登場人物の全員、あるいは一部が仮面をつけて演じる劇。仮面は本来、死者の霊魂や自然界の諸力の依代(よりしろ)としての役割をもっていたが、そこに宿った魂や力がそれをかぶる人間にのりうつるとされるところに他の依代にない仮面の特徴がある。したがって、劇に仮面をつけた人物が登場するとき、それは神、悪霊、死者、事物の精など日常生活を超えた他の世界の存在の出現を表すことが多く、呪術(じゅじゅつ)や宗教儀式と未分化であった古い形の演劇ほど仮面を使用したといえる。しかし、俳優が自己でないものに変身し、その行動によって現実を超えた世界を創造しようとする営みが演劇の根底にある限り、仮面がメーキャップや変装にとってかわられる近世以降の演劇にも、その精神がまったく失われたわけではない。
[安堂信也]
西洋では、紀元前5世紀を頂点とする古代ギリシア劇で初めて仮面が演劇に用いられた。それ以前にエジプトやクレタ島においても仮面を使用した芸能があったともいわれるが、それらは宗教儀式や祭礼の一部であって、独立した仮面劇とは認めがたい。ギリシア悲劇は、獣の皮をまとってサティロスを演じた人々が酒神ディオニソスをたたえるために行った円舞合唱に始まったとされるが、その初期に神を表した仮面は、悲劇の誕生とともに神話時代の半神としてのヒーローたちを演じるのにも用いられるようになった。革や布に彩色を施した被(かぶ)り物のそれらの仮面は、本質的には演ずる者の姿や声を拡大して超人的な存在感を与え、それによって劇的宇宙の現実からの超越性と演劇の祭儀性を保証するものであったが、他方、それぞれの仮面の容貌(ようぼう)の個性化によって、1人の俳優が多くの役を兼ねることも可能にした。時代が下ると仮面の特徴はしだいに誇張され、悲劇面では激情と苦悩にゆがんだ表情により強烈な印象を与えることが目ざされ、喜劇ではグロテスクで滑稽(こっけい)な道化面が役柄の典型化を進めるのに役だった。古代ローマもそれを受け継いだが、演劇が祭儀性を忘れ悲劇が衰退するとともに、悲劇面は力を失い、それにかわって、ギリシア風の喜劇面よりさらに怪奇な仮面を用いる、土俗的で風刺を主とする笑劇アテルラナが隆盛した。
その伝統は、中世宗教劇に登場する悪魔たちの扮装(ふんそう)や謝肉祭行列の道化面を経て、ルネサンス期イタリアのコメディア・デラルテに受け継がれる。この即興喜劇では、恋人役の男女など一部を除いて、おもな登場人物のほとんどが、かぶるのではなく顔全体あるいは上半分を覆う仮面(厚手の革製か薄い木彫り)をつけ、それによってつねに変わらぬ役柄とその性格を表した。この仮面劇はヨーロッパ全土に大きな影響を与えたが、演劇が主として人間社会の相克や心理的葛藤(かっとう)を描くようになる近世から、リアリズムが芸術の主流となる近代に至って、その伝統も失われ、わずかに宮廷舞踊劇や仮装舞踏会に用いられる黒い衣製の目だけを隠すマスクにその名残(なごり)をとどめるのみとなる。しかし、20世紀に入り、演劇が日常性の単なる模写を超えて真の演劇性を回復し、超越的な世界の現前によってその祭儀性を目ざすことが期待されるようになると、ゴードン・クレイグ、コポー、オニールからブレヒトやジュネまで、多くの前衛的演劇人によって仮面の重要性が再認識され、今日もなお新しい意味の優れた現代的仮面劇が上演されることも少なくない。
[安堂信也]
仮面が失われてしまった西洋の演劇に比べ、東洋は仮面劇の宝庫である。東洋の仮面劇はきわめて舞踊的な色彩が強く、仮面舞や仮面舞劇とよぶほうが的確と思われるものが多い。インド、ネパール、ブータン、チベット、モンゴル、スリランカ、インドネシア、中国、朝鮮半島、日本などに広く多様に分布する。形態的にみると、神話伝説にちなんだ神事芸能の域にとどまっているものと、そこから演劇的な発展を遂げたり、遂げようとしているものとの2種に大別できる。前者にはインドのチョウ、ネパールのマハカリ・ピャクン、チベット系の跳舞、インドネシアのトペンやバロンなどを、後者にはスリランカのコーラム、朝鮮の仮面舞劇(タルツムノリ)、日本の能などが含められよう。もちろん両者間には形態的に有機的な交流があり、両者とも原則的には女人禁制の男性中心の仮面劇である。
