ロシア連邦中部、クラスノヤルスク地方の行政中心都市。エニセイ川の両岸にわたり、左の支流カチャ川が合流する地点に位置し、同川とシベリア鉄道との交点にある水陸空の交通の要地。人口87万7800(1999)。機械製造(起重機、採金用機、林業用機、農機、テレビ受像機)、金属(製鋼、アルミニウム精錬)、金属加工(大企業「シベリア重機」工場、穀物刈入れ用コンバイン製造など)、造船、化学(繊維、合成ゴム、ゴムタイヤ)、製材・パルプ・製紙と絹の両コンビナート、建設資材などの工業がある。ロシア科学アカデミー・シベリア支部の研究所(物理学、林業・木材)、総合大学、単科諸大学(非鉄金属、工業技術、農業、教育、医学)、劇場、博物館などがあって、教育、文化の中心地でもある。
市街の古い中心部はエニセイ川左岸の高い段丘上にあり、右岸は低くて新しい工場と高層住宅地域で、両岸は長さ2100メートルの橋で連絡する。市の南東郊外の「ストルビ」禁猟区は奇形の岩峰が多い観光地。市の上流約40キロメートルのエニセイ川には、クラスノヤルスク水力発電所(1971年計画出力に達し、72年工業利用認可、出力600万キロワット)がある。市の起源は1628年建設のクラスヌイ柵(さく)(砦(とりで))で、のちにクラスヌイ・ヤルと改称した。金の採取業で発達し、シベリア鉄道の建設(1895)以後急速に成長した。帝政時代は政治犯の流刑地。1917年の大革命と同時にソビエト政権が樹立され、その後一時的に反革命軍に占拠されたが、20年初めに再興された。
[三上正利・上野俊彦]
ロシア連邦中部のクラスノヤルスク地方(240万1600km2,人口304万8000,1993)の中心都市。人口91万7195(2004)。エニセイ川中流に臨む。1628年,軍の哨所として建設され,最初クラスヌイ・ヤールKrasnyi Yar(赤い断崖)と呼ばれた。1735年モスクワ街道が通じるようになり,その後金の採掘とシベリア鉄道の建設(1895年この町を通る)にともなって急速に成長した。19世紀には政治犯の流刑地として知られ,デカブリストやレーニンもこの町に流された。ロシア革命後ただちにソビエト政権が成立したが,1918年6月から20年1月まではチェコ軍団と白衛軍によって占領されるところとなった。ソビエト政権の下で,クラスノヤルスクは東シベリア最大の工業・文化都市となり,第2次大戦以前すでに機械製造,造船,採金などの工場が建設された。大戦中はヨーロッパ・ロシアから機関車や農業機械の製造工場がこの町に疎開した。戦後は東シベリアの工業の中心に発展し,機械製造(コンバインなど),化学(合成ゴムなど),冶金(アルミニウムなど)工業が盛んである。町は古くからの左岸と新しい右岸に分かれ,その間のエニセイ川を渡る2km以上の橋がかかっている。また近くには巨大なクラスノヤルスク水力発電所(出力600万kW。1971完成)がある。
執筆者:外川 継男
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シベリアの都市。シベリア鉄道の沿線にあり,イェニセイ川の岸にある。レーニンなど政治犯の流刑地として有名。ソ連時代には工業都市としてシベリア開発の一大基地となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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