グルベル(英語表記)Guldberg, Ove Höegh

  • 1836―1902
  • Cato Maximilian Guldberg
  • Guldberg, Caro Maximilian

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]1731.9.1. ホルセンス
[没]1808.2.7. ハルト
デンマークの政治家,神学者。無能で病弱な国王クリスティアン7世の治世前半を牛耳り,保守的態度をとる。 1784年皇太子フレデリック (のちのフレデリック6世) が父王に代って王権を執行することになり,罷免された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ノルウェーの化学者、数学者。クリスティアニア(現在のオスロ)に生まれる。1859年大学卒業後、クリスティアニアの中等学校教師、続いて王立軍事アカデミーの数学教師となる。1861年に奨学金を受けてフランス、スイス、ドイツに留学した。1869年からクリスティアニア大学の応用数学教授を務めた。義弟の実験家ボーゲと協力して化学親和力の研究を進め、物理化学の基礎法則である質量作用の法則を1864年に発表した。初めこの発表は外国の科学者にはほとんど知られなかったが、10年以上のちにオストワルトにより実証され、またファント・ホッフがまったく別に同法則を導き、一般に認められた。分子運動論の見地から気体、液体、固体の状態方程式を研究し、1867年にはファント・ホッフに先だって理想気体の状態方程式を提出した。この研究は晩年に至るまで続けられ、他方、合金や塩類の溶融状態も研究し、合金の融点、熱の仕事当量などの論文を発表。その後、大気の運動に関する気象学の基礎的研究を発表するなど、多岐にわたる研究活動の一方、社会的活動にも貢献。クリスティアニアの工芸協会長、同科学アカデミー院長を務め、多くの実際的問題で大衆啓蒙(けいもう)に努力した。1870年には王立ノルウェー科学協会委員に推され、ノルウェーがスカンジナビア諸国に先んじてメートル法を採用するに際しても重要な役割を果たした。これらの活動により、多くの勲章を受け、ノルウェーの国民的科学者の一人である。[後藤忠俊]

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化学辞典 第2版の解説

ノルウェーの数学者,化学者.1859年クリスチャニア大学を卒業後,中等学校などの教職を経て,王立軍アカデミー(1863~1902年)と王立フレデリック大学(現オスロ大学)(1869年から)で教えた.その間,義理の兄弟であったP. Waage(ウォーゲ)とともに化学親和力の研究を行い,化学反応にかかわる質量・濃度の影響を指摘したC.L. Berthollet(ベルトレ),反応速度を定義したL.F. Welhemy,化学物質生成における反応速度のさまざまな条件を検討したP.E.M. Berthelot(ベルトロ)などの仕事に,平衡定数という形の定式化をすることで,一段落をつけた貢献は大きい.かれらは,1864~1879年に発表した諸論文で,現在,われわれが知る今日の形の質量作用の法則を示している.同法則はF.W. Ostwald(オストワルト)の紹介で一般に知られるようになった.ほかにも金属の溶融,とくに合金の組成と融点との関係についての研究,分子運動の一般状態式を求める研究,溶液解離を熱力学的に扱った研究などがある.市政にも参画した.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報