デンマークの著作家、哲学者。5月5日コペンハーゲンに生まれる。
[宇都宮芳明 2015年11月17日]
一代で富を築いた毛織物商人の父ミカエルMichael Pedersen Kierkegaard(1756―1838)が56歳、家事手伝いから後妻となった母アンネAne Sørensdatter Lund(1768―1834)が45歳のときの子で、7人兄弟の末子であった。そうした誕生を反映してか、幼年時代から老人のように暗い憂鬱(ゆううつ)な気質を備えていたが、その反面、家庭内や友人との交際ではユーモアと快活さに富んでいた。少年時代から父親よりキリスト教の厳しい修練を受け、17歳でコペンハーゲン大学に入学し、神学と哲学を学び、1841年『イロニーの概念について』という論文でマギステルの学位を得た。
その間、1837年5月、当時14歳だったレギーネ・オルセンRegine Olsen(1822―1904)を知ってたちまち恋のとりことなり、婚約までしたが、愛の相克と内面の罪の意識から、1841年8月に婚約を破棄した。いわゆるレギーネ事件で、その際体験した精神的葛藤(かっとう)が、後の美的著作の主題となった。その後、一時ベルリンに赴き、当時盛名をはせていた哲学者F・シェリングの講義を聞いたり、『ドン・ジョバンニ』や『ファウスト』など数多くのオペラを観劇したりしたが、翌1842年には帰国し、著作家としての生活に入った。その活動は盛んで、1843年から1846年に至る短期間に『あれかこれか』『反復』『おそれとおののき』(以上1843)、『不安の概念』(1844)、『人生行路の諸段階』(1845)といったいわゆる美的著作や、『哲学的断片』(1844)、『断片後書』(1846)などの哲学的著作が、いずれも匿名形式で出版され、ほかにキリスト教に関する多くの教化的講話が発表された。
ここで著作活動にむなしさを感じるようになったキルケゴールは、田舎(いなか)の牧師になって静かな生活を送りたいと願ったが、そのとき風刺新聞『コルサル』(海賊)に、彼の作品と人物についての誤解と中傷に満ちた批評が載り、それをめぐって激しく争ううちに、ふたたびキリスト教徒としての新たな精神活動と著作への意欲が生じてきた。彼は新聞の戯評や世間の嘲笑(ちょうしょう)にも屈せず、一方では大衆の非自主性や偽信性を厳しく批判し、他方では絶望のさなかにあってなお単独者として神を求める宗教的実存のあり方を、『死にいたる病』(1849)や『キリスト教の修練』(1850)のうちで追究した。ちなみに、「単独者」は信仰者としての本来的な実存のあり方を示す用語で、「大衆」や「人類」に対立する。彼の批判は、さらに既成のキリスト教や教会のあり方にまで及び、『瞬間』(1855)などでの攻撃は激烈を極めたが、1855年10月2日、突然コペンハーゲンの路上で卒倒し、11月11日この世を去った。
[宇都宮芳明 2015年11月17日]
ヘーゲル風の汎(はん)論理主義に抗して、不安と絶望のうちに個人の主体的真理を求めた彼の思想は、20世紀に入るまでデンマーク国外ではほとんど知られなかった。しかし1909年からドイツで神学者のシュレンプChristoph Schrempf(1860―1944)による翻訳全集が出て、当時新進のK・バルトやハイデッガー、ヤスパースらの弁証法神学者や実存哲学者に大きな影響を与え、そこからキルケゴールの名は現代キリスト教思想や実存思想の先駆者として、ヨーロッパのみならず世界的に知られるようになった。
日本では、すでに明治時代に上田敏(うえだびん)や内村鑑三(うちむらかんぞう)がキルケゴールの思想に触れているが、1915年(大正4)には和辻哲郎(わつじてつろう)が『ゼエレン・キェルケゴオル』で、当時の日本の哲学界ではほとんど知られていなかったキルケゴールの思想を全般にわたって詳しく紹介した。さらに1935年(昭和10)には三木清の監修した『キェルケゴール選集』全3巻が出版され、第二次世界大戦前の不安と危機の時代に生きる日本の思想家に少なからぬ影響を与えた。戦後は、実存主義の日本での流行とともに、文学者や一般読者にも広範な影響力を示した。
[宇都宮芳明 2015年11月17日]
『『キルケゴール著作集』21巻・別巻1(1962~1970/新装再刊版・1995・白水社)』▽『桝田啓三郎他訳『世界の名著51 キルケゴール』(1979・中央公論社)』▽『工藤綏夫著『キルケゴール』(1966/新装版・2014・清水書院)』▽『小川圭治著『人類の知的遺産48 キルケゴール』(1979・講談社)』
デンマークの哲学者,宗教思想家。コペンハーゲンに生まれ,毛織物商の父の特異な教育下に想像力を養われて成長。母は父の先妻の死後に下女から後妻となった女性。1830年にコペンハーゲン大学神学部に入学,学生時代をロマン主義のもとに送り,ドン・フアンやファウストの伝説研究を試みたが,やがて時代精神にアハシュエロス(さまよえるユダヤ人)的な絶望の状況を認めるに至った。34年までに2人の兄と3人の姉と母とが相次いで死亡。次々と襲う家族の不幸に神の呪いを感じ,38年(一説に35年)にはそれを,先妻死亡以前に暴力的に母を犯した厳父の罪と結びつけて,みずから〈大地震〉と呼ぶ体験に吸収,以後,死の意識と憂愁の気分のとりこになる。40年には10歳年下のレギーネ・オルセンRegine Olsenと婚約したが,内的苦悩から翌年には婚約を一方的に破棄する。しかし彼女への愛は変わらず,この〈レギーネ体験〉を背景に,その愛の内面的反復の可能性を数々の作品に結実させることとなった。41年に論文《アイロニーの概念》を大学に提出してベルリンに旅立ち,シェリングの積極哲学の講義を聴く。
