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スペインの作曲家,ピアニスト。アルベニスと並び,同国の民族主義楽派を確立した。カタルニャ地方のレリダに軍人の子として生まれたが,少年時代から楽才を示し,バルセロナでピアノを学んだ。16歳のとき同市音楽院のコンクールで首席を得たのち,ペドレルに作曲を師事,その後パリでC.A.deベリオにつく。帰国後バルセロナでピアニスト,作曲家として名をあげ,20歳代後半に《スペイン舞曲集》を発表して地歩を確立。その後もピアノ曲のほか歌劇,歌曲を主に多くの作品を書いた。1900年代に入ってのちバルセロナに〈アカデミア・グラナドス〉を建て,後進の指導にも力をつくした。また,しばしばパリでリサイタルを催し,1911年作曲のピアノ用組曲《ゴイエスカスGoyescas(ゴヤの絵風の情景)》はとくに高い評価をえた。彼はこれを歌劇にも改作,そのニューヨーク初演に立ち会うため16年渡米したが,帰途,乗り合わせたイギリス汽船がドイツ潜水艦に沈められ,妻とともに絶命した。グラナドスの作品はスペインの民族色をよく生かすと同時にロマン的な情緒にすぐれ,《ゴイエスカス》ほか代表的作品にはこの二要素の高度な融合が見られる。
執筆者:浜田 滋郎
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スペインの作曲家、ピアノ奏者。アルベニスとともに近代スペイン民族楽派を代表する。レリダに生まれる。バルセロナでプホールとペドレルにピアノを学んだのち、パリでドゥ・ベリオに師事した。1889年バルセロナに戻り、グリークのピアノ協奏曲と自作の『スペイン舞曲』でデビュー、その後もピアニストとしてサン・サーンスやカザルスと共演するなど演奏活動を活発に行う一方、1901年には「アカデミア・グラナドス」を創立、後進の育成に努めた。
作曲家および演奏家としての名声は、1914年に自作を集めてパリのサル・プレイエルで開いた演奏会で頂点に達する。このときの主要曲目は、彼の代表作であるピアノ組曲『ゴイェスカス』2巻6曲(1911)であった。ゴヤの絵から霊感を得たこの傑作は、16年にオペラとして再構成され、第一次世界大戦のためニューヨークで初演が行われ大成功を収めたが、その帰途、乗り合わせたイギリス汽船サセックス号がドイツ軍の潜水艦によってイギリス海峡で撃沈され、同年3月24日妻とともにこの世を去った。彼の作品では、スペインの風俗や男女の物語が独特の香気をもって描かれている。その他の代表作はピアノ曲『スペイン舞曲集』2巻(1900)、オペラ『マリア・デル・カルメン』(1898)、歌曲集『トナディーリャス(スペインの粋(いき)な小唄(こうた)集)』(1912)、『愛の歌曲集』(1914)など。
[関根敏子]
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
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