏健保守派によって結成されたが,党内には右翼から極左系まで幅広い勢力をかかえる。 68年,78年と政権を獲得。 88年大統領選挙の候補選定をめぐり党内は分裂し,大統領選挙にも敗れる。そのしこりから,創設者で 69~74年に大統領職にあったラファエル・カルデラ・ロドリゲスが離党,93年 12月の大統領選挙には国民連合から出馬し勝利を収めた。カルデラの当選により,58年以来続いていた COPEIと民主行動党の二大政党制が崩壊した。 98年 12月の大統領選挙では民主行動党との統一候補エンリケ・サラス元カラボボ州知事を擁立するが,新興勢力の第5共和国運動に敗れた。さらに同年 11月の総選挙でも下院で前回の 54議席から 27議席へと勢力を半減させた。
キリスト教社会党[オーストリア]
キリストきょうしゃかいとう[オーストリア]
Christ lichsoziale Partei
オーストリアの政党。都市の中産,下層階級を基盤として 1870~80年代に形成されたが,党首 K.ルーエガーのウィーン市長就任 (1897) 後は,宮廷,カトリック保守派に接近し,農民層をも広く包含するにいたった。反マルクス主義の立場から進化主義に基づく社会改良理論を打出し,オーストリア社会民主党と鋭く対立した。 1907~11年議会第1党。 20年秋以後政権を維持したが,キリスト教社会党の武装組織,護国団と社会民主党の共和国防衛同盟の衝突により内政の危機を招き,大統領権限の拡大によりこれを回避した。 32年首相となった E.ドルフスは,共和国防衛同盟の解散とオーストリア・ナチスの活動を禁止,さらに政党に代り祖国戦線を結成,これにキリスト教社会党および護国団を結集させたことにより,党としてのキリスト教社会党は解消することになった。
キリスト教社会党[ルクセンブルク]
キリストきょうしゃかいとう[ルクセンブルク]
Chrescheilech-Sozial Vollekspartei;Parti Chrétien Social
ルクセンブルクの主要政党。 1914年設立。農民,カトリック系労働者,穏健保守層をおもな支持基盤とし,君主制の維持,労働法の斬新的改善,農業および小規模自営業への援助,教会との友好関係,国際主義的な外交政策などの中道路線をとる。 74~79年の6年間を除き,第2次世界大戦後一貫して中道連立内閣を組織してきた。 59年以降ワーナー政権が 15年間続いたが,74年5月民主党主導のソーン連立政権が誕生したことによって下野。しかし,79年6月には民主党と組んでワーナー政権を復活させ,84年6月から 95年1月までは社会労働党との連立でサンテール内閣を維持した。その後成立したユンケル内閣も同連立の枠組みを維持している。
キリスト教社会党[エクアドル]
キリストきょうしゃかいとう[エクアドル]
Partido Social Cristiano
エクアドルの穏健中道右派政党。 1951年カミリオ・ポンセ・エンリケスの主導で結成。その後にエクアドル保守党,エクアドル民族革命行動など右派勢力と連立を組んできた。 84年の大統領選挙では保守連合を組んでレオン・フェブレス・コルデロ政権の樹立に成功するが,与党として迎えた 88年大統領選挙では惨敗。議会選挙でも9議席しか獲得できなかった。 90年の中間選挙では 16議席に回復し,さらに 92年の大統領選挙には中道右派政党と共和連合党を結成して戦い,シクスト・デュラン・バジェンが勝利を収めた。また同時に実施された議会選挙でも 21議席を獲得し第1党についた。 94年の中間選挙後には 26議席まで勢力を拡大するが,96年5月の大統領選挙ではハイメ・ネボト候補が決選投票の末敗北している。
キリスト教社会党[ベルギー]
キリストきょうしゃかいとう[ベルギー]
Parti Social Chrétien; Christelijke Volks Partij
ベルギーの主力政党。 1830年の独立以来,政界で重きをなしてきたカトリック党を前身に 1954年に設立。伝統的にカトリック教徒の多いベルギーの労働者階級,商工業エリート層に幅広い支持基盤をもつ。 50年以降各連立内閣の中心政党となっていたが,1960年代に入りフラマン系キリスト教社会党 CVPとワロン系キリスト教社会党 PSCに分裂。 CVPは継続して最大の勢力を保持しており,79年から 91年までの 13年間,W.マルテンスが首相をつとめる政権を維持してきた。さらに 92年3月からは同じ CVPの J.L.デハーネを首相とする4党連立政権が発足。この連立政権は 95年5月の総選挙でも過半数を確保し,デハーネは内閣を続投した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
キリスト教社会党(キリストきょうしゃかいとう)
Christlichsoziale Partei
オーストリアのカトリック政党。都市の下層中産階級を基盤に1870~80年代に形成された反自由主義的・反ユダヤ主義的な諸運動が,ルエーガーのカトリック主義のもとに糾合され,90年前後の2~3年間に一つの政党に組織された。ルエーガーのウィーン市長就任(97年)以後,宮廷,カトリック保守派に接近し,農民の間にも勢力を広げた。1907~11年議会第1党。19年以後与党を続け,ザイペルの指導下に社会民主労働者党と鋭く対立した。34年ドルフースのもとで祖国戦線に移行,解消した。45年成立したオーストリア人民(国民)党はこの党の伝統を継承している。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
世界大百科事典(旧版)内のキリスト教社会党の言及
【ベネズエラ】より
…強力な支持団体としてベネズエラ労働者同盟や農民同盟を有する。キリスト教社会党,民主共和連合とともに第2次大戦後の国政を指導する政党である。(2)キリスト教社会党(COPEI) 1930年代にカトリック系の学生組織で結成された国民行動党(AN)の流れをくむ政党で,46年R.カルデラを中心に結成された。…
【キリスト教民主主義政党】より
…保守党という面の最も強いのはおそらくドイツのキリスト教民主同盟であろう。反対にベルギーのキリスト教社会党Parti Social Chrétienなどは,キリスト教労働組合が社会党系の労働組合より多くの組合員をかかえているという背景の下に,本来のキリスト教民主主義という面が強く,同党はしだいに保守派の支持を失いつつある。いずれにせよ,キリスト教民主主義政党はその保守党という面とキリスト教民主主義という面とのジレンマをかかえているというのがその実情である。…
【オーストリア】より
…この状況のなかで医師のV.アードラーは同志とはかって[オーストリア社会民主党]を創立した。またウィーンはキリスト教社会党の市長ルエガーKarl Lueger(1844‐1910)の下で近代的大都市に発展した。 1890年ころ文学の領域で転換が生じ,ホフマンスタールやシュニッツラーらの〈世紀末世界Fin de siècle‐welt〉が生み出される。…
【カトリック政党】より
… 第2のカトリック政党は19世紀末に出現してきたもので,本来的な意味でのキリスト教民主主義政党であった。これは近代社会のもっているいろいろな矛盾に対して,キリスト教の立場から取り組んでゆこうというものであったが,オーストリアのキリスト教社会党Christlichsoziale Parteiを除けばほとんど成功していない。 第3のカトリック政党は第2次大戦後出現してきた政党で,一般にキリスト教民主主義政党と呼ばれており,事実党名にもキリスト教民主主義という形容詞をつけているものが多いが,その性格は第2のカトリック政党とはかなり異なっている。…
※「キリスト教社会党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」