ティベリウス

  • Tiberius I(J)ulius Caesar Augustus
  • Tiberius Julius Caesar Augustus
  • 前42―後37

世界大百科事典 第2版の解説

前42‐後37
ローマ皇帝。在位,14‐37年。リウィアが後の皇帝アウグストゥス(当時オクタウィアヌス)と再婚する前に,夫ティベリウス・クラウディウス・ネロTiberius Claudius Neroとの間にもうけた息子。軍事に優れ,パルティア,ゲルマニア,パンノニア,イリュリクムの各地の鎮圧に功があった。前12年,将軍アグリッパが死ぬと,その妻であったアウグストゥスの娘ユリアと結婚させられ,そのためにすでに1子ドルススをもうけていた妻を離婚。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

第2代ローマ皇帝(在位14~37)。父ティベリウス・クラウディウス・ネロと母リウィアとの長子として生まれたが、離婚した母がオクタウィアヌス(後のアウグストゥス帝)と再婚したために、母の連れ子となる。幾多の遠征で勝利を収め、義父帝を手助けしたので、その養子として後継者に指名された。治世の初期には、アウグストゥスの統治理念に忠実で善政を敷いた。しかし、勢力の増大した親衛隊長官セイヤヌスを重用し、彼に統治を託してカプリ島に引退した(26)ことは、セイヤヌスの帝位簒奪(さんだつ)の陰謀を誘因した。31年にセイヤヌスは処刑された。猜疑(さいぎ)心の強いティベリウスは晩年のほとんどをカプリ島で過ごした。後半の恐怖政治や緊縮財政の断行および親しみに欠ける性格のために、民衆の人気を博することはなかったといわれる。もっとも、彼の治世に関する主たる史料がタキトゥスやスエトニウスら元老院擁護派の歴史家の偏見に満ちた立場から記されており、彼の思想や性格を断言することはむずかしい。

[本村凌二]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版の解説

前42〜後37
古代ローマ帝国の第2代皇帝(在位後14〜37)
オクタヴィアヌスの妻の前夫の子。将軍時代にゲルマニア・パンノニアを鎮定。即位後は前代の政策をうけ,属州(プロヴィンキア)統治や財政緊縮に功をあげた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典内のティベリウスの言及

【アグリッピナ[大]】より

…ローマ初代皇帝アウグストゥスの孫娘。M.V.アグリッパとアウグストゥスの娘ユリアの間に生まれ,ティベリウス帝の養子ゲルマニクスと結婚。夫の,ゲルマニアや東方への遠征に同行したが,19年のシリアでの夫の急死をティベリウスによるものと疑い,彼と対立。…

【ゲルマニクス】より

…ローマの政治家,軍人。ティベリウス帝の弟N.C.ドルススの長男,大アグリッピナの夫。紀元4年にティベリウスの養子となり,若くしてパンノニアやゲルマニアに従軍し,13年にライン川方面の軍司令官となった。…

【ローマ】より

…リグリア族,アロブロゲス族,アルウェルニ族の制圧(前125‐前121)以後,南ガリアもローマの属州となった。
[末期,内乱期(前133‐前31)]
 海外領支配によるローマ社会そのものの変質と,ローマ軍の弱体化という深刻な問題を解決すべく,グラックス兄弟(兄ティベリウス,弟ガイウス)は相次いで護民官となり(兄は前133,弟は前123),土地の再分配政策を掲げて改革運動を行ったが,いずれも反対派によって殺された。このためローマは,北アフリカではヌミディア王ユグルタとの戦争(前112‐前105)に苦戦し,ゲルマン人のテウトニ族,キンブリ族の侵入の前にも相次いで敗れ(前114,前113),ついに前105年アラウシオの戦でキンブリ軍のために全滅した。…

※「ティベリウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

ノーブレスオブリージュ

《「ノブレスオブリージュ」とも》身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android