(1)インド 東部のプルリア、シドナフール、セライケラなどに「チョウ」とよぶ仮面舞踊があり、それを演じる地域は500を超え、地域ごとに特色がある。プルリアのチョウは『マハーバーラタ』『デービー・マーハトミヤ』などの物語から素材を得た荒々しい男女神の戦闘場面が多い。セライケラのチョウは戦士の舞踊に由来するといわれ、それに民族舞踊が加わり、男女の神々が愛を語り、優雅に舞うなど娯楽性が豊かである。
(2)ネパール 大母神ナバ・ドゥルガーの偉大さをたたえる仮面祭があり、1981年(昭和56)に来日した「マハカリ・ピャクン」(舞踊)もその一つ。ドゥルガーの化身であるマハカリ、マハラクシュミ、クマリの3女神が魔神兄弟と戦って勝利を得る内容で、インドの『デービー・マーハトミヤ』の古典に基づく。それにネパール伝説に登場する魔物ラケーやキャクなどが加わりネパール化されている。
(3)中国 少数民族であるモンゴルや満州族などがラマ廟(びょう)祭で跳舞(正称は打鬼)を奉納した。髑髏(どくろ)型の白と黒の仮面をつけた鬼が激しく跳ね踊って邪鬼を追い払うチベット仏教(ラマ教)の神事芸能の一つで、旧正月に行われ、チベット仏教の本拠地であるチベットで盛んである。漢民族においては、仮面劇は絶え、京劇などの唱劇で隈取(くまどり)の形でそのおもかげを伝えており、このほかに各地では旧正月に獅子舞(ししまい)が盛んである。
(4)スリランカ シンハラにドビルとコーラムの二つの仮面舞が伝承されている。ドビルは病気治癒のための神事で、舞い手たちが病神のヤガー(悪霊)の仮面をつけて祭場に現れて踊りながら霊媒者と語り合う。コーラムは、前半では洗濯屋や太鼓打ちなどのカーストたちと王や役人、警官などの支配層が絡み合うコミカルで風刺のきいた仮面劇を演じ、後半では正邪の神々や魔物などが登場する神界に転じる。
(5)インドネシア ジャワ島を中心に数種のトペン(仮面・仮面劇)があり、バリ島にバロンがある。トペンは『パンジ』という古い物語にちなんだワヤン・トペンから派生した。パンジ王子は結婚前夜花嫁のチョンドロ・キロノを魔神にさらわれ、放浪のすえ取り戻す。この原話を基に幾通りものトペンが生まれ、現在はクロノ・トペンが知られている。バリ島には獅子に比定される魔物のバロンの僻邪進慶(へきじゃしんけい)の仮面舞がある。
(6)韓国 中部から西部に山台劇(サンデノリ)系、南部の慶尚道地方に五広大(オクワンデ)系、東部にクッ(巫祭(ふさい))である別神祭(ビョルシンジェ)など多様な仮面舞劇(タルツムノリ)が演じられている。神事的な色彩が薄く、物語は人間界が中心で、僧侶(そうりょ)や両班(ヤンバン)(支配層)、退廃的な庶民などを痛烈に風刺した痛快な劇である。舞踊を中心に台詞(せりふ)、歌、才談(チェダム)(頓智(とんち))などで構成されている。このほかに北青(ブクチョン)獅子舞がある。
以上のほかに、ブータンの寺院では僧侶を中心とする仮面劇、またカンボジアやタイなどの東南アジアにはクメール系の仮面舞がある。
また、豊富な仮面をもつアフリカやオセアニアにも当然仮面の民族舞踊が現存するが、宗教的祭祀(さいし)などと混然一体となっており、それらの研究はまだ進んでいない。
