翻訳|Guam
西太平洋、ミクロネシア西部にあるアメリカ自治領。マリアナ諸島最南端の島。長さ48キロメートル、最大幅13キロメートル、中央のくびれた部分では6キロメートル、面積549平方キロメートルで、ミクロネシア最大の島である。最高点はラムラムLamlam山の407メートルであるが、島の北半部は標高150メートル程度の高原状をなす。人口15万4805(2000)。うち約2万人はアメリカ軍関係者とその家族である。火山性の肥沃(ひよく)な土壌に恵まれ、ココナッツ、カカオ、パイナップル、米、タバコが栽培されるほか、果実類の産出も多く、ウシ、スイギュウ、ヤギなどの飼育も行われる。他方、漁業はあまり盛んではなく、むしろ水産物の島内消費の95%を輸入している。
先住民はチャモロ人で、かつて強大な部族社会を形成したが、1521年マゼランが到達、1565年にはスペインが領有を宣言した。アメリカ・スペイン戦争の結果、1898年にアメリカ領となった。東京から南へ2170キロメートル、マニラから東へ1950キロメートル、ホノルルから西へ5300キロメートルという位置にあって戦略上の要地であるため、島の北東部にはアンダーソンAnderson空軍基地、島の中西部アプラApra港には海軍基地が置かれている。第二次世界大戦前の日本では大宮島とよばれ、大戦中の1941年(昭和16)日本軍が占領、44年アメリカ軍に奪還され、日本軍守備隊は壊滅した。以後、アメリカ軍の重要拠点となったが、同時にその位置的有利さから、戦後の1960年代以降観光に力が注がれ、日本からの観光客が急増した。首都ハガニアは島の中央部西岸にあり、その東のアガニア・フィールドAgana Fieldにグアム国際空港があり、ハガニアの西のアプラ港とともに、国外・国内の交通の要衝となっている。島の東岸にはグアム大学があり、これはミクロネシアにおける最高学府である。1972年(昭和47)1月24日、旧日本兵横井庄一(しょういち)が終戦後26年ぶりで発見された。
[大島襄二]
太平洋西部のマリアナ諸島南端に位置するアメリカ領の島。ミクロネシアでは最大の島で,面積541km2,日本の淡路島よりやや小さい。人口15万4800(2000)。南北に細長く,北部は高原であるが,南部は密林に覆われる。しかし最高峰ラムラム山でも標高405mにすぎない。気候は温暖で,6~11月は南西風で雨が多く,他の6ヵ月は北東風が吹き雨が少ない。平均年降水量1780mm,年平均気温27℃。1521年世界一周途上のマゼランによって発見され,1668年正式にスペイン領となった。島民による盗難に悩まされたスペイン人は,ラドロネス島(泥棒島)と名づけた。当初カトリックの布教は受け入れられず,住民はスペインに対して幾度か抗戦を試みたが,17世紀末までには平定された。この間,戦争,食糧不足,白人がもちこんだ疫病によって人口は激減し,1668年当時の推定人口5万は,1710年にはわずか3678を数えるのみとなった。米西戦争の結果1898年アメリカ領となり,今日に至っている(第2次大戦中の1941年からの3年間は日本軍が占領)。現在は内務省の管轄下にある。主都は西海岸に面するアガニャで,その西には天然の良港で海軍の基地となっているアプラがある。空軍基地は北部のアンダーソンはじめ,島内数ヵ所に置かれている。住民はチャモロ族が大部分を占め,カトリック教徒が多い。英語が公用語であるが,チャモロ語も広く使われている。住民は農・漁業にたずさわってきたが,現在では軍や観光関係の仕事で生計をたてる者も多い。アメリカ本国から食糧,石油,建築材料,アルコール飲料などを移入している。太平洋の交通の要所として,軍事的・経済的重要性をもつが,また手ごろな観光地として日本からの観光客が増大しており,アガニャの北,タムニン湾に臨む海岸地区にはホテルが林立している。島内にはスペイン時代の旧跡もある。
執筆者:青柳 真智子
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