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コスタリカ コスタリカ Costa Rica

翻訳|Costa Rica

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コスタリカ
コスタリカ
Costa Rica

正式名称 コスタリカ共和国 República de Costa Rica。面積 5万1100km2。人口 457万7000(2011推計)。首都 サンホセ中央アメリカ南東部にある国。南北アメリカ大陸を結ぶ地峡部にパナマニカラグアにはさまれて位置し,北東はカリブ海,南西は太平洋に面する。

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デジタル大辞泉の解説

コスタ‐リカ(Costa Rica)

スペイン語で豊かな海岸の意》中央アメリカの共和国。首都サンホセコーヒーバナナを産する。スペインの植民地から1821年独立、48年完全独立。人口452万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

コスタリカ

◎正式名称−コスタリカ共和国Republic of Costa Rica。◎面積−5万1100km2。◎人口−430万人(2011)。◎首都−サン・ホセ(34万人,2006)。

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世界大百科事典 第2版の解説

コスタリカ【Costa Rica】

正式名称=コスタリカ共和国República de Costa Rica∥Republic of Costa Rica面積=5万1100km2人口(1996)=340万人首都=サン・ホセSan José(日本との時差=-15時間)主要言語=スペイン語通貨=コスタリカ・コロンCosta Rican Colón中央アメリカの南部に位置する共和国。コスタリカは,スペイン語で〈豊かな海岸〉を意味し,南東でパナマに,北でニカラグアに国境を接している。

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大辞林 第三版の解説

コスタリカ【Costa Rica】

中央アメリカの南部にある共和国。1821年スペインから独立。住民はスペイン系白人・メスティソ。バナナ・コーヒーを産する。首都サンホセ。面積5万1千平方キロメートル。人口430万( 2005)。正称、コスタリカ共和国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

コスタリカ
こすたりか
Republic of Costa Rica英語
Repblica de Costa Ricaスペイン語

中央アメリカ南部にある国。正式名称はコスタリカ共和国Repblica de Costa Rica。北はニカラグア、南はパナマに接し、東はカリブ海、西は太平洋に面する。コスタリカとはスペイン語で「富める海岸」という意味で、1502年にコロンブスがカリブ海の現在のリモン港に到達したとき叫んだことばが国名になったといわれている。面積5万1100平方キロメートル、人口435万4000(2006年推計)、457万9000(2009年推計)。首都はサン・ホセ。[今野修平]

自然

全面積のうち約38%が森林、46%が草地、10%が耕地、樹園地である。海岸線は、カリブ海側は単調で全長約250キロメートル、太平洋側はニコヤ半島、オサ半島を有するなど複雑で全長1100キロメートルにも達する。国土の北西から南東にグアナカステ山脈、中央山脈、タラマンカ山脈などの脊梁(せきりょう)山脈が走る。南東に向かうにつれて高度を増し、南部のタラマンカ山脈にこの国の最高峰チリポ山(3820メートル)がある。このほかイラス、バルバ、トゥリアルバ、ポアスなどの火山があり、活火山も多い。カリブ海岸側に東部低地が広がる。中央山脈とタラマンカ山脈に囲まれた地域には標高900~1200メートルのメセタ・セントラルとよばれるなだらかな盆地状の中央高地がある。太平洋側は起伏の厳しい丘陵が続き、その中央部にメセタ・セントラルに連なる中央地溝帯の低地がある。またニコヤ半島に抱かれたニコヤ湾がある。太平洋岸南部は平地が少なく、オサ半島とパナマ国境のブリカ岬とに囲まれたドゥルセ湾がある。
 気候は北東貿易風に支配され、中央山脈以東の低地帯は熱帯雨林で、年降水量5000ミリメートルを超す所もある。これに対し太平洋側は年降水量も1500ミリメートル前後で、12~4月に乾期のあるサバンナ気候を示す。メセタ・セントラルは高地であるため過ごしやすく、首都サン・ホセでは年平均気温22.6℃と東部低地より5℃も低くて、夜間は上着を必要とするほどである。サン・ホセ周辺の降雨は規則的で、雨期でも午後の一定時間に限られているため、天気予報が不要だといわれるほどである。[今野修平]

