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コルネリア Cornelia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コルネリア
Cornelia

前2世紀頃在世したグラックス兄弟の母。スキピオ・アフリカヌス (大スキピオ) の娘。センプロニウス・グラックスと結婚。 12人の子供をもうけた。夫の死後所領の経営と子供の教育に没頭。兄弟への影響力も強かったらしい。文才もあり,M.キケロの称賛を受けている。息子らの死後も社交界で活躍。娘センプニアはスキピオ・アエミリアヌス (小スキピオ) に嫁した。

コルネリア
Cornelia Knol

江戸時代の女性。平戸オランダ商館長 C.ナイエンローデと平戸の日本婦人スリシアの娘。 17世紀在世。 1633年父が死去すると異母姉ヘステルとともに商館に引き取られ,1636年暮れともにバタビア (ジャカトラ) に送られた。 1652年デルフト出身の東インド会社下級商務員 P.クノルと結婚,1670年までに4男6女をもうけた。夫は次第に昇進して上級商務員筆頭,経理部大尉にもなったが 1672年2月病死。コルネリアはその遺産で豊かに暮したが,1676年アルンヘム出身のバタビア市法務官 J.ビッテルと再婚,一時オランダを訪問したこともあるが,のち別居し 1687年息子コルネリス・クノル一家とオランダに渡航した。平戸に建立されたコルネリア像は,クノル家肖像画によらない創作である。

コルネリア
Cornelia

メテルス・スキピオの娘。前 55年 P.クラッススに嫁したが,前 52年ポンペイウス (大ポンペイウス) の妻となる。夫に従いエジプトに渡るが,その死後イタリアへ帰った。

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世界大百科事典 第2版の解説

コルネリア【Cornelia】

前180ころ‐前110ころ
ローマ共和政期の名門の女性。大スキピオの娘。グラックス兄弟および小スキピオの妻の母。若くしてティベリウス・センプロニウス・グラックスに嫁し,前151年の夫の死後も終生再婚せず,品位ある生き方を守り,子どもの養育に専念したため,ローマ女性の鑑(かがみ)とうたわれた。なおグラックス兄弟の改革に対する態度は史料的には明らかでないが,2人を誇りにしていたことには多くの証拠がある。【長谷川 博隆】

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大辞林 第三版の解説

コルネリア【Cornelia】

古代ローマの賢婦人。紀元前二世紀頃の人。グラックス兄弟の母。あなたの宝を見せてほしいとたずねて来た婦人に「子供たちが私の宝です」と答えた逸話が残る。

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世界大百科事典内のコルネリアの言及

【カエサル】より

…母はアウレリア,良妻賢母の誉れ高く,彼も一生,敬愛の念を抱きつづけた。前84年,キンナの娘コルネリアをめとったため,スラの勝利後離婚を促されたが,がえんぜず,その追及を逃れて,前80‐前78年,東方,アシアおよびキリキアで軍務に服した。スラの死後帰国して,前77年,凱旋将軍ドラベラを告発,法廷弁論で政治家としての第一歩をふみだした。…

【ローマ】より

…われわれは当時の理想的な雄弁家像をクインティリアヌスの著作《弁論術教程》にみることができる。 幼児の教育は元来は母親の責任であり,グラックス兄弟の母コルネリアのように,優れた母の影響は子どもの成長後も続いた。初等学校には女子も男子といっしょに通学していたし,上流階級の家庭では女子も家庭教師から高い教育を受けることができた。…

※「コルネリア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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