ドイツの教育行政官,教育学者。10余年間のギムナジウム教師としての実践を経て,1895年から1919年まで生誕地ミュンヘン市の視学官を務め,とりわけ実業補習学校(職業学校の前身)の改革を推進し,ドイツに固有な職業教育制度の基礎を培った。さらに1918年から病死するまで,ミュンヘン大学の教授として教育学の理論的研究に専念した。教育理論史上に顕著な彼の主張は労作(作業)教育説と公民教育説である。彼は学校改革のモデルとして労作学校(作業学校)の創設を提起したが,単なる知識の伝達よりも,集団的な手仕事的作業を通しての技術的・精神的・道徳的諸能力の発達を重視した。また,このような作業共同体における集団的訓練を通して,勤勉,忍耐,献身などの諸徳を形成し,倫理的共同体としての国家に忠実な公民の育成という意味での公民的陶冶を行うべきことを主張した。彼の教育説は,大正から昭和初期にかけて日本にも大きな影響を与えた。公民教育説については,有機体的国家観に基づくものであり,帝国主義段階における体制維持的性格の理論であるとの批判が加えられているが,今日,労働(作業)と教育の結合という基本問題を考える場合,彼の残した理論的業績はなお検討に値するものといえよう。
執筆者:平野 正久
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ドイツの教育学者。国民学校の助教師を経てミュンヘン大学で人文、自然科学を学び、ギムナジウムに勤めた(1881~1895)のち、ミュンヘン市の学務官として広範な教育改革を推進した。一方、同大学の正教授として教育学を講じながら(1918~1932)「ドイツ教育教授委員会」の議長として多大の影響を与えた。将来の国家を担う国民形成のための公民教育の重要性を指摘し、主著『労作学校の概念』(1912)では手工的労作、精神的労作による勤勉、忍耐などの精神的諸徳形成としての労作教育を主張した。労作協同体を介しての公民教育論は、日本の大正期を中心とした新教育運動にも、その理論的・実践的影響を及ぼした。晩年、文化教育学の影響を受け、文化のもつ価値意識形成の意義を重視するようになった。
[舟山俊明]
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…旧来の主知主義的・受動的教育を基調とする学習学校Lernschuleに反対し,手工的労作を基本にあくまで児童生徒の自発的活動を重視する教育を実践した。この教育運動の有力な推進者であるG.ケルシェンシュタイナーは,労作教育を共同体や国家に貢献する人間形成のための重要な活動としてとらえ,手工的労作のみならず,自由な自己活動による精神的労作との協働を主張した。日本では1922年からの欧米留学から帰国した北沢種一(1880‐1931)が東京女子高等師範学校の付属小学校に労作教育を全面的にとりいれた。…
※「ケルシェンシュタイナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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