地誌

コスタリカ最大の都市は首都サン・ホセで、1823年に旧都カルタゴにかわって首都となった。都市計画による格子状の街路をもち、中央公園を中心に教会、市場、中央病院などがある美しい都市である。商・工業、金融、政治、教育の中心地で交通網も集中している。旧都カルタゴはコスタリカでもっとも古く建設された都市で、植民地時代の教区府跡や首都時代の中央教会も残されているが、二度の大地震(1841、1910)にあい大きな被害を受けた。アラフエラ、エレディアはメセタ・セントラル北部にあり、コスタリカの主要産業であるコーヒー生産の中心地で、これに関連する食品工業の施設などが集中している。太平洋岸の中心都市はコスタリカ最大の貿易港のあるプンタレナスで、砂州上に発達した細長い都市である。太平洋岸の行政・商業の中心地であるだけでなく、漁港および海浜リゾート地ともなっている。郊外に大きな化学肥料工場がある。カリブ海岸の中心都市リモンはアメリカ東岸およびヨーロッパとの貿易の中心地で、バナナの積み出しも行われている。郊外の密林中に石油精製工場があり、そのための石油輸入港でもある。[今野修平]

歴史

1502年コロンブスが到達し、1563年のカルタゴの建設から本格的にスペインによる植民が始まった。1542年以来グアテマラ総督領であったが、1821年同総督領が独立したためその一部として独立、メキシコ帝国に併合された。1823年同帝国の分裂に伴って他の中央アメリカ4国とともに中央アメリカ連邦共和国を結成したが、内部紛争のため1838年に同連邦共和国から離脱した。
 完全な独立は1848年の独立宣言による。対外的孤立政策と自由・保守両党の二大政党政治のおかげで、他の中央アメリカ諸国と違って安定した政治風土を保ち続けてきた。1948年の大統領選挙をめぐって隣国ニカラグアの軍部の介入を招き、内乱状態に陥ったが、軍隊不保持などを内容とする1949年の新憲法によって混乱から回復した。[今野修平]

