翻訳|clipper
貨物積載能力よりも速力に重きをおいてつくられた快速帆船。〈クリッパー〉には元来,速く動く人(物)の意味がある。18世紀ころまでの帆船は,特殊な軍艦や海賊船を除いてさほど速力を必要としなかった。アメリカ植民地に対するイギリス本国政府の圧政に対抗して独立の気運が高まるとともに,植民地人による密輸船が急増した。政府監視船に捕まらないような快速船であることが密輸船としての条件だったが,ボルティモアのオランダ系移民がヨットを模してつくった帆船の性能が特に優れていたので,これをボルティモア・クリッパーと呼んだのがクリッパーという名称の起りである。本格的な航洋クリッパーは1833年にボルティモアで建造されたアン・マッキムAnn McKimが最初だという。48年に始まるゴールドラッシュで,東部からの採掘者を南アメリカのホーン岬回りで運んだのがカリフォルニア・クリッパーである。
一方,1830年代に入って急膨張した中国沿岸におけるアヘン(阿片)の密貿易で,イギリス商人が中国官憲の手を逃れるために使った快速帆船がオーピアム・クリッパーである。原型はボルティモア・クリッパーに範を取り,スコットランドのアバディーンでつくられたアバディーン・クリッパーである。従来の垂直に近い絶壁のような船首と異なり,波切りのよいえぐり取ったように鋭い船首の形状がアバディーン・クリッパーの特徴で,クリッパー型船首の典型となった。ただアバディーン・クリッパーは沿岸航海用で,波の荒い外洋ではボルティモア・クリッパーなどのいわゆるヤンキー・クリッパーに及ばなかった。49年にイギリスの航海法が廃止されて中国貿易の門戸が開かれたとき,中国からイギリスへ最初の貨物を運んだのもヤンキー・クリッパーで,オリエンタル号は50年,香港・ロンドン間95日という記録を残した。52年ころに始まった中国茶をイギリスへ運ぶティー・クリッパー・レースでも,最初はヤンキー・クリッパーが優勢だったが,アメリカ南北戦争の勃発でイギリス帆船の独壇場になった。ティー・クリッパーは年を追って改良され,69年に出現したカティーサークで頂点に達した。しかし,同じころ開通したスエズ運河によって汽船での中国茶航路が開かれたため,ティー・クリッパーは急速に衰退した。汽船では燃料補給が困難だったオーストラリア航路に転進した帆船は,羊毛を運んでウール・クリッパーと呼ばれた。オーストラリア航路では荒天が多く,速力より安全性を重んじるようになったが,やがて汽船にその地位を奪われ,19世紀末までに姿を消した。
→帆船
執筆者:杉浦 昭典
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…中国の茶,オーストラリアの羊毛を欧米の市場にできるだけ早く運ぶ快速帆船は,それぞれティー・クリッパー,ウール・クリッパーと呼ばれた。〈時間をはさみで切り落とすように短縮する〉という意味の〈クリッパーclipper〉には,輸送にかかる時間はできるだけ少ないほうがよいというモビリティの性格がよく表れている。しかし風を動力として利用する交通手段は,19世紀後半,エンジンを動力とする交通手段に道をゆずった。…
…越冬後の幼虫は,カエデの萌芽のころ,水分を吸収して脱皮し,終齢となってから摂食を再開する。 ミスジチョウ類(英名clipper)には数種の国産種がある。やや大型のオオミスジN.alwinaは年1回の発生,小さな幼虫が越冬し,ウメ,アンズなどバラ科植物を食べる。…
…17世紀から18世紀にかけて海上で覇権を争う海戦に勝利を得るため,帆船技術が著しく進歩したからである。中国の茶,オーストラリアの羊毛を欧米の市場にできるだけ早く運ぶ快速帆船は,それぞれティー・クリッパー,ウール・クリッパーと呼ばれた。〈時間をはさみで切り落とすように短縮する〉という意味の〈クリッパーclipper〉には,輸送にかかる時間はできるだけ少ないほうがよいというモビリティの性格がよく表れている。…
※「クリッパー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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