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コペンハーゲン コペンハーゲンCopenhagen

翻訳|Copenhagen

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コペンハーゲン
Copenhagen

デンマークの首都。デンマーク語ではケーベンハウン København。コペンハーゲンは英語。ケーベンハウン県の県都でもある。デンマーク東部,シェラン島東岸に位置し,沖合いのアマゲル島 (アマエル島) の北部を占める。デンマークの政治,文化,経済,交通の中心地で,商港と空港をもち,国際空路の要地。町は 1167年ロスキレの司教アブサロンの築城に始まり,1417年に国王の直轄,2年後に王宮所在地となった。クリスティアン4世 (在位 1588~1648) の治世に外国貿易が飛躍的に発展し,現在はバルト海貿易の中心地。郊外のフレデリックスベルゲントフテなどと大都市圏を形成しており,造船,食品加工,機械,繊維,陶磁器や銀器の製造などの工業が行なわれる。いくつかの重要な学会本部のある学術の中心地でもある。主要建造物は,市庁舎 (1894~1905建設,庁舎前広場は 17世紀の設計) ,シャルロッテンボル宮 (現王立美術アカデミー) ,王立劇場 (1874) ,聖母マリア大聖堂コペンハーゲン大学 (1479) ,アマリエンボル広場を囲む四つのロココ様式の宮殿 (1794以来王室の居城) ,ローセンボル宮 (1606~34) など。植物園 (1874) ,チボリ・ガーデン,人魚姫像もある。人口 50万9861(2008推計)。

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デジタル大辞泉の解説

コペンハーゲン(Copenhagen)

《商人の港の意》デンマークの首都。シェラン島東岸にある重要な貿易港で、北欧最大の商工業都市。デンマーク語では、ケーペンハウン。人口、行政区51万(2008)。

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百科事典マイペディアの解説

コペンハーゲン

デンマークの首都。デンマーク語ではケベンハウンで,商港の意。同国東部,シェラン島東岸に位置,アマー島北岸にまたがる。エーアソン海峡をはさんでスウェーデンマルメに対するが,2000年7月に橋(全長1624m)とトンネルで結ばれた。
→関連項目シェラン[島]デンマークニューハウンロスキレ大聖堂

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デジタル大辞泉プラスの解説

コペンハーゲン

1998年初演のマイケル・フレインによる戯曲。原題《Copenhagen》。物理学者ニールス・ボーアとヴェルナー・ハイゼンベルクによる、量子力学をめぐる議論を描いた作品。2001年に日本でも初演された。2000年に第54回トニー賞(演劇作品賞)を受賞。

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世界大百科事典 第2版の解説

コペンハーゲン【Copenhagen】

デンマークの首都。デンマーク語でケベンハウンKøbenhavn。同国西部,シェラン島とアマアAmager島にまたがる。コペンハーゲン区,フレゼリクスベア区,ゲントフテ区の3区からなる。また周辺19区を合わせて〈大コペンハーゲン〉とか〈首都圏〉と呼ばれ,ここにデンマーク全土の4分の1にあたる136万(1996)の人口が集中している。行政的にはコペンハーゲン区は県と同等であり,市長,5人の助役,5人の参議からなる市参事会が行政をつかさどり,55議席を擁する市議会を有する。

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大辞林 第三版の解説

コペンハーゲン【Copenhagen】

デンマーク王国の首都。シェラン島東岸、バルト海と北海とを結ぶ狭い海峡に臨む港湾都市。造船・機械などの工業が発達する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