政治・外交

1954年、内乱の指導者であったホセ・フィゲレスJose Figueres(1906―1990、大統領在任1954~1958、1970~1974)が大統領就任以来、国民解放党(PLN=Partido Liberacin Nacional)、キリスト教社会統一党(PUSC=Partido Unidado Social Cristiana)の二大政党制が確立し、中米でもっとも早く民主政治が根づいた。1990年、1998年、2002年の大統領選挙ではPUSCが、1970年、1974年、1982年、1986年、1994年、2006年、2010年の大統領選挙ではPLNが勝利を収めた。
 元首は大統領で、国会は一院制(57議席)。ともに任期は4年で、大統領の連続再選は認められていない。
 民主政治の定着は、軍隊の保有禁止、国民教育水準の高さ(ほぼ100%の識字率と高い進学率)を背景に成し遂げられたといえる。安定した内政と中立外交で国民の信頼と世界の信用をかちえて「中米のスイス」ともよばれているのは大きな財産である。
 1983年に隣国のニカラグア内戦が激化し、国境地帯がゲリラ活動地となり危惧(きぐ)されたが、1987年に中米和平合意が成立、平和を回復した。これを主導したPLNの大統領アリアス(大統領在任1986~1990)はノーベル平和賞を受賞した。
 外交の基本は国連中心、対米協調で、米州機構と中米統合機構に参加、中米共同市場の発展に力を入れ、周辺諸国の政情安定と民主化促進の善隣外交を一貫して推し進めている。1987年の中米和平合意はその成果として結実したものである。この活動はさらに国連平和大学や米州人権裁判所の誘致をもたらし、国連での積極的活動はさらに続けられている。
 2010年、コスタリカを含む中米6か国とヨーロッパ連合(EU)は自由貿易協定(FTA)締結に最終合意。2007年には中国と国交を樹立し、2010年に自由貿易協定に調印。2009年キューバと国交再開、2010年インド、カタールに大使館を開設と、活発な外交を全方位に展開している。
 1990年の大統領選ではPUSCのカルデロンRafael Angel Calderon(1949― )が当選。財政赤字縮小のための新経済政策を行うほか対外債務問題、麻薬問題などに取り組んだ。1994年の大統領選では元大統領フィゲレスの長男のホセ・マリア・フィゲレスJose Maria Figueres(1954― )が当選。市場開放政策を行い、通信インフラの近代化、年金制度改革などに取り組んだ。1994年にメキシコとの自由貿易協定締結、1995年に中米民主安全保障条約に調印した。1996年には外国人誘拐事件が立て続けに発生、容疑者はいずれもニカラグアで逮捕されたが、中米一治安がよいという「神話」が一時崩れ、観光産業が打撃を受けた。また財政赤字削減のための緊縮政策に国民が反発し、1998年の大統領選挙ではPUSCのロドリゲスMiguel Angel Rodriguez(1940― )がPLNのコラレスを破って当選した。ロドリゲス政権は前政権の市場開放政策を引き継ぎ経済改革等を推進、税制改革に取り組んだほか、経済活性化のため観光・ハイテクノロジーなどの分野の強化を行った。2002年に行われた大統領選挙ではPUSCのアベル・パチェコAbel Pacheco(1933― )がPLNのロランド・アラヤを決選投票で破り当選し、初のPUSCの二期連続政権となった。パチェコ政権は貧困撲滅、財政再建、国際経済との連携強化などに取り組んだ。2002年にはチリ、ドミニカ共和国、カナダ、2005年にはカリブ共同体との自由貿易協定が発効。アメリカと中米5か国による中米自由貿易協定(CAFTA)については2004年に調印したが、批准は難航し、2009年国民投票での承認を経て発効に持ち込んだ。2004年10月、PUSCの元大統領ロドリゲス、同元大統領カルデロンが汚職疑惑により逮捕され、さらに党内対立もありPUSCは弱体化し、PLNの元大統領アリアスが2006年の大統領選挙に出馬を表明、選挙前から支持が高く再度当選し、2010年の選挙でのPLNの連続勝利につなげた。2010年、PLNは少数与党となったものの解放運動(自由主義運動、ML=Movimiento Libertarino)と国会運営における協力で合意し、初の女性大統領チンチジャLaura Chinchilla Miranda(1959― )が誕生した。[今野修平]

