翻訳|Copenhagen
デンマークの首都。デンマーク語でケベンハウンKøbenhavn。同国西部,シェラン島とアマアAmager島にまたがる。コペンハーゲン区,フレゼリクスベア区,ゲントフテ区の3区からなる。また周辺19区を合わせて〈大コペンハーゲン〉とか〈首都圏〉と呼ばれ,ここにデンマーク全土の5分の1にあたる109万(2004)の人口が集中している。行政的にはコペンハーゲン区は県と同等であり,市長,5人の助役,5人の参議からなる市参事会が行政をつかさどり,55議席を擁する市議会を有する。北欧最大の商・工業都市であるコペンハーゲンは,港湾の埠頭の総延長が42kmに及び,デンマーク船舶の3分の2の母港となっており,カストルプKastrupにある国際空港は北欧最大の規模を有する。金属,繊維,食料品,化学,製陶など各種工業が発達し,デンマーク国内の全工業生産の約40%を占めている。クリスティアン4世(1588-1648)時代以降に,旧市街は,北東に位置する五陵の要塞カステーレトKastelletに至るまで拡大され,城塁によって囲まれていたが,1852年に城塁が廃されて道路となり,現在のコペンハーゲンの景観の基礎が確立された。城塁の外側に山形文様に並んでいた掘割は,ティボリ公園や植物園の池にその面影をとどめ,さらにその外側には大きな堀が一列に並ぶ。市街地はこの旧市街から,1934年に開設された都市鉄道網の沿線の5方向へ延び,手のひらのような形に広がっている。またコペンハーゲンと対岸のマルメー(スウェーデン)を結ぶ海峡橋が2000年7月に開通した。
中世には既に交易地として〈港Havn〉と呼ばれていた地に,アブサロン司教がバルト海制圧の拠点として築城し(1167-71),13世紀末には,この〈商人の港Købmandshavn〉が現在名Københavnと呼ばれるようになる。ハンザ同盟との角逐のなかで成長し,1416年デンマーク王エリクErik af Pommernが居城として先鞭をつけ,43年以来現在に至るまでこの地は王国の首都でありつづけた。79年大学が創立され,名実ともにデンマークの中心となり,伯爵戦争(1535-36)に際して荒廃したが,クリスティアン4世治下で繁栄した。彼は港を拡張してクリスティアンスハウンKristianshavnを築港し,市域を拡大,新市域にローセンボー城,船員のための住居区ニュボーザNyboderを建設し,その他〈円塔〉など記念碑的建造物の多くを建築した。1658年同市はスウェーデン王カール10世の率いる軍隊に包囲されるが,フレゼリク3世のもとで市民は奮戦した。したがって60年絶対王政が確立すると,絶対王政下の首都として特権が付与された。1711年のペストの大流行,28年,95年の大火,1807年の英艦の砲撃による破壊を経験しながらも同市の地位は揺るがなかった。48年3月には絶対王政下の首都の特権である直訴権が初めて市民によって行使され,王城であったクリスティアンボー城への1万5000人の市民大行進が行われ,王の回答により無血のうちに絶対王政は崩壊した。スリースウィー(シュレスウィヒ)とデンマーク王国の一体化をめざす市民階級の台頭がもたらしたこの政変は,2度にわたる対ドイツ戦争を招来し,64年に決定的敗北をデンマークは経験した。ホルストH.P.Holst(1811-93)の詩の一文〈外へ失いしものを内にて取り戻さん〉(1872)という首都圏の工業化を促すスローガンに導かれるように,70年代に入って首都圏の工業化は急速に伸展した。1840年の12万1000の人口は,70年代に20万人を超え,80年代には23万5000,1901年には40万人を超えていった。第1次世界大戦で中立を維持しえた幸運な地理的位置をもつデンマークも,第2次世界大戦には40年4月9日に首都がドイツ軍に占領されて以来,45年5月5日の解放の日まで暗い日々が続いた。ことに,レジスタンスの激しくなった1943年8月29日以降のコペンハーゲンは緊張の連続であった。
1843年開園されたティボリ公園とともに1963年以来の歩行者専用道路〈ストロイエ〉は旧市街を市庁舎前広場からコンゲンスニュトウ広場へと続き,世界中からやってくる観光客でにぎわっている。また,いっさいの権威や伝統を否定する若者たちの居住区が,クリスティアン4世が築港した区域の旧兵営に存在することが公認されたが(1973年には3年間の期限つきで,さらに78年に無期限に),その居住区〈クリスティアニアChristiania〉の存在は自由で庶民的なこの都市の名を汚すことにはならない。
執筆者:村井 誠人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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デンマークの首都。その名の語源「商人の港」からも察せられるように,今日においてもスカンディナヴィア半島の通商,交通の中心地。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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