ゲンツ(英語表記)Gentz, Friedrich von

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゲンツ」の意味・わかりやすい解説

ゲンツ
Gentz, Friedrich von

[生]1764.5.2. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1832.6.9. ウィーン
ドイツの政治評論家,政治家。初めプロシアの下級官僚として,啓蒙主義を奉じ,フランス革命の正当性を評価したが,やがてジャコバン派の進出とともに反革命に転じ,E.バークの反革命論『フランス革命に関する省察』を独訳,紹介して注目を集めた。 1802年より保守的文筆家としてオーストリア政府に招かれ,イギリス,オーストリアおよびプロシアを糾合してナポレオン1世にあたるよう力説,反ナポレオン政策を主張し続けた。晩年メッテルニヒ片腕となり,ヨーロッパでの各会議に参与し,特にウィーン会議ではメッテルニヒの補佐役として,儀礼の主人公と会議の事務局長を兼ねた。『新ドイツ月刊』 Die neue deutsche Monatschrift (1795) ,『歴史日報』 Das historische Journal (99) ,『ウィーン文学年報』 Die Wiener Jahrbücher der Literatur (1818) などの諸誌を刊行し,主著に『反フランス革命戦争の起源性格について』 Über die Ursprung und Charakter des Krieges gegen die französische Revolution (61) がある。

ゲンツ
Gentz, Heinrich

[生]1766.2.5. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1811.10.3. ベルリン
ドイツの建築家。 K.ゴンダルトの弟子。 1790~95年イタリアで修業ギリシア建築を範とし,新古典主義標榜ゲーテに招かれ,ワイマール選帝侯居城の一部 (1801~03) を制作ほかにベルリンの造幣局 (1798~1800,86破壊) ,ルイゼ王妃霊廟 (10) など。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ゲンツ」の解説

ゲンツ
Friedrich von Gentz

1764~1832

ドイツの政論家プロイセンの官僚時代バークの反革命論を紹介,保守的文筆家としてオーストリアに招かれ,反ナポレオンの論陣を張る。晩年はメッテルニヒの保守政治を理論的に支える存在となった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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