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グラーム Martha Graham

世界大百科事典 第2版の解説

グラーム【Martha Graham】

1893‐1991
アメリカモダン・ダンス界を代表する舞踊家の一人。グラハムとも。デニショーンスクールで舞踊を学び,デニショーン舞踊団に参加するが,1923年にはショービジネスの世界に進出する。しかしすぐにイーストマン音楽学校で教鞭をとり,26年には第1回のソロ・リサイタルニューヨークで開くなどの多面的な活動をする。そして27年にマーサグラーム現代舞踊学校を設立したが,これはアメリカにおけるシステマティックな現代舞踊教育の嚆矢となるのである。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

グラーム

グラハム」のページをご覧ください。

グラーム
ghulām

少年または召使い,特に奴隷の召使いを意味するアラビア語。歴史的には,西アジアインドイスラム諸国家において君主の親衛兵として仕え,やがて軍隊や宮廷内に勢力をもつにいたったいわゆる「奴隷軍人」をいう。主として北方ユーラシア草原のトルコ系遊牧民出身者から成るが,のちにはグルジア人アルメニア人,シルカシア人,さらにはスラブ人からも徴発された。9世紀中頃,アッバース朝カリフ,ムータシムが 3000人のトルコ人奴隷を親衛兵とするためにサマルカンドより購入して以後,イスラム諸国家において重用されるにいたった。彼らは,騎馬,弓射に巧みな戦士であるうえに,当該地になんら利害関係がなく,主人たる君主に対して絶対的忠誠を誓うという利点から,中央集権を目指す君主の親衛兵として最適であった。彼らは君主から軍事教練のみならず,学問的素養をも与えられたのち,要職につけられ,やがてサーマン朝ガズニー朝セルジューク朝エジプトファーティマ朝マムルーク朝,さらにインドのデリースルタン諸王朝などイスラム諸国家の行政機構を支える重要な基盤となった。しかし,彼らはしばしば軍閥を形成して互いに争い,政治的混乱や国家の滅亡をもたらすことが多く,ときにはみずから政権を樹立することもあった。エジプトのトゥールーン朝イフシード朝,マムルーク朝,イランのガズニー朝,ホラズム・シャー朝,インドの奴隷王朝などはいずれもグラーム出身者によって建てられたものである。その後イランでは,サファビー朝カージャール朝においてなお重用されたが,19世紀に西欧の影響下に廃止された。一方,オスマン帝国においては,イェニチェリ軍団の成員として 16世紀に最も大きな勢力を有したが,17世紀末のバルカンでの敗退後重要性を失い,19世紀に西欧風の宮廷組織の採用とともに廃止された。

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世界大百科事典内のグラームの言及

【マムルーク】より

…黒人奴隷兵(アブド)に対して,トルコ人,チェルケス人,モンゴル人,スラブ人,ギリシア人,クルドなどのいわゆる〈白人〉奴隷兵を指す。グラームghulāmともいう。8世紀初めにアラブ軍がアム・ダリヤ以東に進出してイスラムの支配権を確立すると,多くのトルコ人が戦争捕虜や購入奴隷としてイスラム世界にもたらされた。…

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