ケネディ家(読み)ケネディけ

改訂新版 世界大百科事典 「ケネディ家」の意味・わかりやすい解説

ケネディ家 (ケネディけ)

アメリカ合衆国第35代大統領J.F.ケネディ一族。1840年代アイルランドの飢饉に際し,曾祖父とともにボストンに移住してきた祖父Patrick J.Kennedyは成功して酒場の主人となり,アイルランド系移民票を背景にボストン政界に進出した。父Joseph Patrick Kennedy(1888-1969)は銀行家,実業家として成功,ボストン市長の娘と結婚,映画産業でも名をなし,1932年の選挙でF.D.ローズベルトを支援,37年より40年までイギリス大使の職にあった。彼は息子たちの政界での出世に期待をかけていたが,長男Joseph Patrick Kennedy,Jr.は戦死,次男ジョンが父の期待にこたえて,46年の下院議員当選を出発点として,上院議員,そして61年ケネディ一族,広くはアイルランド系アメリカ人待望のホワイト・ハウスの主となったが,63年暗殺される。弟ロバートRobert Francis Kennedy(1925-68)は,1950年代上院委員会の専門委員として名をあげ,60年の選挙では兄を助け,61年には弱冠35歳で司法長官に任命され,市民権擁護などで活動,兄の死後ニューヨーク州選出上院議員,68年の大統領選挙に立候補したが暗殺される。ケネディ兄弟中最も有能,俊敏とみなされていた。末弟のエドワードEdward Moore Kennedy(1932-2009)もマサチューセッツ州選出の上院議員となり,民主党リベラル派のホープとして大統領選挙ごとに下馬評にのぼるが,まだ候補に指名されたことはない。ケネディ一家は,日本ではその〈名門〉性に注目されているが,アメリカ史の文脈で見るならば,ケネディ家の歩みはボストンのスラムからホワイト・ハウスへという立身出世の物語であり,またアメリカの人口構成におけるワスプの相対的低下,そしてカトリック系の増大を物語るものである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケネディ家」の意味・わかりやすい解説

ケネディ家
ケネディけ
Kennedies

スコットランド南西部の有力な家系。 14世紀に族長としての地位を認められ,15世紀にケネディ卿,16世紀にカシリス伯家となった。2代伯ギルバート (1527没) は複雑な貴族たちの勢力争いのなかで斬殺された。その子の3代伯ギルバート (17?~58) はジェームズ5世臣下で,1542年ヘンリー8世の軍とソルウェーモスに戦って捕虜になり,釈放後は親イングランド派に転じた。 54年大蔵長官。 58年メアリー・スチュアート輿入れのお供をしてフランスにおもむき,帰途ディエップで病死。その子の4代伯ギルバート (41?~76) は,フランスでアンリ2世の侍従として仕え,メアリー・スチュアートの帰国後,母国で女王派として反女王派貴族と戦い,敗れて投獄されたが,71年には枢密顧問官に就任。その子の5代伯ジョン (67?~1615) は大蔵長官をつとめ,その甥の6代伯ジョン (1595?~1668) は長老派支持貴族で,枢密顧問官をつとめ,1649~50年亡命中の皇太子チャールズ2世との提携交渉にあたった委員の一人。7代伯ジョン (46?~1701) はローダーデール (公)支配に反抗して法益を剥奪されたが,名誉革命後,枢密顧問官,大蔵卿に任じられた。

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