改訂新版 世界大百科事典 「ギリシア演劇」の意味・わかりやすい解説
ギリシア演劇 (ギリシアえんげき)
古代ギリシアでは笛・竪(たて)琴などの音楽,舞踊やものまね,独唱・合唱・物語など,多くの様態にわたる伝統芸能が太古より存在していた。それらの起源は前史時代にさかのぼり,ミュケナイ時代には先進オリエント文明からの影響も受けて,さまざまの発展をたどったものと思われる。後世ギリシア演劇を代表する悲劇,喜劇などの仮面演劇は,それらの伝統芸能の豊かな素地の上に成立した総合芸術である。
背景と前史
現存する最古の悲劇,喜劇,サテュロス劇(合唱団が,酒神ディオニュソスの従者として登場する半獣神サテュロスから成り立っている演劇)はいずれも前5世紀中葉の,アッティカ地方の主都アテナイにおける演劇活動の最盛期の産であり,すでにおのおのの完成した文芸形式にのっとるものといってよい。しかしその段階に至るまでの前史については資料が乏しく,多く推測に基づく仮説が唱えられている。
ギリシア演劇の一つの特徴は仮面演劇であることに認められる。動物仮面を着用した群像はミュケナイ時代の壁画にも,前6世紀の黒絵式陶画にも描かれており,また,柔和な笑みをたたえた老人,老女の仮面は前8世紀のスパルタでも発見されている。しかし仮面の存在や仮面着用人物の描出と,文芸としての演劇誕生との間の隔りも大きく,その間には幾つかの生成段階を閲(けみ)したものと思われる。
前4世紀の哲学者は演劇成立前史についてこう記述している。〈悲劇も喜劇ももとは即興的な試みから始まったのであるが,悲劇はディテュランボス歌の音頭取りたちの間から,喜劇はファロス歌の音頭取りたちの間から起こり,徐々に規模を大にし,幾度かの変形を重ねつつ,おのおのが到達すべき型にいたったものである〉と。このような古い歌舞音曲の場を背景として,役者が仮面を着用し神話や伝説の人物に扮して台詞(せりふ)を語ることが,演劇誕生の最初の契機となったのであろう。詩人テスピスがアテナイのディオニュソスの大祭(ディオニュシア祭)で初めて悲劇詩人として登場した(前536-前533年ころ)という伝承は,おそらくその辺の事情を告げるものと解される。当時アテナイは僭主政の下にあったが,やがて民主政が施行されるに及んで演劇はますます興隆をきたす。現存する〈ディオニュソス劇場上演記録碑文〉によれば,前502年ころより国営劇場での悲劇ならびにディテュランボス詩の上演が国家の行事として営まれ,前487-前486年次より喜劇もまた演目に加えられている。
役者の登場は同時に台詞言葉の創造と改良を意味する。登場の〈場〉を設定するのは合唱隊(コロス。悲劇の場合古くは12名,のち15名からなる)の歌唱であるが,神話や伝説を素材としたその謡(うた)い言葉は古来ドリス方言の諸地で発達していた合唱演芸の言語と様式に依存していた。しかし役者の台詞はこれとは音韻的にかなり異なるアッティカ方言(アテナイ人の方言)を用い,その韻律形式は(アリストテレスによれば)日常会話のリズムに最も近い〈イアンボス形〉を取り入れている。こうして悲劇,喜劇とも〈詩劇〉として伝統的な詩芸の措辞,技法を取り混ぜて成立した。そしてともに,台詞や語りの技法は互いに密接な関係を保ちつつ,徐々におのおのの特色を明らかにしていったもようであるが,悲劇の台詞,とりわけ役者の長口上や使者の報告部分の措辞,文法にはホメロス叙事詩からの影響が濃厚である。他方,喜劇ではその演劇構造の中核部分を占める〈パラバシス場面〉(合唱隊の持分で,本筋にかかわりなく作者の主張を観客に向けて直接訴える部分)は,古来の〈喋り〉の一型と目される台詞の型がそのままに維持されている。
ホメロス叙事詩は例外として,悲劇,喜劇は古代ギリシア諸文芸の中で例外的な長さと規模を有している。現存作品の平均的な長さは一篇約1400詩行にわたり,これは同時代の合唱詩の約10倍の規模に達する。一篇の悲劇作品は序詞(プロロゴス=役者の語り),入場歌(パロドス=合唱隊の謡),役者場面(エペイソディオン=役者,合唱隊長の語り),歌謡部(スタシモン=合唱隊の謡)というぐあいに〈歌謡+語り+歌謡〉というおのおのの機能がはっきりと分かれた部分の組合せが幾度か交互に繰り返されて展開し,全体としては近世のオペラ様式と似ている。喜劇の場合も〈パラバシス場面〉を除外すれば,ほぼ同様である。
