グラーツ(英語表記)Graz

デジタル大辞泉 「グラーツ」の意味・読み・例文・類語

グラーツ(Graz)

オーストリア南部、シュタイアーマルク州の都市。同州の州都で同国第二の都市。13世紀末からのハプスブルク家による支配とともに発展した。赤い煉瓦れんが屋根の街並み、時計台、ルネサンス様式の州庁舎、後期ゴシック式グラーツ大聖堂バロック様式の霊廟れいびょうなどが、長い歴史に彩られた景観をつくる。旧市街が1999年に「グラーツ市歴史地区」として世界遺産文化遺産)に登録。2010年にエッゲンベルク城拡張登録された。

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改訂新版 世界大百科事典 「グラーツ」の意味・わかりやすい解説

グラーツ
Graz

オーストリア南東部,シュタイアーマルク州の州都。人口24万0278(2005)。標高365m,ウィーンの南南西130km。ムールMur川の両岸に市街地がひらけ,ハンガリースロベニアクロアチアにいたる交通上の要地。周域の林・鉱業資源を背景に,鉄鋼,車両,製紙,光学器械,印刷などの工業が盛ん。左岸の旧市街には総合大学(1586創設),工科大学,ゴシック風のドーム(1438-62),州会議事堂(1527-67),武具庫(1643-45),オペラ劇場,州立博物館Joanneumなどがある。シュロスベルク(473m)の城跡には,時計台(1561)と鐘楼(1588)が残っている。グラーツは10世紀後半にシュロスベルクに築かれた砦に由来し,その名は小さな砦を意味するスラブ語gradecにちなむ。1130年ころ豪族シュテュービングStübing家が本格的な居城を造営。12世紀後半,市場町と商人定住区が成立。12世紀末オーストリア大公バーベンベルクBabenberg家の手に移り,1233年に都市法を取得。同家断絶後,一時ハンガリーの支配に服したが,79年ハプスブルク家が都市君主となる。1379年以来同家の傍系が治める領邦シュタイアーマルクの主都昇格。15,16世紀に城塞を固め,ハンガリー,トルコ襲来を切り抜けた。1564-1749年の間,広域の〈奥地オーストリアInnerösterreich〉の主都。17世紀にバロック風建築の盛行が今日の都市景観を決定する。ナポレオン戦争で城は取り壊され,跡地は1840年に公園になった。19世紀後半~20世紀初めには典型的な〈年金生活者の町〉となり,その後市域の拡大と工業化が進んだが,第2次世界大戦で一時中断した。現在はオーストリア第2の都市となっている。
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世界遺産情報 「グラーツ」の解説

グラーツ

シュタイヤマルク州の州都グラーツはオーストリア第二の都市。グラーツという名称は、スラブ語のグラデツ(小さな城)に由来します。15世紀にハプスブルグ家の居城が置かれ、今も街の中心に大きな武器庫が残っています。1999年に世界遺産に登録されたグラーツの旧市街はムーア川の東岸ハウプト広場から東に広がるエリア。中世の雰囲気を残す旧市街にはバルカン半島とイタリアの文化の影響を受けた様々な建築様式の建物が立ち並んでいます。

出典 KNT近畿日本ツーリスト(株)世界遺産情報について 情報

百科事典マイペディア 「グラーツ」の意味・わかりやすい解説

グラーツ

オーストリア南東部,シュタイアーマルク州の州都。中世の名称はバイリッシュ・グレーツ。機械,鉄道車両,ガラス,革製品,ビール,繊維などの工業が行われる。15世紀の聖堂,1586年創立の総合大学,多くのルネサンス様式建築があり,城山の時計塔(16世紀)が市の象徴となっている。歴史地区は1999年世界文化遺産に登録された。26万1726人(2011)。

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