日本においては、大陸から伝来した伎楽(ぎがく)(現在は絶え、面だけが残っている)、舞楽(ぶがく)をはじめ、散楽(さんがく)や田楽(でんがく)などの先行芸能の集約大成された伝統芸能である能楽がある。シテ方にのみ能面をかけさせることで高度な象徴性をもたせた能は、世界の仮面劇のなかで異彩を放っている。ほかにも、神楽(かぐら)をはじめとする多くの仮面を使用する民俗芸能が全国各地に伝承されている。
[金 両 基]
『国際交流基金編『変幻する神々――アジアの仮面』(1981・日本放送出版協会)』▽『山城祥二編『仮面考』(1982・リブロポート)』
イタリアのコメディア・デラルテ,日本の能,ギリシア悲劇等,確立した劇のジャンルとして存在するもの以外にも,仮面劇の裾野は世界各地の伝統演劇,民衆演劇の中に広がり,また仮面と変装を伴う儀礼と交錯している。仮面そのものが日常世界への非日常的存在の出現であり,その起源を語る神話と結びついて劇的な構造を内包しているのである。ギリシア悲劇,能等も,その起源は祭礼あるいはイニシエーションの儀礼に結びつくものであり,こうした仮面劇と儀礼の親縁性は,インド各地,南アジアに見られる叙事詩《ラーマーヤナ》に基づく仮面劇にも見いだされる(叙事詩は,主人公ラーマの王としてのイニシエーションの行程をたどるのである)。
儀礼と仮面劇の始源的な重なりあいは,例えば,オーストラリアのアボリジニーが青年男子のイニシエーション儀礼として挙行するバンバ儀礼を例として見ることができる。青年は仮面あるいは装束をつけ,身体に赤と白の顔料で装飾を施される。これらは,始源の時におけるトーテム先祖を再現する記号であり,儀礼そのものも,ジュグルバ--夢あるいは夢の時--と呼ばれる神話時代の先祖の旅と行為,例えば先祖の性行為とトーテム動植物の出産繁殖の再現である。地表に描かれた円環の文様,あるいは白アリ・トーテムの先祖にまつわる儀礼における白アリの巣を表す柱が始源時を再現する舞台装置となる。儀礼の中での,日常とは異質な時間空間の現出,舞台装置,神話的物語の筋立ての中心に仮面がある。儀礼への参加者は,専門化した俳優ではなく,仮面をつけることによって他の存在となり,仮面をはずすことによって通常の人にもどるが,仮面を用いる儀礼と仮面劇とはその構造において交錯しあう。同じことは,アフリカ,メラネシア等に見られる仮面結社によって行われる祭礼,日本や西欧にも見られる仮面を用いた祭礼についても言える。
記号論の立場から民衆演劇を研究したソ連のボガトゥイリョフP.G.Bogatyryovは,民衆演劇における仮面の役割として,まず次の2点をあげている。第1に,さまざまな要素のちぐはぐな結合による幻想的な表現効果の活用,これは特に年の変り目の祭りに出現する一種の悪鬼ペルヒトの仮面に見られる。また,不自然に長く豊かな髪,顔を塗りつぶす白粉の使用もこうした効果を狙い,仮面と同じ意味をもちうる。第2に,仮面および化粧は,登場人物の表現と同時に演じている者がだれであるかを見分けがたくする効果を持つ。この効果は,日常生活の中で人々が互いに見知っている村落などで行われる民衆演劇において重要である。つまり,仮面および化粧,衣装は,非日常の存在を強烈な視覚的効果(独特な声という聴覚効果もある)で印象づけると同時に演じる者の身元を覆いかくすのであり,こうして,時間空間の劇構造への変換が行われるのである。仮面による身元の消去は同時に,通常を超えた者としての行動の解放をも可能とする。それは,単に身振りの面にとどまらず,通常の行動規範--日常生活で強いられた礼儀作法--からの〈逸脱〉を許すのである。
ボガトゥイリョフはさらに,仮面が祭礼における仮面人物の度はずれの行動,とりわけ道化的人物の行き過ぎたいたずらを可能にすること,さらに,それ自体表情を固定された仮面が逆に暗示によって,日常生活の中では起こりえない感情の振幅の拡大を可能にすると指適している。仮面劇の中での仮面は,見る者のもつ感情の識閾を動揺させ解体し,ふだん深層に退蔵されている人々の感受性(日常生活の規準からすれば過度の強度をもった感受性)を誘い出す媒体となるのである。以上の効果は,単なる化粧では実現しにくく,仮面によってこそ優れて実現しやすいものであろう。