演劇の初期,登場役者が1人であり扮する役柄も一,二の人物に限られていたころには,〈歌謡+語り+歌謡〉という基本単位も1,2度反復されるに過ぎなかったものであろう。しかし劇中人物の役柄が増加し,相互の関係が複雑化するにつれて役者の数も増し,劇の筋立てを展開するためには〈歌謡+語り+歌謡〉の基本単位も5,6度の繰返しが必要となったと思われる。悲劇の構成では一貫した筋の展開とその帰結が最も重視されており,上の基本単位の相互の配置結合にも因果関係が厳密に守られている。他方,喜劇では,少なくとも古喜劇の時代(前425-前405)では〈歌謡+語り+歌謡〉からなる単位場面の相互の関係は,必ずしも緊密というわけではない。とくに〈パラバシス場面〉では,合唱隊が扮装を解き,劇中の役割から離れて直接観衆に語りかけるので,筋の展開は完全に中断されることとなる。古喜劇においてこのような劇的イリュージョンを打ち砕くような場面が認められ,作者たちもこれに細心のくふうを凝らしているのは,舞台と客席が一体となって笑う大衆演劇の特色が喜劇の中心に生きていたためであろう。
前5世紀のアテナイでは,毎年春のディオニュシア祭において,悲劇詩人3人がおのおの4篇からなる番組を,喜劇詩人5人が各1篇ずつを,さらにディテュランボス詩人10人が各1篇ずつを上演するという盛りだくさんの催しが行われていた。これらの製作費は富裕な市民たちが交互に分担し,直接合唱隊に参加した市民たちの人数も毎年ゆうに1000人を数えた。兵役男子の人口数万というアテナイではこれだけでもおびただしい数であるが,ディオニュシア祭のほかにも幾つかの演劇の定例行事が行われており,アテナイの演劇活動は名実ともに共同体あげての大規模な営みであったことがわかる。
古典期演劇作品の特徴
〈悲劇と喜劇との差異は,悲劇が標準的人間よりも優れたものを表そうとするのに対して,喜劇はより劣悪なものを選ぶところにある〉とアリストテレスはいう。例えば,喜劇の合唱隊が鳥獣やカエルや,あるいは雲やハチなどのこっけいな扮装のもとに登場し,神々や人間の世界を揶揄するという趣向によれば,人間より下位のものどもが自分たちよりもさらに下位にあるものとして,神々や人間の諸欲をあげつらい嘲笑を浴びせるおかしさが生まれる。もとより喜劇詩人には禁欲を説く姿勢はない。諸欲の詰まった傀儡のような風船人間を思いきり膨らませ,ついに限界を越えた風船がはじける様を見せ笑わせる。このような視点と題材処理の手法は,同じ素材を扱う悲劇詩人との対比において明瞭にされよう。
例えばアイスキュロスの悲劇《縛られたプロメテウス》では,火の神プロメテウスはやむにやまれぬ人間愛に促され,天上の火を盗み人間に与え,技術を授け,文明世界の創造のために己が身を犠牲にする崇高な英雄として扱われている。しかし同時代の喜劇詩人エピカルモスは,プロメテウスを大盗人にしたて,人間も何を盗まれるかと戦々恐々としている様を語っている。演劇の神ディオニュソスも,エウリピデスの《バッコスの信女》の中に現れるときは凄惨な密儀宗教をつかさどる恐るべき神であるが,同じとき書かれたアリストファネスの《蛙》の中では,臆病で定見のない一人の演劇評論家にすぎない。神々のみならず伝説的な英雄たち,現実社会の有名人や権力者たちも,喜劇の舞台ではきわめて低俗な欲望の操り人形として容赦なくこきおろされる。古典期ギリシア演劇の第一の特質は,悲劇と喜劇を同時に創り出し,このように徹頭徹尾対照的な二つの鏡面の間に,人間行為の真実をとらえようとしている点である。崇高でもありこっけいでもありうる人間とは,ほんとうは一体何であるのか,それを観客に問いかける。
演劇的人間像の成立