経済・産業

コスタリカの伝統産業はコーヒー、バナナ、牧畜(肉牛)、砂糖などである。就業人口の5分の1がなんらかの形でコーヒー生産に関係しているといわれ、メセタ・セントラルがその中心地である。牧畜は太平洋岸の起伏地で行われており、肉牛はアメリカに輸出されている。バナナ栽培も盛んであり、生産高は世界第7位、輸出量世界第2位(2004)である。かつてバナナ帝国とよばれたユナイテッド・フルーツ社(現、チキータ・ブランズ・インターナショナル)がバナナの生産・輸出を独占していたころは、カリブ海沿岸、太平洋沿岸中南部で生産されていたが、近年はカリブ海沿岸で9割以上のバナナが生産され、北米を主市場とした輸出産業となっている。
 貿易は、従来バナナ、コーヒー、肉牛など農畜産品を輸出し、原油、工業製品を輸入するのが基本構造であったため、慢性的赤字に悩み、外貨獲得に不安定要因をもたらしてきた。このため石油精製、化学肥料の工場を建設し、繊維や電気などの外国系企業を誘致するなどして、中米共同市場への輸出強化を図ってきたが、石油危機以降の世界経済動揺の影響を強く受けて経済は一時大きく混乱した。インフレーションの進展、失業の増加、政府赤字財政の三重苦が続き、消費者物価が高騰して国民生活に不安をもたらし、先進国から資金援助を受けてきた。1980年代初期からのアメリカ経済の回復に伴ってようやく安定化の方向をたどりつつあるが、周辺諸国の政情不安の影響を直接に被らざるをえない地理的位置から苦難の道を歩んでいる。
 近年、経済安定のため産業の多角化と生産向上が図られており、前記の伝統的な産品のほか、農産物ではパイナップル、メロン、観葉植物の輸出、工業部門では繊維製品のほか、1998年にアメリカの半導体メーカーのインテルが中南米唯一の生産拠点を開設以来、集積回路(半導体)などハイテク分野での投資拡大によりこの分野が急成長した。技術者育成の国策にも助けられて輸出が急増し、コスタリカの産業構造変化の原動力となっている。
 また、高山から熱帯雨林までの垂直的気候分布は多種多様な動植物の世界をみせ、850種の鳥類や数千種の野生ランを出現させている。それが変化に富んだ海岸・島嶼(とうしょ)とともに「環境との共生」を問いかけ、「エコツーリズム」に基づいた新しい観光形態を促進するなど、特有の観光開発に結びついて世界の注目を集めている。観光客数は1991年の50万人から、2001年には113万人、2009年には192万人と急増し、観光収入は19億7700万ドルに達して同国最大の外貨収入源となっている。
 トルツグエロ(トルトゥゲロ)国立公園、カウイタ国立公園、モンテベルデ自然保護区、カラーラ自然保護区、サンタ・ローサ国立公園(グアナカステ保全地域、世界自然遺産)、ココ島国立公園(世界自然遺産)、タラマンカ地方=ラ・アミスター保護区群/ラ・アミスター国立公園(世界自然遺産、コスタリカとパナマにまたがる)など160以上の国立公園、自然保護区がある。先行的な環境政策は世界の人々の環境意識の高まりに支えられてエコツーリズムを招来し、地球環境対策と一体化した環境共生政策としている。チンチジャ政権もこれを受け、国家開発計画(2010~2014)として四つの基本政策(福祉、競争力、環境、治安)の一つに位置づけている。観光地としては、旧都カルタゴ、プンタレナス海岸、ニコヤ半島、ココ島、イラス火山、オロシ温泉などが知られている。通貨はコスタリカ・コロン。
 交通は縦貫軸としてパン・アメリカン・ハイウェーがあり、太平洋岸を南下、プンタレナス近郊からアラフェラ、サン・ホセ、カルタゴを通った後ふたたび太平洋岸に出てゴルフィト湾を過ぎ、パナマに入る。ただし、パナマ以南は南米コロンビアまでの間に不通区間が残されている。横断軸はプンタレナス、サン・ホセ、リモンを結ぶ300キロメートルの鉄道があり、国土の中枢地域を貫通している。1991年に発生した地震の被害による運休でバスの代行区間もあったが、ようやく復旧工事に着手した。道路整備は急速に進み、整備水準は高くなってきている。
 首都サン・ホセ近郊にホアン・サンタマリア空港があり、パナマ、グアテマラ、メキシコ、スペイン、アメリカなどと結ばれている。また、国内航空路としてはリベリア、プンタレナス、リモンなどとの航空路がある。港湾は太平洋側のプンタレナス港、カリブ海側のリモン港が主要港であるが、いずれも波浪遮蔽(しゃへい)能力が不十分で、荷役効率がよくない。このため、1972年の計画調査以来日本の援助でプンタレナス近くにカルデラ港の整備が進められ、太平洋岸の港湾機能が強化された。またリモン港の近くにはモイン港が建設され、バナナの輸出港として利用されているほか、プンタレナス(含むカルデラ)とともにクルーズ船が寄港し、急増する観光需要を支えている。
 人口の増加と経済成長は首都圏の人口・経済の集積を加速させ、人口100万人を超す都市圏形成が進みつつある。工業や観光の発展、教育の拡充等が新しい中間階層を形成してきており、政情安定、中立、国内外からの信用の上に新しい国土像・国民生活がみえてきたが、首都圏における交通渋滞、環境、治安などの新課題との取り組みが必要となってきている。[今野修平]