43年以降は,学位論文で確認した〈ソクラテス的アイロニー〉のもつ否定的弁証法を著作活動に生かし,実名で刊行した多くの宗教講話に並べて,偽名で《あれか-これか》《反復》(以上1843),《哲学的断片》《不安の概念》(以上1844),《哲学的断片への後書》(1846),《死に至る病》(1849),《キリスト教における修練》(1850)などの文学的・哲学的・宗教的な著作を発表。大地震体験における罪の内面深化とレギーネ体験に基づく愛の内的反復とが,これらの作品を通して〈いかにして真のキリスト者になるか〉という課題に昇華され,当時のヘーゲル主義的思弁の哲学や神学に対して,主体的な実存の立場を打ち出すこととなった。その間,46年には風刺的大衆誌《コルサール(海賊)》の人身攻撃にあい,9ヵ月に及ぶ執拗な漫画入り嘲笑記事のために衆人の侮辱を浴びた。この〈コルサール事件〉の渦中で体験したものは,大衆に判定をゆだねる陰で責任の主体が失われてゆく時代の水平化現象であり,時代の客観性にあえて逆らう単独者の道こそが真理へ通じる方途であるとの確信であった。晩年には大衆化的世俗主義の水平化をルター派のデンマーク国教会の体質の中に見て取り,正統信仰の復興を目指して激しい〈教会攻撃〉に立ち上がった。時代の批判者たる例外者の意識を強めつつ,国教会の偽善を糾弾する小冊子《瞬間》(1855発刊)を9号まで続刊し,10号の原稿を残したまま路上にたおれ,病院に運ばれて没した。
人間は生きる上での普遍的な基準をみずからの内に持っているわけではない,と考えるキルケゴールは,近代思想が人間の本質を理性に限定してそれを基準に真理を合理的客観性とみなしてきたことに反発し,理性に尽くされない自由な生き方に人間らしさを認めて,これを〈実存〉と呼ぶ。実存は無根拠の自由にさらされた〈不安〉や〈絶望〉を実相とし,そのもとで真実の生き方を主体的に作り出してゆくものである。〈主体性が真理である〉と言えるためには,衆にたのまぬ〈単独者〉として神の前に立ち,自己の無力と自己の責任とを正しく知ることが求められる。具体的には,時間を永遠者の介入する〈瞬間〉ととらえて,論理を越えた〈逆説〉の神に出会うことであり,神の愛の啓示であるイエスのできごととの〈同時性〉を,主体的内面的に〈反復〉していくことである。このキルケゴールの思想は,20世紀の激変する時代の中で注目され,哲学界ではニーチェとともに実存哲学の祖と称されるに至った。またバルト神学に受容されて弁証法神学に大きな影響を与えたほか,実存心理学や,リルケ,カフカ,カミュ,サルトル,椎名麟三などの実存主義文学にも吸収されている。
→実存主義
執筆者:柏原 啓一
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1813~55
デンマークの宗教思想家,哲学者。ニーチェとともに実存主義の祖。ヘーゲル哲学の方法を量的弁証法と批判し,いかにして神の前に一人で立つキリスト者になるかという実存の質的弁証法を主張した。主著『死に至る病』『不安の概念』など。
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…この極限状況からの超克を,超越者や神とのかかわりに求めるか,無意味さそのものの肯定に求めるか,自由のもつ創造力に求めるかによって,実存主義にもさまざまな立場が生じてくることになる。 このような実存思想は,人間の本質を理性に据えて合理性のみを追求してきた近代精神への批判として,19世紀にキルケゴールによって説かれたものを嚆矢(こうし)とする。彼はとくに《哲学的断片への後書》(1846)において,客観的真理が人間を生かすのではなく〈主体性内面性が真理である〉と語り,単独者として神の前で主体的に生きる人間を宗教的〈実存〉と呼んだ。…
…アンティ・クリマクス著として1849年にコペンハーゲンで刊行されたキルケゴールの著作。題名は新約のラザロ復活物語(《ヨハネによる福音書》11章)から採られた。…
…そのため,キリスト教の罪観念は一般的価値としての善悪の観念によっては測られないものがある。キルケゴールは《死に至る病》(1849)第2部で,悪を善の欠如や無知と呼ぶギリシア哲学の規定は,キリスト教の罪観念をほとんど理解しないものだ,という。この書は罪を神の前での絶望,反抗と呼び,神と人間との根源的関係の齟齬(そご)と規定したが,この規定はS.フロイトやユングにおいても顧みられている。…
※「キルケゴール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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