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ゴドイ ゴドイGodoy y Álvarez de Faria, Manuel de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ゴドイ
Godoy y Álvarez de Faria, Manuel de

[生]1767.5.12. バダホス
[没]1851.10.4. パリ
スペインの政治家。エストレマドラの下級貴族出身で,1784年近衛兵となり,国王カルロス4世に引立てられ,のち王妃マリア・ルイサの寵臣となった。アルクディア公となり,92年 11月首相に任じられた。 93年イギリスと同盟,フランス共和国に宣戦したが,カタルニャの戦いに敗れて以後,95年バーゼルの和約を結び,「平和公」 príncipe de la pazと呼ばれた。その後内紛により地位を追われたが 1801年に復帰,スペイン軍を統率してポルトガルに侵入。またナポレオン1世と同盟してイギリス軍と戦ったが,05年トラファルガルの戦いで敗北。 08年アランフェスの反乱で民衆に追われ,ローマに亡命。のちにパリに移り死去。

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世界大百科事典 第2版の解説

ゴドイ【Manuel de Godoy y Álvarez de Faria】

1767‐1851
スペインの政治家。カルロス4世と妃マリア・ルイサの寵愛を受けて,バダホスの小貴族出身の近衛将校から異例の昇進をとげ,1792年には宰相。翌年フランスと交戦するが敗れ,95年バーゼル条約で和平を結び,〈平和公〉と呼ばれた。以後,フランスに接近し,1801年イギリスと戦火を交えるが,05年のトラファルガーの海戦で大敗し,スペイン艦隊は全滅した。07年,ゴドイ見返りを期待して,ポルトガル征服をねらうナポレオンフォンテンブロー条約を結ぶが,イベリア半島へのフランス軍の侵入を許したこの政策は,逆に国民の反発を招き,翌年3月皇太子の率いるアランフエス暴動で失脚,亡命した。

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世界大百科事典内のゴドイの言及

【スペイン】より

…しかし,革命政府との戦い(1793‐95)では,カタルニャ地方やバスク地方が自らのナショナルな感情と王政擁護の立場から果敢な抵抗を試みたものの,スペインは敗北し,戦後処理のために結ばれたバーゼル条約(1795)で,領有していたサント・ドミンゴ島の半分をフランス革命政府へ割譲した。この敗北を機に,カルロス4世の寵臣M.ゴドイは,スペインの海外植民地へ触手をのばし始めたイギリスに対抗するためにも,フランス革命政府,次いでナポレオンに対して宥和政策を打ち出した。その結果,スペインはフランスおよびイギリスの思惑に引きずられ,1805年には,フランスと組みイギリスと対したトラファルガーの海戦で大敗し,18世紀を通じて再建された海軍力に壊滅的な打撃を受け,同時に中南米への交易航路をイギリスにより切断されてしまった。…

※「ゴドイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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