ジョン・サイモンJohn Simonを長とするインド法定委員会の通称。第一次世界大戦直後の1919年にイギリスがインドに施行したインド統治法(「1919年法」ともよばれる)は、戦後自治を約束されて戦争協力を行ったインド民衆を満足させず、逆にインド国民会議派を先頭とする反英大衆運動を激発させた。27年、サイモン卿(きょう)を委員長としてイギリス人7名からなるサイモン委員会が発足し、1919年の統治法の「欠陥」を補正し、インド人各層の意見を聞くためにインド各地を訪問することになった。インドの行政改革のための委員会がすべてイギリス人によって構成されているところに大きな特徴があり、この点がインド側世論の反英感情の炎に油を注ぐことになった。同委員会は30年に報告書をイギリス政府に提出し、一定の州自治と連邦制の導入を提案していたが、イギリス側は円卓会議の招集など政策的な対応を続けたのに対し、インド側は同委員会の大衆的な排斥、ボイコットを提起した。
[中村平治]
1919年制定のインド統治法の実施状況調査とその改訂の諸条件を検討するべく設置されたインド法廷委員会。委員長サイモンJohn Allsebrook Simon(自由党議員,のち子爵)の名を冠してこれが通称となる。27年に任命されるが全メンバーがイギリス人であることがインド人を刺激し,インド各地で〈サイモン帰れ〉の声で迎えられた。国民会議派は独自に完全独立をインドの政治目標として採択した。30年5月発表の委員会報告は州レベルのみに責任政府導入を勧告,中央政府は英領インドと藩王国の連邦成立までイギリスが掌握すること,しかもこの連邦成立は遠い将来であるとした。インド側はこの勧告を拒否するが,35年の改訂インド統治法はほぼこの勧告に沿うものであった。
執筆者:内藤 雅雄
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1927年11月に,19年成立のインド統治法の現状を調査・報告するために任命された法定委員会。委員長サイモンの名をとり,サイモン委員会と呼ばれる。委員がすべてイギリス人であったことがインド側の反発を呼び,インド国民会議派は委員会へのボイコットを決定した。30年に発表された委員会報告は,州レベルでの責任政府の導入を勧告する一方,中央行政は当面イギリス支配下に置くものとした。この勧告はインド人指導者たちからは拒否されたが,35年のインド統治法の制定に影響を与えた。
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…第2次大戦によって訪れたのがそのような事態である。1919年インド統治法の検討のために任命されたサイモン委員会Simon Commissionは,30年に発表した報告で州の両頭制度Dyarchyの廃止を勧告したが,中央政府については言うに足るほどの改革を提案しなかった。30年の塩の行進に始まる大規模な反英運動は,この報告をその発表前にすでに無効とし,中央における両頭制度を含んだ1935年インド統治法を制定させた。…
※「サイモン委員会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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