仮面劇は,このような仮面の効果を生かし,日常との距離がきわめて大きい神話的物語の劇化となる例が少なくない。そして,神話的テキストを得て,儀礼から独立した仮面劇が生成してくる。ある範囲で共有された神話物語が実現される際に,その様式の差異が(舞踊等の差異ももちろんだが),仮面の様式の差異として眼につく表現を与えられることもある。インドから南アジアにかけて,ヒンドゥー文化に起源するさまざまな神格の行為,叙事詩《ラーマーヤナ》《マハーバーラタ》を基礎とする仮面が地域ごとに独自の様式によって洗練されて,また地域固有の要素と結びつけられ,固有の演劇の文脈に編みこまれているという事実は,この点から見て大変興味深い。南インドの〈チョウ〉(紙と粘土で成形した仮面を用いる,《ラーマーヤナ》等に基づく民衆劇)のさまざまな様式,スリランカの〈コーラム〉,ネパールの〈ナバ・トゥルガー〉,タイの〈コーン〉および〈ラコーン〉,インドネシアの〈ワヤン・トペン〉は,共通の基礎の上に,多様な仮面劇の世界を作り上げている。
アジアにはこのほかにもインドネシア,バリ島のバロン仮面舞踊劇,悪疫をもたらす魔女ランダ(チャロンアラン)と戦い調伏するチャロンアラン劇,朝鮮のさまざまな仮面劇(タールツィム)があり,日本にも祭礼と結びついた神楽が各地に伝承されている。中国の現代京劇にも仮面の人物が登場する。
→仮装 →仮面 →儀礼
執筆者:渡辺 公三
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…どちらにも女優は登場せず,女の役は声変り前の少年が演じたが,私設劇場には少年だけの劇団が出演することもあった。また,17世紀に入ると,宮廷や貴族の屋敷ではイタリアの影響を受けて複雑な装置を用いる仮面劇が素人の出演者によって行われるようになった。1642年,ピューリタン革命のさなかに議会が劇場の閉鎖を命じたため,イギリスにおける本格的な劇の上演はしばらくとだえた。…
…彼らの作品は移り変わる観客の嗜好と人気の波にもまれつつ,時に10に及ぶ数の劇場で上演され続けたが,ピューリタン革命勃発後の1642年にロンドン中の劇場が閉鎖されることになって,エリザベス朝演劇はその幕を閉じた。なお,こうした大衆演劇とは別に,おもに宮廷や貴族の邸宅でしばしば上演された仮面劇もまた,この時代に完成を見たもう一つの演劇的ジャンルとして,無視することはできない。【笹山 隆】。…
…百済も同じく大陸系統の散楽百戯の影響をうけたが,特に〈伎楽〉を7世紀初めに日本に伝えたことは特記すべきであろう。この百済の伎楽が現在の韓国における仮面劇の母体であるとの説もある。新羅は7世紀の後半に三国を統一し,加羅(伽倻),百済,高句麗などの舞楽を集成し,剣舞,無(むがい)舞,処容舞,五伎などの形で後世に伝えた。…
…
[歴史]
ダンスの歴史は人類の発生とともに古いが,バレエはルネサンスのころ始まったと考えられている。14~15世紀によくみられた無言劇や仮面劇,幕間狂言(インテルメッツォ)などからイタリアで発生したものであるということは通説となっている。当時の無言劇は,仮装で仮面をつけた数人によって演じられ,観衆を交えずに彼らだけで踊られた。…
※「仮面劇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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