精選版 日本国語大辞典 「ケープタウン」の意味・読み・例文・類語
ケープ‐タウン
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翻訳|Cape Town
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南アフリカ共和国の立法上の首都であり,西ケープ州の州都でもある港湾都市。アフリカーンス語ではカープスタットKaapstadという。大都市域人口310万(2005)。アジア系のケープ・カラードが多い。大西洋とインド洋の境界をなす喜望峰の基部に位置し,テーブル山(標高1086m)のふもとにあってテーブル湾に面している。地中海の気候に似た温帯の気候風土をもつ。1488年バルトロメウ・ディアスが最初のヨーロッパ人として来航して以来,テーブル湾はインドや東南アジア,東アジアに航行する船舶の重要な寄港地となった。17世紀に海運国として発展したオランダは,1652年東インド会社の補給基地を建設するため,ヤン・ファン・リーベークを総督としてこの地にオランダ人の植民地を開き,城砦を築いて港湾施設を整えた。ナポレオン戦争でオランダ本国が占領されたため,1795年イギリスがこの植民地を占領下に置いたが,ナポレオンが敗れると,1803年オランダに返還した。しかし当時海運国としてオランダを凌駕していたイギリスは,06年に喜望峰植民地を自国領土とした。ケープ・タウンの繁栄は1833年の奴隷解放に伴うオランダ系住民の大量流出と,69年のスエズ運河開通によって打撃をうけたが,67年に内陸のキンバリーでダイヤモンド,86年にトランスバールで金が発見されたため,繁栄を取り戻した。20世紀への変り目に起こったボーア戦争(南ア戦争)の被害は少なく,1910年イギリス帝国の自治領南アフリカ連邦成立とともにその連邦議会が置かれた。61年南アフリカ連邦はイギリス連邦を離脱し,南アフリカ共和国となったが,立法上の首都としてのこの都市の地位は変わらない。
ケープ・タウンはこの国の地下資源の多い地域から離れているため,鉱工業面での繁栄はあまり見られず,周辺のブドウその他の農産物や水産物の食品加工が発達し,貿易港としてインド洋岸のダーバンと首位を争っている。市内には議会,州政府庁舎,博物館,美術館,植物園,ケープ・タウン大学などの政治的文化的諸施設があるほか,17世紀にオランダの建造した城塞や教会その他の史跡もあり,テーブル山や喜望峰とともに,美しい港湾都市として観光客を集める魅力をもっている。
執筆者:西野 照太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
南アフリカ共和国の立法首都,西ケープ州の州都。1652年オランダ東インド会社が築いた基地から始まる。1806年イギリス領となる。先住民系,アジア系のケープ・カラードが多い。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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