フランスの中等教育機関。イギリス,アメリカの高等教育機関の一部をなすカレッジcollegeと同語源をもつことが示すように,中等教育と高等教育の制度的区分は近代の産物である。コレージュは最初ローマ帝政末期のコレギアの流れをひく同職者団体の意味をもち,のちに学生や教師の団体を指すようになるが,13世紀にパリで,大学の神学部の貧しい学生を対象に寄付で建てられた寮にこの名があてられた。これは単なる宿泊施設だったが,やがて無軌道な学生の対策用に年少の一般学生を教師の監視の下に置く施設に変わる。のち講義もここで行われるにいたり,青年の生活の全面を覆う一種の教育共同体となる。16世紀からイエズス会が大学のコレージュに対抗して数多く設立したコレージュでは教育の内容に変化を生ずるが,監視機能は強まった。フランス革命期にすべて廃校となるが,19世紀に入って国立のリセlycéeと並び,市町村立の中等学校として位置づけられ今日にいたる。
執筆者:宮沢 康人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中世のフランスに大学が誕生したころ,コレージュは大学の学生のための学寮であった。しかし大学が校舎をもたなかったこともあり,次第にコレージュでも講義がなされるようになる。16世紀にイエズス会がいくつものコレージュを創るころには,それはむしろ全寮制の学校となっていた。17世紀には5年(文法3年,人文学1年,修辞学1年)とその準備のための1年を定めたプログラムが形成されている。19世紀にはバカロレアを取得するための中等教育ばかりでなく,その前の(2年から5年にわたる)幼年教育も担うようになる。1881年に無償の初等公教育が導入されても,1930年代にリセなどの中等教育が無償化されても,コレージュはエリートのための学校として有償のまま存続した。公私の中等教育を一本化する「コレージュ・ユニーク(フランス)」が成立し,コレージュが小学校を出たすべての生徒が進学する「中学校」を意味するようになるのは,1975年のアビ改革以降のことである。
著者: 岡山茂
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…中世では主としてギルド的な団体を意味したが,まもなくユニバーシティの起源をなすuniversitasと同様に,学問的知識の伝達を目的とする学生や教師の団体のみをさすようになる。つづいてパリに建てられた学生用の寮がコレージュcollègeと呼ばれ,さらに自由奔放な学生の生活を規制する意図で,このような寮は教師が学生と起居をともにしつつ学問伝達と性格訓練を行う共同生活の場となった。しかし,この種のコレージュはフランスにおいてではなく,カレッジとしてイギリスで独特の発達をとげた。…
…また,王権が伸張しつつあった国では国語が統一化に向かい,フランスではパリ地方の方言であったフランス語が普及し始めた。 イタリアを起点としてヨーロッパ諸国に伝播したルネサンス(文芸復興)の運動は,学者によるギリシア・ラテンの古典研究を活発にさせると同時に,イタリア,フランス,ドイツ,イギリスにおのおの宮廷学校,コレージュ,ギムナジウム,ラテン文法学校(グラマー・スクール)の開設を促した。それらはキリスト教教育と古典教育とに基づく人間教育をめざし,おりから国家機構の整備にともなって増加した官僚の養成所として機能したのである。…
…リセの名称は,1802年5月の法律によって,革命末期の中央学校に代わって登場した中等教育機関に与えられ,今日に至っている。1808年以降はナポレオン学制のなかで,リセは学校制度の中枢的存在となり,ブルジョア子弟に古典人文教養を授ける国立の中等教育機関の名称となり,公立・私立のそれはコレージュと称された。王政復古期,七月王政期には逆に,国立の中等教育機関がコレージュ,公立・私立のそれがリセと称されたが,1848年の二月革命以降は旧称に戻り20世紀に至る。…
※「コレージュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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