社会・文化

ラテンアメリカ諸国のなかで白人比率がもっとも高い国で、混血も含めると人口に占める白人の割合は95%に達する。スペイン植民地当時インディオが絶滅に近い状態であったためこうした人口構成になったといわれている。少数民族は、多くは太平洋岸に居住するメスティソ(白人とインディオの混血)と、労働力として入国した黒人である。黒人の多くはリモンおよびその周辺に居住している。人口の大半はメセタ・セントラルに居住しているが、第二次世界大戦後、太平洋岸の開拓が進み、太平洋岸の人口比が高くなってきている。国民の大多数はキリスト教のカトリック教徒で、カトリックが国教である。公用語はスペイン語。9年間の義務教育を無料で実施し、国立コスタリカ大学など国公立6大学のほかに私立大学が増えており、外国からの留学生が増加している。教育への公的支出はGDP比5%(2008)、識字率は96%(2009)。教育水準は社会保障水準とともに先進国並みの高水準で、新興のハイテク産業や環境保全を支えている。これによる中産階層の増大は、大土地所有農業が少なく相対的な小規模経営農民中心の人口構造と相まって、ラテンアメリカには珍しい政治的安定の素地となっているが、一方で経営の厳しい中小企業等が不安定要因となる課題も残されている。[今野修平]

日本との関係

貿易不均衡の代償として、また日本経済の中米進出の安定基盤形成として1972年(昭和47)に始まったカルデラ港湾整備支援を出発点として、1983年度からは一般文化無償資金協力が開始され、2009年度(平成21)には2件の環境プログラム無償資金協力の実施と幅広い政府援助が行われている。
 コスタリカは「自然との共存」政策を掲げ、気候変動枠組み条約第15回締約国会議のコペンハーゲン合意への賛同を表明しているだけに日本の協力の意義は大きい。また、日本から移転される技術を生かした国づくりおよび周辺地域への伝搬の役割への期待もあることから、日本の協力で設立された中米地域内産業技術センター(CEFOF)を活用した国立技術大学の設置や第三国研修等などにも日本は幅広い寄与をしている。
 このため政府開発援助(ODA)の基本方針として、現地のODAタスク・フォースや両政府で構成される経済協力政策協議での確認を経て、両国のニーズと合致した支援実施が進められている。重点分野は環境立国、市民生活の質の向上、産業振興の3点に絞られるといえる。2009年度実施事業としては環境プログラム無償資金協力2件、大地震の復興支援、インフラ整備、基礎生活分野(橋梁(きょうりょう)、教育、医療等)を中心とした供与となっている。2005~2009年の経済協力実績は、政府貸与等5660万ドル、無償資金協力2850万ドル、技術協力1億7160万ドルであった。[今野修平]
『三杉隆敏著『パナマとコスタ・リカの美術――祭祀芸術と装飾品』(1978・同朋舎) ▽竹井博友著『平和をわが手に――コスタリカ大統領のノーベル平和賞感動の伝記』(1988・竹井出版) ▽日本貿易振興会編・刊『活発化する中米共同市場――コスタリカを中心とした各国の動き』(1995) ▽尾尻希和著『コスタリカの政治発展――「民主体制崩壊」モデルによる1948年内戦の分析』(1996・上智大学イベロアメリカ研究所) ▽今井通子著『コスタ・リカ――緑深き森へ遊学行』(1997・日本放送出版協会) ▽児玉房子著『母と子でみるコスタリカ賛歌――絵かきが目と手と足でみた』(2001・草の根出版会) ▽竹村卓著『非武装平和憲法と国際政治 コスタリカの場合』(2001・三省堂) ▽コスタリカの人々と手をたずさえて平和をめざす会編・刊『コスタリカ報告集 2002年1月~2月平和視察団のみたコスタリカ』『平和に生きる コスタリカ』(2002) ▽国本伊代編著『コスタリカを知るための55章』(2004・明石書店) ▽コスタリカ共和国政府観光局日本事務局編『コスタリカを知る』(2007・日本・コスタリカ自然保護協会)』

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