初期段階のギリシア演劇ではおそらく,役者の語りには叙事的要素(喜劇の場合には観客に対する直接的呼びかけ)が濃く,対話部分は僅少であったと思われる。アイスキュロスの時代に役者が同一場面に2人登場し対話を交わすようになっても,叙事的語りの要素は会話的要素よりもなお大きい部分を占めている。登場人物同士の説得,嘆願,脅迫,阿諛などを含み,複雑に屈曲した台詞の交錯が一方の志向を他方の意志に従わせる,そのような演劇的場面が現れるのはアイスキュロスの〈オレステイア三部作〉をもって嚆矢とする。演劇は神話,伝説の活人劇として叙事的技巧に依存していてよいものではない,演技者の台詞はあるできごとに至る状況の認識と判断,決意と勇気を告げ,ある一つの行為を行為ならしめた諸力を表出するものでなくてはならない。この発見が,ギリシア演劇における対話技術の目覚ましい進展を促す力となり,ひいては演劇構造(筋立て)のくふうと演劇的人間像の創造に連なったと思われる。
ソフォクレスの《アンティゴネ》では劇中対話の彫琢技術はアイスキュロスを凌駕しているが,作品全体の構造はまだアイスキュロスに近い。しかし《アイアス》では,恥辱にまみれた誇り高い一人の男が最後の決断に至る苦悶の過程を一本の筋とし,彼の選択の意味づけを劇の結末とする。この構造はソフォクレス悲劇の基本を画しているといってよい。彼の劇中に登場する主人公たちは,男女いずれも決断に至る過程においては懊悩し不安に駆られ,人間として避けられない弱さを露呈する。しかし彼らが最後のよりどころとする人間としての誇りと廉恥の心情は,深くギリシア人の倫理的価値観に根ざしている。〈あるがままの人間〉の心底にひそむ〈あるべき人間〉の姿があらわにされ,最終的には優位を占める,ここにソフォクレス悲劇の世俗的成功の秘密があったのかもしれない。
エウリピデスの悲劇は,ソフォクレスと同様に神話,伝説を素材とする。そして極限状態に追い込まれていく過程を表出する会話の技法もソフォクレスに優るとも劣らない。しかしエウリピデス悲劇で,せっぱ詰まった人間たちが最後にすがるのは倫理的価値ではない。かれらは不安定な没価値的な外的な力,あるいは内的な衝動に身を投げかける。《メデイア》や《ヘカベ》のように,いかなる思慮分別もせき止めることのできない狂乱激怒が,最後の動機となって奔出することもある。《ヒッポリュトス》では,恥を忘れた女性の恋と恨みが,恥を知る若者を破滅させる。しかしこの世で最も不安定にして没価値的力は〈偶然〉であろう。ソフォクレスは《オイディプス王》で,〈偶然〉の重なりを背景に想定しているけれども,劇中の主人公の行為はみずからの政治的責任を貫徹する。しかしエウリピデスのイフィゲネイアやオレステスは,〈偶然〉のために危機に瀕し〈偶然〉によって救われるが,そのはざまの苦悶をたえていく。〈偶然〉にこれほどの重みを与え,没価値的力の跳梁を許したのは,詩人エウリピデス自身の悲観思想であったのかもしれない。しかしながら,彼の劇場において最も不安定で没価値的なものといえば,当時のアテナイ人観客の群衆心理であったかもしれない。またそれはあるがままの一人の人間の心に起伏する感情の波であったということもできる。エウリピデスの最晩年の作《バッコスの信女》は,その二つの渦流に翻弄される一人の人間をとらえている。ペンテウスは己の怪しげな欲情のとりことなり狂乱の女たちの手で惨殺されるのである。エウリピデスの劇中人物たちの究極の動機は倫理的判断ではない。物心すべての装いをはぎ取られた人間の最後のよりどころが,あるときは生物的本能であり,あるときは迷妄や執念であることがあらわにされるのである。
喜劇芸術の展開と変貌
アリストファネスの古喜劇作品の構造的特色は,〈パラバシス〉を中心とする大衆演劇の線を維持しながら,これに悲劇とりわけエウリピデスのパロディを組み合わせ,喜劇独自の筋立てを考案した点に認められる。彼の奇想天外な筋と,その筋書きを実現するこっけいきわまる登場人物との組合せは,猥雑な冗談やたわいない個人攻撃を織り混ぜながら,時の政治とはかかわりなく市民一人一人が心の底に抱いている平和や繁栄への健やかな願望が前面に押し出され実を結ぶようにくふうされている。古代アテナイの民主政下でもとくに喜劇詩人たちが許されて享受した,驚くばかりの言論の自由は,〈笑い〉という一種の治外法権の設定によって,その中での文学的成熟を遂げたものであろう。
