コスタリカ(英語表記)Costa Rica

翻訳|Costa Rica

精選版 日本国語大辞典 「コスタリカ」の意味・読み・例文・類語

コスタリカ

  1. ( Costa Rica ) 中央アメリカニカラグアパナマの間にある共和国。正称コスタリカ共和国。首都はサンホセ。一五〇二年コロンブスがこの地に到る。一五二四年にスペインの植民地となり、一八四八年独立。コーヒーカカオバナナなどを産する農業国。

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改訂新版 世界大百科事典 「コスタリカ」の意味・わかりやすい解説

コスタリカ
Costa Rica

基本情報
正式名称=コスタリカ共和国República de Costa Rica/Republic of Costa Rica 
面積=5万1100km2 
人口(2010)=456万人 
首都=サン・ホセSan José(日本との時差=-15時間) 
主要言語=スペイン語 
通貨=コスタリカ・コロンCosta Rican Colón

中央アメリカの南部に位置する共和国。コスタリカは,スペイン語で〈豊かな海岸〉を意味し,南東でパナマに,北でニカラグアに国境を接している。パナマとの国境地帯は高原で,ニカラグアとの国境はニカラグア湖と,そこからカリブ海に流れるサン・フアン川とが大部分を占めている。東部はカリブ海に面しており,西部は太平洋に開いている。

太平洋岸にはニコヤ湾やドゥルセ湾を含む出入に富んだ低湿地帯が広がっており,海岸線はしばしばマングローブの林におおわれている。カリブ海側はやはり低地からなっている。同国の中心をなすのは,北西から南東に走る三つの山脈と,それらにはさまれた高地であり,中部渓谷地帯ないし中部高原と呼ばれている。首都サン・ホセはこの中部渓谷にあり,また同国の農業をはじめとする経済活動の多くも,この地に集中している。山脈中には火山が多く,最高峰はチリポ・グランデ(3819m)である。

 気候的には熱帯に属するが,年平均気温は地域的にかなり異なっている。北部では5月から10月が,南部では4月から12月が雨季で,その他の季節は乾季である。ただし,カリブ海側では北東風が湿気を運んでくるために,年間を通じて雨が降る。太平洋岸の南部はかつてはバナナの主要栽培地として知られたが,1930年代以降,バナナの主産地はカリブ海側に移っている。中央渓谷ではコーヒーやサトウキビの栽培が盛んである。なお,同国の面積の半分近くは広葉樹林におおわれている。

 人口構成では,白人系が97%余りで,スペイン系の白人が支配的な地位を占めており,文化的にもスペインの影響が濃く残っている。北西部では原住民,白人,さらに黒人のあいだでの混血が進んでおり,カリブ海側ではジャマイカ等から移住させられた黒人の子孫が多く見うけられる(2%)。南部の高原地帯には数千人規模の先住民社会が残っているが,彼らはコロンビアを中心としたチブチャ語系である(約1%)。同国の公用語はスペイン語で,住民のほとんどはカトリックである。カトリックは国教とされているが,政教分離は憲法によって定められている。

政治体制は1949年の憲法によって規定されている。大統領と一院制議会は4年ごとに同時に直接選挙で選ばれる。同国は7州に分かれ,各州知事は大統領が任命する。なお,49年憲法は軍隊を廃止しており,民警隊guardia civilを持つにすぎず,もちろん義務兵役制はない。教育水準も中米のなかでもっとも高く,識字率は94.8%(1995)に達する。首都近くのサン・ペドロには国立のコスタリカ大学がある。保健衛生等も中米では先進国に属している。

 経済的に見るとコスタリカは中米のなかで1人当り国民総生産がもっとも高く,所得分配面での格差はもっとも小さい。基本的には農業国であり,国内での消費を主とするトウモロコシや米を除くと,コーヒーとバナナが輸出用の商業作物として重要な生産物をなしている。工業水準は高くなく,おもに中部渓谷地帯に集中し,食品,飲料,衣料等の軽工業が中心である。鉱物資源としてはマンガンボーキサイト,金,スズ等があるが埋蔵量は多くない。豊富に存在する森林資源や水資源の開発は,今後の課題である。国民総生産の20%を占める農業が外貨の60%以上を獲得しているが,最近では観光収入の伸びが著しい。1980年代の経済拡大政策の失敗が後を引いており,安定化政策にもかかわらず,近年においても赤字財政,インフレ,対外債務といった問題が重くのしかかっている。運輸面では道路と鉄道が国内の陸上運輸を支えている。サン・ホセ近郊にはエル・ココ国際空港がある。

コスタリカという命名は1502年にコロンブスによってなされたが,スペイン王室の支配下に入ったのは70年代である。鉱物資源に乏しい土地であったため,スペイン人は同地に大きな注意は払わず,植民地期には主として農業が発展したにすぎない。1821年にメキシコ帝国に参加するという形でスペインから独立し,ついで中央アメリカ連邦(中央アメリカ)の一員となったが,連邦を構成する他の諸国と対立し,その解体後は地域統合よりむしろ孤立主義を選ぶことになった。主要農産物のコーヒーは40年代から輸出されていたが,特に70年から82年に及ぶトマス・グアルディア将軍の統治下でコーヒー産業は発展した。他の中米諸国の例に漏れず,19世紀末からはバナナ栽培も盛んになり,アメリカ合衆国のユナイテッド・フルーツ社が国内で大きな勢力を築き上げた。90年には中米で初めてという公正で自由な選挙が行われ,ホセ・ホアキン・ロドリゲスが大統領に就任したことは,同国人が誇りにしている。

