コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

サラエボ事件 サラエボじけん Assassination of Sarajevo

6件 の用語解説(サラエボ事件の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サラエボ事件
サラエボじけん
Assassination of Sarajevo

1914年6月 28日,オーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻が,自領ボスニアヘルツェゴビナ共和国の首都サラエボで,陸軍大演習の統監途上,セルビアの一青年 G.プリンチプによって暗殺された事件。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

サラエボ事件

1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻が、当時領有していたボスニアの都サラエボを軍事演習視察のために訪れ、市庁舎での演説後、オープンカーでの帰途、銃撃されて死亡した。実行犯はセルビア人青年、ガブリロ・プリンツィプ。オーストリアは事件後、セルビアに対して最後通告を突きつけ、1カ月後に宣戦布告第1次世界大戦へと発展した。

(2014-06-29 朝日新聞 朝刊 3総合)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

サラエボ‐じけん【サラエボ事件】

1914年6月28日、オーストリア皇太子フランツ=フェルディナント大公夫妻が、サラエボセルビア汎スラブ主義者に暗殺された事件。第一次大戦のきっかけとなった。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

サラエボ事件【サラエボじけん】

1914年6月28日サラエボでオーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺された事件。犯人はオーストリア・ハンガリー二重帝国からのボスニア・ヘルツェゴビナの解放と南スラブ人の統一をめざす組織に属するセルビア人青年であった。
→関連項目サラエボ大セルビア主義バルカン半島ボスニア・ヘルツェゴビナ併合問題

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

サラエボじけん【サラエボ事件】

1914年6月28日,オーストリアの帝位継承者フランツ・フェルディナント夫妻が,ボスニア・ヘルツェゴビナの州都サラエボで暗殺された事件。フェルディナント夫妻は,オーストリア・ハプスブルク帝国軍の演習を観閲するために当地を訪問していた。射殺したのは,南スラブ族の統一を目指す〈青年ボスニア〉に属するボスニア出身のセルビア人ガブリロ・プリンツィプGavrilo Princip(1894‐1918)。刺客はプリンツィプを含めて7人であった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

サラエボじけん【サラエボ事件】

1914年六月、サラエボを訪問中のオーストリア皇太子夫妻が、オーストリア併合に反対するセルビアの一青年に暗殺された事件。第一次大戦の発端となった。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のサラエボ事件の言及

【ハプスブルク家】より

…78年ベルリン会議後のドイツ・オーストリア同盟も,ロシアとの関係を悪化させてスラブ系諸民族をロシアに近づけ,また西欧列強からも孤立してドイツへの従属を深め,オーストリア帝国主義は民族運動と帝国主義の交錯するバルカンの泥沼にはまり込む。国家統合の要であった老帝には家庭における悲劇も続き,1914年サラエボにおけるセルビア民族主義者による皇太子夫妻の暗殺(サラエボ事件)をむかえる。これが直接の原因で第1次大戦は始まり,フランツ・ヨーゼフ1世は戦争のなか,帝国と王家の前途を憂えながら1916年長い生涯を閉じる。…

※「サラエボ事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

サラエボ事件の関連キーワードオーストリア継承戦争ドイツ=オーストリア同盟プリンチプベルヒトールトオーストリア併合自由党[オーストリア]オーストリーオーストリアのメーデーオーストリアン・スムース・ブラッケオーストリア美術

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

サラエボ事件の関連情報