しかし古喜劇が誇るのは奔放な自由だけではない。古喜劇の詩人たちは伝統的な神話,伝説の外に,筋立てと登場人物を設定し,新しい話を創造する自由と,その自由を劇の内面から規定する構造的法則とをつかんだのである。前400年以降,アテナイは政情に激変をきたし,喜劇詩人たちは政治批判や個人攻撃には背を向けるが,彼らが古喜劇時代から継承した〈創作の自由〉はなお生き生きと,中喜劇,新喜劇の時代に受け継がれ,新しい形態の演劇活動を生むこととなる。アリストファネスの最晩年の作《福の神》(前388)から新喜劇の作者メナンドロスの初(優勝)作《デュスコロス》(前316)までの約70年間,悲劇の新作は激減し,とみに悲劇は〈古典芸能〉視される運命にあったが,喜劇の分野では(作品は伝存していないが)その時代は,新しい筋立てと登場人物の組合せをめぐる活発な試行錯誤の実験が重ねられ,ついにメナンドロスによる人間喜劇の誕生をみる。その間に,喜劇はかつての構造的中心であった〈パラバシス場面〉を失う。大衆演劇としての特色は希薄となったけれども反面,喜劇には初めて首尾一貫した筋立てが備わることとなったのである。
メナンドロスの人間喜劇
〈人生よりも人生さながら〉と古代人が評したメナンドロスの喜劇とは,実は前5世紀の悲劇とりわけエウリピデス悲劇の〈あるがままの人間〉と,喜劇芸術が変貌を遂げつつ求めてきた筋立てと登場人物の組合せとが,一つの芸術的映像に統一されたものということができる。《盾》の中の幸運の女神や,《デュスコロス》の牧神パンの口上はエウリピデスの《イオン》の狂言回し役ヘルメスの姿をほうふつとさせる。しかしエウリピデスの筋立ての中心には人間と神々の間の不信と憎悪が渦を巻いているのに比べて,メナンドロスでは老若男女の間の結婚や財産をめぐる思惑が劇的葛藤の中心にあり,神々はその解決に手助けをする役回りにすぎない。
神々の姿が周辺に遠ざかることはまた,人間描写の視点と技法にも大きな変化を招く。神話,伝説の英雄烈婦を登場させたり,貪欲な政治家や破天荒な空想家を描くことは前5世紀の悲劇,喜劇の常とう的な手法であった。メナンドロスの喜劇にも吝嗇漢や正義漢,軍人,娼婦,奴隷,肉屋など,古喜劇の時代からおのおののタイプとして類型化,固定化した役割人物がしばしば登場する。しかしそのような人物たちも固定された仮面表情の陰からその人ならではの内心のつぶやきを漏らしたり,外形的に予測される反応とは異なる行為にでることも少なくない。このような仮面と台詞との新しい組合せのくふうも実はエウリピデスに始まるものであるが,メナンドロスに至ってさらにいっそう近代的演劇のいう意味での〈性格描写〉に近づく。メナンドロスの台詞は高度の修辞的なくふうにとむ詩の言葉であるから,近代的な意味の写実性は乏しいものの,悲劇と喜劇との融合点に新しい演劇の天地をひらく作者の意図はここにも十分に尽くされているといえよう。
メナンドロスの喜劇は彼の生時アテナイの一般観衆の熱狂を誘うものとはならなかった。しかし過去の文学的遺産は新しい創造の糧となることによって輝きを増す。実にその真実はメナンドロスや仲間の新喜劇の詩人たちの作品の運命についてあてはまる。彼らの作品は1世紀も経ぬうちに,新興ローマの喜劇詩人たちの創作の血肉と化していく。彼らの登場人物はそのままの名前でローマ人の劇場を闊歩したのみか,彼らのしぐさやユーモアは中世イタリアの大衆演劇コメディア・デラルテに至るまで生き続けていく。
新喜劇以後のヘレニズム期のギリシア演劇作品についてはわずかな断片しか伝存していない。しかしこの時代の諸都市を飾っていた壮麗な大劇場の遺跡は今日なお数多く知られており,演劇が興行的にはかつてない盛況をきたしていたことを告げている。またその間,エジプトのアレクサンドリアでは,古典期アテナイの演劇作品の集輯校訂作業が行われ,今日伝存する中世写本の祖本が完成したことも最後に特記しておきたい。
→ギリシア文学 →ローマ演劇
執筆者:久保 正彰
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