クラレンドン法(読み)くられんどんほう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クラレンドン法」の意味・わかりやすい解説

クラレンドン法
くられんどんほう

1164年、イギリスのクラレンドンClarendonにおける会議で、国家と教会との関係を成文化して制定した法律。国王ヘンリー2世は、立法者であると同時に偉大な行政家であったが、1162年大司教テオバルドの没後トマス・ベケットをその後任とした。これは教会を国王に恭順ならしめようとの政策であったと思われる。しかし、ベケットは教会の権威を主張して国王としばしば衝突した。その結果、64年に16か条からなるこの法律が制定された。従来教会に属していた裁判権とその他の権限を国王へ移譲し、教会の力を制限するものであった。その争点は、(1)聖職者の国外退去の制限、(2)国王の許可なく教皇庁に上訴することの禁止、(3)国王の封臣や官吏を破門することの禁止、(4)司教叙階に先だって国王に臣従の礼を誓うこと、などの諸条文であった。ベケットは強要されたことを理由に同意を撤回し、国王の怒りを買い、フランスへ亡命した。このことは、当然教皇および教会側の反発を呼び起こした。これは、教会史上、教会と国家との法的関係を規定するに至った重要なできごとであった。

[朝倉文市]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クラレンドン法」の意味・わかりやすい解説

クラレンドン法
クラレンドンほう
Constitutions of Clarendon

イングランド王ヘンリー2世が 1164年1月クラレンドンの聖俗貴族の大集会で定めた一連制定法。聖職任免に関する争い,聖職者と俗人との土地に関する係争などを国王裁判所の所管とし,また司教により有罪とされた聖職者の州裁判所への引き渡しなどが規定された。教会に対する国王の権力の拡大を意図したもので,これにより国王と大司教トマス・ベケットとの闘争が生じ,トマス・ベケットは殉教した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android