コペンハーゲン
こぺんはーげん
Kbenhavn

デンマークの首都。エアスン(エーレスンド)海峡に臨むシェラン島とアマア島にまたがる。「コペンハーゲン」Copenhagenは英語で、原音では「ケーベンハウン」に近似。通常、コペンハーゲンはコペンハーゲン区(面積88.3平方キロメートル、人口50万0531)、フレゼリクスベア区(面積8.7平方キロメートル、人口9万1322)、ゲントフテ区(面積25.4平方キロメートル、人口6万8213)の3区をあわせた領域をさし、面積122.4平方キロメートル、人口66万0066(2002)。また周辺25区をあわせて「大コペンハーゲン」「首都圏」とよばれ、その面積985.8平方キロメートル、人口108万4556(2002)は国際的統計のデータとして採用され、北欧唯一の100万都市とされる数字的根拠となっている。
 デンマーク全人口の5分の1が集中している大コペンハーゲンは、国内はもとより北欧最大の商工業都市であり、埠頭(ふとう)総延長42キロメートルに及ぶ港湾は、デンマーク商船数の3分の2がその母港として利用する重要港となっている。アマア島のカーストロップ国際空港は、北欧最大の規模を有する北欧の玄関口である。また製陶業など伝統的工芸から、鉄鋼、金属、繊維、醸造、食料品、化学工業に至る各種産業が発達し、デンマーク国内の全工業生産高の約40%をコペンハーゲンが占めている。
 かつての要塞(ようさい)都市の景観は、1852年に同市を囲んでいた城塁が廃されて道路となり、大きく変貌(へんぼう)し、城塁の外側に山型文様風に並んでいた堀割は、現在チボリ公園や植物園内の池にそのおもかげをとどめ、さらにその外側に大きな堀が一列に並んでいる。また要塞港の名残(なごり)を伝えるクリスティアンスハウンの運河の築城跡には旧兵営がある。そこには、現在、いっさいの権威や伝統を否定する若者たちの居住地「クリスティアニア」があり、1973年に市当局が3年間の期限付きでその存在を容認、1978年には完全にそれを公認した。この特異な「自由」を容認した市当局は、すでに1901年に先駆的な福祉政策として高齢者用施設を設け、それを1918年に拡大して自治的な「老人の町」を市内に設定している。これらの施策は、個人生活の自由を尊重する当市の基本政策の表れでもある。城塁の内側に位置した旧市街は、クリスティアン4世(在位1588~1648)によって建築された「円塔」や証券取引所などの記念碑的建造物のほか、古くからの建物が建ち並び、その街区を縫うように、1963年以来の歩行者専用道路ストロイエッ通りが市庁舎前広場からコンゲンスニュトウ広場まで延びている。そこは1843年に開園された遊園地「チボリ」とともに世界中からの観光客でにぎわっている。この旧市街を中心にして、市街地は1934年に開設された都市鉄道網の沿線の5方向へと延び広がっている。[村井誠人]

歴史

1043年にすでに「港」とよばれていた地に、アブサロン司教がバルト海制圧と国土防衛の拠点として築城(1167~71)、12世紀末にはケーブマンスハウンKbmandshavn(「商人の港」の意)とよばれ、ニシン漁、交易で栄えた。13世紀末には現在名のケーベンハウンでよばれるようになった。1254年に「都市権」を得、ハンザ同盟との角逐のなかで成長し、1416年デンマーク王エリックErik af Pommernが居城として先鞭(せんべん)をつけ、1443年以来、現在に至るまで首都となっている。1479年に大学が創立され、首都の体裁が整い、伯爵戦争(1535~36)で荒廃したが、クリスティアン4世治政下で繁栄した。彼はクリスティアンスハウンを築港して市域を拡大、新市域にローセンボー城、船員居住区ニュボーザを建設し、ほかにも「クリスティアン4世様式」の建造物を多く建てた。
 1658年、スウェーデン王カール10世の率いる軍隊に包囲され、フレゼリク3世のもとで市民は奮戦し、その功に報いて1660年の絶対王制の確立時に首都としての特権が付与された。1711年のペストの流行、1728年・1795年の大火、ナポレオン戦争時のイギリス艦の砲撃(1807)などにより幾度も荒廃を重ねつつも、同市の地位は揺るがなかった。1848年3月、絶対王制下の首都の特権「直訴権」が行使され、当時の王城であったクリスティアンボー城を目ざして1万5000人以上の市民が大行進を行い、無血のうちに絶対王制は崩壊した。この政変は、結果として二度にわたる対ドイツ戦争を招来し、デンマークは1864年に決定的敗北を喫した。1840年の12万の人口は、1870年代に入って、コペンハーゲンの詩人ホルストH. P. Holst(1811―93)の「外へ失いしものを内にて取り戻さん」ということばに象徴される「首都圏」の工業化の掛け声とともに上昇して20万を超え、1880年代には23万5000、1901年には40万1000へと伸びていった。第一次世界大戦で中立を維持しえたデンマークも、第二次世界大戦には、1940年4月9日朝、首都がドイツ軍に占領されてから1945年5月5日の解放まで暗い日々が続いた。[村井誠人]

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