 他の中米諸国と同様に,成立事情からして隣国との国境の確定に問題があり,永らくニカラグアと対立し,パナマとも紛争を経験してきたが,後者に関するかぎりは1941年に合意を得ている。1913年に同国では初めて直接選挙によって大統領が選ばれたが,それに不満を抱いたフェデリコ・ティノコ・グラナドス将軍が17年にクーデタを起こして政権に就いた。ティノコはしかし大衆の強い反発にあって19年に退陣している。中米では珍しいことであるが,それ以降軍部による政権の強奪やクーデタが行われないまま,今日に至っている。なお,41年12月に日本が真珠湾を攻撃した直後,アメリカ議会が参戦を決定するよりも早く,コスタリカは対日参戦を行っている。

 1930年代の大不況はコーヒー価格の下落を通じてコスタリカに強い影響を与え,同国は長期にわたる経済危機を経験した。そのうえ,第2次世界大戦後の冷戦の開始が作用して,48年には国内で左右の対立が激化し,ほとんど内戦状況に陥ることになった。中道左派の政治家ホセ・フィゲレスはこのような国内対立の緩和策の実行に成功し,1949年憲法の制定を可能にした。フィゲレスは自らの支持勢力を結集して,51年に民族解放党を設立している。

 その後のコスタリカの政治は,強力な民族解放党と,その他の諸政党との対立を基軸にして展開してきた。フィゲレス自身は,1948年から翌年にかけて政権を掌握したあと,53年から58年に,また70年から74年にかけて2度にわたって大統領に選出され,銀行国有化,工業化促進,国内価格安定政策等を実施している。民族解放党はまた,1962年から66年,74年から78年にかけて,自党の候補者を大統領に当選させている。この間,1960年にはコスタリカは中米共同市場に参加して域内での自由貿易の活発化をはかり,アメリカを中心とした外国資本の流入を進めて,経済の近代化を推し進めた。このことはまた,同国における中産階級の比重を増大させることになった。

 78年には民主革新党の党首ロドリゴ・カラソ・オディオが民族解放党以外の諸政党の支持を得て,大統領に選ばれたが,82年の選挙では民族解放党のルイス・アルベルト・モンヘが大統領の座に就いた。コスタリカは中央アメリカ諸国中で政治的にはもっとも安定し,社会的闘争の原因となる貧富の格差がもっとも小さく,相対的に経済的な豊かさを誇ってきたが,近年になって主要輸出品であるコーヒーの国際価格が下落し,また原油の輸入価格の上昇もあって,経済面での停滞が生じている。他方,70年代末以来,中米各地での紛争激化と無縁でいることができず,ニカラグアの反政府ゲリラとの関係が深まるにつれて,同国との関係が尖鋭化した。しかし,83年には改めて中立国家を宣言し,86年5月に大統領に就任した国民解放党(PLN)のオスカル・アリアス・サンチェスは,積極的に中米紛争解決に努力し,87年度のノーベル平和賞を授与された。90年2月の大統領選挙ではキリスト教社会統一党のラファエル・アンヘル・カルデロンが大統領に就任したが,PLNは94年の大統領選挙にホセ・マリア・フィゲレスを立てて,政権を奪回した。フィゲレスは経済再建政策を重点目標に掲げている。
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百科事典マイペディア 「コスタリカ」の意味・わかりやすい解説

コスタリカ

◎正式名称−コスタリカ共和国Republic of Costa Rica。◎面積−5万1100km2。◎人口−430万人(2011)。◎首都−サン・ホセ(34万人,2006)。◎住民−白人系(スペイン系がほとんど)97%,黒人2%など。◎宗教−カトリック(国教)が大部分。◎言語−スペイン語(公用語)。◎通貨−コスタリカ・コロン。◎元首−大統領,ソリスLuis Guillermo Solis(2014年5月就任,任期4年)。◎憲法−1949年11月制定。◎国会−一院制(定員57,任期4年)。最近の選挙は2014年2月。◎GDP−298億ドル(2008)。◎1人当りGNP−4980ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−18.6%(2003)。◎平均寿命−男77.8歳,女82.2歳(2013)。◎乳児死亡率−9.0‰(2008)。◎識字率−96.3%(2011)。    *    *中米,パナマの北に位置する小共和国。東はカリブ海,西は太平洋に臨む。国土は大部分高原状地形で,火山が多い。気候は太平洋側は乾燥,カリブ海側は高温多湿。住民の大部分が,スペイン系白人とその混血で,生活・教育水準は他の中米諸国に比して高い。農業が主で,コーヒー,バナナ,カカオを輸出,牛の畜産もある。米国資本の進出が著しい。 1502年コロンブスがコスタリカ(豊かな海岸の意)と命名,16世紀後半からスペイン領となった。1821年メキシコ帝国の一部として独立,1824年―1838年中央アメリカ連邦に属し,連邦解体後は1848年正式に独立した。1949年制定の現憲法は武装放棄を宣言し,軍隊をもっていない。1987年アリアス・サンチェス大統領(国民解放党)は,中米紛争の和平合意への努力を評価され,ノーベル平和賞を受賞。中南米では最も政情の安定した国の一つ。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「コスタリカ」の解説

コスタリカ
Costa Rica

中央アメリカの共和国。人口の90%以上がヨーロッパ系。独立後のメキシコから1823年に分離した中央アメリカ連合の分裂によって48年に独立を達成し,イギリス資本によるコーヒーの対欧輸出が盛んになった。小規模の自営農民が多かったため,幅広い社会層の政治参加が可能になり,20世紀になってからも,多少の政治的軋轢(あつれき)はあったが,中央アメリカでは最も安定した国となり,49年には軍隊廃止の条項を憲法に加えた。80年代の周辺国の内戦状態の解決に寄与した功績で,87年オスカル・アリアス大統領にノーベル平和賞が授与された。エコロジーの問題に関心の深い国である。

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