オランダの化学者。ロッテルダムに生まれる。立体化学の創設者であり、化学平衡の熱力学、溶液論などの業績で著名。オストワルト、アレニウスと並ぶ、1870年代以降の物理化学の建設者。1901年第1回ノーベル化学賞の受賞者となった。
デルフトの工科学校からライデン大学で数学を学び、ドイツに移りボン大学でケクレについて学び、さらにパリ大学でウュルツの指導を受けた。1874年帰国、ユトレヒト獣医学校に勤め、のち1878年アムステルダム大学、1896年ベルリン大学教授となった。
ファント・ホッフの三大業績といわれるもののうち最初にあげられるのは、立体化学の創設である。1874年帰国直後、彼は、炭素原子価の正四面体構造と不斉炭素原子の仮説を提唱した画期的な論文を書いた。この前年、ウィスリツェヌスは化学構造について幾何異性の概念を提唱し、分子の立体構造への示唆を与えていた。それを具体化し、立体化学への道を開いたのがこのファント・ホッフの業績であった。この仕事と基本的に同じ成果が、偶然であるが、まったく独立に、彼とともにウュルツの下で学んだル・ベルによって同年に発表されている。立体化学創設の功績は2人に帰せられる。
1870~1880年代に物理化学の古典的基礎が確立された。その理論的な土台となったのが熱力学である。化学平衡一般の熱力学的解明は、原理的にはギブス、ヘルムホルツによってなされていた。しかし、化学平衡の熱力学的取扱いを具体的に示すことにより、化学者が広く熱力学を受け入れ、使うことができるようにしたのはファント・ホッフの業績であり、1884年に発表された「化学動力学の研究」と題する論文がそれである。この論文で彼は、質量作用の法則などの熱力学的導出を行い、真に化学にとって有効な熱力学的平衡理論を打ち立てた。化学熱力学がここに確立された。
彼の第三の重要な業績は、1885~1887年に発表された希薄溶液理論である。彼は、溶液の浸透圧現象と気体法則との類似性をとらえ、「理想溶液」の概念を定立し、今日に至る熱力学的溶液論の出発点を与えた。その名は、電解質溶液におけるファント・ホッフ係数として残っている。
[荒川 泓]
オランダの化学者.1869年デルフト工科専門学校の3年課程を2年で終え,数学と哲学に強い関心を示した.1871年ライデン大学に入学,おもに数学を学び,その後,ボンのF.A. Kekulé(ケクレ),パリのC.A. Wurtz(ウルツ)のもとで研究を行った.1874年オランダに戻り“不斉炭素の理論”を発表,同年ユトレヒト大学から有機化学研究で学位を取得.翌1875年不斉炭素の理論を著書「空間における化学」として出版,各国語に翻訳された.同書で炭素化合物の正四面体型構造を提唱し,不斉炭素原子の概念を導いて立体化学の基礎を築いた.1877年アムステルダム大学の理論および物理化学講師に着任,翌1878年の教授就任演説で,科学研究における想像力の重要性を力説した.1877年から化学熱力学と化学親和力の理論的研究に従事し,1883年質量作用の法則を導き,化学親和力を化学反応によってもたらされる最大仕事と規定した.また,1884年化学平衡の平衡移動に関するファントホッフ-ルシャトリエの原理に達した.これらは同年の著書「化学反応論」にまとめられ,化学熱力学の古典となった.そのなかで,ファントホッフの定積反応式を導き,化学平衡を表す双方向矢印を導入した.1886年植物学者W.F.P. Pfefferが実験的に発見した希薄溶液の浸透圧に関する法則を説明した.すなわち,希薄溶液にアボガドロの法則をあてはめ,その浸透圧が理想気体についてのボイル-ゲイ-リュサックの法則(状態方程式)と同様の法則に従うことを導いた.その後,1896年ベルリン大学に招かれ,大洋堆積物形成過程に相平衡理論を適用して論じ,ドイツにおけるカリウム生産に貢献した.溶液の浸透圧理論と化学反応論の功績で,1901年第1回ノーベル化学賞を受賞した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新