クリュソストモス(その他表記)Iōannēs Chrysostomos

改訂新版 世界大百科事典 「クリュソストモス」の意味・わかりやすい解説

クリュソストモス
Iōannēs Chrysostomos
生没年:347ころ-407

4世紀の代表的ギリシア教父聖書解釈学者。シリアのアンティオキア生れ。青年期に洗礼受け,修道士となるが,30代の終りに聖職に就く。神学はもとより,ギリシア哲学の素養も深かった。説教の巧みさからクリュソストモス(〈黄金の口〉の意)の呼び名で知られる(ただしこの呼称は後代のもの)。聖書解釈学者としては,アレクサンドリア学派の比喩的,思弁的解釈を退け,アンティオキア学派の伝統を踏まえて字句通りの解釈を主張した。旧約および新約のおもな部分の解釈を説教の形で行い,これがまとめられて主著となった。398年,コンスタンティノープル主教に就任したが,教会政治家としての力量に乏しかったため,アンティオキア教会とアレクサンドリア教会の抗争にまきこまれ,さらに首都の教会の腐敗を攻撃したため,皇妃エウドクシアをはじめとする多数の敵を作った。アレクサンドリア主教テオフィロスは,キプロス島のサラミス主教エピファニオスをそそのかし,カルケドンで〈かしわの樹〉会議(403)を開かせ,クリュソストモスを不敬およびオリゲネス異端のかどで告発した。明らかに不当な告発だったが,クリュソストモスは2度にわたり追放され,ポントス衰弱のため没した。クリュソストモスは東方正教会では最大の教父として尊敬されている。また正教会の主要な典礼もクリュソストモスの名を冠して呼ばれるが,これは本人とは直接の関係はない。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クリュソストモス」の意味・わかりやすい解説

クリュソストモス
Chrysostomos, Jōhannēs; Chrysostom, John

[生]347頃.アンチオキア
[没]407.9.14. ポントゥス,コマナ
コンスタンチノープルの大司教で,説教家,聖書注釈家,聖人,教会博士。 370年キリスト教の洗礼を受けて修道生活に入り聖書を研究。のちアンチオキアに戻り司教となり (386) ,説教活動に従事。彼の死後その雄弁をたたえてクリュソストモスすなわち「黄金の口の」ヨハネと称された。 398年ネクタリオスの後任としてコンスタンチノープル大司教に就任したが,その改革努力が女帝エウドクシアの怒りを買って流謫された (403) 。いったんは許されたが再び小アジアへ追放 (404) 。聖書注釈家としてはアンチオキア学派の代表的存在で,比喩的解釈よりも著者の言わんとする意味を重視し,歴史的方法を用いるものであった。晩餐を重要視したことから聖餐博士の称号をもつ。『司祭論』『彫像について』などの著書がある。

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百科事典マイペディア 「クリュソストモス」の意味・わかりやすい解説

クリュソストモス

ギリシア教父,聖書学者,聖人。コンスタンティノープル主教。名は〈金の口〉の意で,説教の巧みさによる。聖書の比喩的解釈を斥け,字義的解釈を主張した。アレクサンドリア教会との抗争で不当な告発を受け,追放地で没。

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世界大百科事典(旧版)内のクリュソストモスの言及

【テオフィロス】より

…セラピス神殿破壊など,エジプトの異教勢力を精力的に攻撃し,また帝都の司教として急台頭してきたコンスタンティノープル司教座に対抗して,アレクサンドリア大司教座の勢力強化に腐心した。彼が異端として追放したエジプト修道士たちをかくまったコンスタンティノープル司教I.クリュソストモスと争い,反クリュソストモス勢力を結集させ,さらに帝室の支持を得て,403年クリュソストモスを罷免・追放させた。【後藤 篤子】。…

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