19世紀以降、近代市民社会・国家が自らを再生産するために、近代市民・国民意識を意識的に保持した担い手を育成することを目的とした教育。つまり、社会・国家の現実や理想に関する、政治的、経済的、社会的な知識を習得し、それに従って行動する態度をもった市民・国民に青少年を育成する教育のことである。
[池野範男 2023年9月20日]
近代市民社会・国家が、産業市民層の成熟度によってイギリスやアメリカやフランスの先進型と、ドイツや日本などの後進型に類型されるように、近代の公民教育も「先進型」と「後進型」とに分かれる。先進型公民教育は、ルネサンスや啓蒙(けいもう)思想の普及を通して個人主義を経験することによってデモクラシーを理念としてもち、国家権力から自由な市民citizen(英語)、citoyen(フランス語)を育成する。後進型公民教育は、個人主義を十分に経験せずに、先進諸国の帝国主義的資本主義に対抗する必要からナショナリズムを理念としてもち、国家への忠誠心をもった国民・公民Staatsbürger(ドイツ語)を育成する。日本の公民教育は後進型で始まり、第二次世界大戦後、先進型へ転じた。
[池野範男 2023年9月20日]
公民教育は学校教育全体で行われるだけでなく、「公民科」などの教科を特設しても行われる。教科としては、憲法、法律、政治制度、経済機構、社会組織などについての教科内容が重視される。したがって、公民教育は市民社会・国家の発達とともに成長しその社会・国家を発見し基礎づけてきた社会諸科学の内容を取り込み、実証性や批判性などの社会科学の要求をいれ、社会科学教育としても機能する。
第二次世界大戦後の日本では教科としての公民教育は、社会生活を理解し、「民主的、平和的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民的資質」(の基礎)を養うと規定された社会科を中核に行われてきた。とくに中学校の「公民的分野」や、1989年度(平成1)から高校で実施されている「公民科(現代社会〈2022年度より「公共」として実施〉、倫理、政治・経済)」がその中心になっている。20世紀後半の公民教育は、単に基本的な政治、経済、社会だけでなく、現代民主主義社会・国家の発展に伴い現れてきた現在の社会問題(科学技術、環境、国際社会、平和、人権など)をも内容とした学習を必要としていた。公民教育が教科として行われる際には、多様な内容をどのように体系づけ指導するかという問題と、公民教育が要請する態度形成をどのようにその教科内で保証するかという問題が、課題として残されている。
冷戦が終了し、21世紀になって、世界の公民教育は大きく変容した。とくに、EU(ヨーロッパ連合)を中心に、国家・社会のグローバル化に対応し、その構成員教育の様相を変化させている。ヨーロッパ諸国における公民教育は、国家・社会の構成員としてのシティズンシップからヨーロッパの構成員としてのシティズンシップへ転換し、多次元的・多重的な国民・市民・公民に青少年を育成する教育を求めている。日本の公民教育も、選挙権年齢の18歳への引下げに伴い、若い世代もより積極的な社会意識を求められるなかで、国家や社会の構成員の教育のみならず、グローバルな社会、あるいは地域社会などの多様な次元の一員として個々人を育てる、多元的なシティズンシップ教育として進めることが課題として要請されているのである。
[池野範男 2023年9月20日]
『関口泰著『公民教育の話』(1946・文壽堂出版部)』▽『G・ケルシェンシュタイナー著、玉井成光訳『公民教育の概念』(1981・早稲田大学出版部)』▽『片上宗二編著『敗戦直後の公民教育構想』(1984・教育史料出版会)』▽『蝋山政道・関口泰・川本宇之介他著『社会教育基本文献資料集成――社会教育理論の形成と展開』8冊(1992・大空社)』▽『松野修著『近代日本の公民教育――教科書の中の自由・法・競争』(1997・名古屋大学出版会)』▽『新海英行編『現代日本社会教育史論』(2002・日本図書センター)』▽『嶺井明子編著『世界のシティズンシップ教育――グローバル時代の国民/市民形成』(2007・東信堂)』▽『日本公民教育学会編『公民教育事典』(2009・第一学習社)』▽『小玉重夫著『教育政治学を拓く 18歳選挙権の時代を見すえて』(2016・勁草書房)』▽『唐木清志著「社会科における主権者教育――政策に関する学習をどう構想するか」(『教育学研究』2017年第84巻第2号所収・日本教育学会)』
公民ということばは,きわめて日本的で,日本社会の特異性からきており,もともと市民(英語citizen,フランス語citoyen,ドイツ語Staatsbürger)といったほうがよい。市民を意識的に育成することによって,社会の秩序の維持と発展をめざす教育を公民教育と呼ぶ。近代的市民が形成される前にも,国がその市民を市民的義務をはたすように教育すべきだという考え方はギリシア都市国家時代からあった。しかし近代的市民社会が形成されるまで,近代的意味での公民教育は成立しない。フランスの絶対王政下でラ・シャロテーが宗教的権力から国家へ教育権を移そうとし,市民性の教育を主張しても,その実現は市民革命をまたなくてはならなかった。
日本で公民教育が本格的にとりあげられるのは,1927年の普通選挙法による総選挙実施のころからであり,31年〈公民科〉が中学校に設置されてからである。ただしそれ以前の1890年から,実業補習学校において職業教育に付随して〈公民トシテ心得ヘキ事項〉を教えようとする公民教育への意向がみられる。1931年におかれた〈公民科〉の内容は,〈憲政自治ノ本義ヲ明ニシ日常生活ニ適切ナル法制上経済上並ニ社会上ノ事項〉というものであり,それまでの〈法制経済〉と大きなちがいはない。しかし37年の改訂によって〈我ガ国体及国憲ノ本義特ニ肇国ノ精神及憲法発布ノ由来ヲ知ラシメテ以テ我ガ国統治ノ根本観念ノ他国ト異ル所以〉を明らかにするという軍国主義的性格が強くなった。戦前日本の教育は,帝国臣民育成という,近代的市民育成とは異なる絶対主義的性格をもっていたが,公民教育も基本的にはその性格から自由ではなかった。
45年8月の敗戦後,戦前日本の絶対主義的性格が反省され,近代的民主主義的市民育成こそが戦後日本社会に欠くことのできない条件とされた。そして同年10月〈公民教育刷新委員会〉が組織され,包括的な公民教育が企図されたが,47年の学制改革にともない公民教育は社会科教育の一環として統合された。社会科において〈公民的分野〉が,それまでの〈政治・経済・社会的分野〉にかわって登場するのは69年からである。そして77年,78年の学習指導要領改訂において,小・中・高の社会科教育目標が〈公民的資質〉の育成ということで統一されるが,その際に従来の教育目標から〈基本的人権の自覚〉の項目が削除されたことに注意すべきである。
→社会科教育
執筆者:臼井 嘉一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…さらに1918年から病死するまで,ミュンヘン大学の教授として教育学の理論的研究に専念した。教育理論史上に顕著な彼の主張は労作(作業)教育説と公民教育説である。彼は学校改革のモデルとして労作学校(作業学校)の創設を提起したが,単なる知識の伝達よりも,集団的な手仕事的作業を通しての技術的・精神的・道徳的諸能力の発達を重視した。…
※「公民教育」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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