デジタル大辞泉
「コタキナバル」の意味・読み・例文・類語
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コタ・キナバル
こたきなばる
Kota Kinabalu
マレーシア、サバ州の州都。旧名ジェッセルトンJesselton。人口35万4153(2000)。ボルネオ島北部、南シナ海に面する小湾に臨む港町で、東方にボルネオ最高峰のキナバル山(4094メートル)がそびえる。この地方がイギリス領になるとともに1899年に建設された。港の背後の丘上には近代的建物が並ぶが、海岸にはマレー人の水上家屋もみられる。ゴム、木材の積み出しが盛んで、華僑(かきょう)も多い。国際空港があり、東南アジア各地と結び、日本からの直行便がある。また南方のテノムまで鉄道が通じる。
[別技篤彦]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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コタ・キナバル
Kota Kinabalu
マレーシアの島嶼部,ボルネオ島のサバ州西岸の港湾都市。旧名ジェセルトンJesselton。人口30万7000(2000)。1899年建設。サンダカンにかわって1946年に州都となって以来経済発展が著しく,港の貨物取扱量は州内最大である。マレーシア国民大学の分校が開設され,教育・文化の中心地にもなった。海岸埋立地に南北に細長くのびる近代的市街地は,第2次大戦後にできたもので,南へひろがった官庁街の一画には新しいモスクが建てられ,イスラム教徒マレー人の増加を象徴している。マレーシアではクアラ・ルンプル,ペナンに次ぐ国際航空路の要衝である。
執筆者:太田 勇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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「コタキナバル」の意味・わかりやすい解説
コタ・キナバル
マレーシア,サバ州の州都。旧名ジェセルトン。北ボルネオ西岸,南シナ海に臨む港湾都市で,海陸交通の要地。ゴム,木材,漁貝を輸出。東方にキナバル山がある。ボルネオ観光の拠点で,空路の要地でもある。1899年創設。30万6920人(2000)。
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コタキナバル
Kota Kinabalu
マレーシア,ボルネオ島北東部,サバ州の州都。 1967年まではジェスルトンと呼ばれていた。南シナ海に面する貿易港でもある。年平均気温 27℃,年降水量 2000mm。 1899年にイギリス領北ボルネオの貿易港として建設された。第2次世界大戦末期にオーストラリア軍と日本軍の激戦地となり,戦後再建された。市街地が狭いため 1970年代に埋立てが進み,高層ビルや新住宅街が完成した。精粉,木工,石鹸,プラスチック製品などの軽工業が行われ,経済的にはホンコンとの結びつきが強い。住民の半分以上が中国人。人口5万 5997 (1980) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のコタキナバルの言及
【サバ[州]】より
…面積7万4000km2,人口181万(1991)。州都はコタ・キナバル。住民は土着のカダザン(ドゥスン)族(28%)が最も多く,次いで華人(21%),バジャウ族(12%)となり,マレー人は増加しつつあるがまだ3%にすぎない。…
※「コタキナバル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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