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サラミスの海戦 サラミスのかいせん Battle of Salamis

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サラミスの海戦
サラミスのかいせん
Battle of Salamis

第3次ペルシア戦争で,前 480年にギリシア海軍がサラミス水道において,アケメネス朝ペルシア海軍に壊滅的な打撃を与えた海戦。9月 23日に戦われたという説が多い。ペルシアの主力艦隊約 500隻が東側水道に侵入し,約 330隻 (一部は西側水道にあたった) の3段櫂 (オール) 船から成るギリシア艦隊と衝突し,接舷移乗戦闘が戦われた。

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百科事典マイペディアの解説

サラミスの海戦【サラミスのかいせん】

前480年アテナイを中心とするギリシア艦隊がテミストクレスの計を用いてクセルクセス1世率いるペルシアの大艦隊をアテナイ近くの狭いサラミス湾に誘導し,撃破した。この戦いでペルシア戦争におけるギリシア側の勝利が決定。

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世界大百科事典 第2版の解説

サラミスのかいせん【サラミスの海戦】

第2次ペルシア戦争における前480年の歴史的海戦。テルモピュライの玉砕(テルモピュライの戦)によって第1次防衛線が崩壊すると,アルテミシオンに出動していたギリシア連合船隊はサロニカ湾奥のサラミスSalamis島に退き,サラミス水道内の海域に集結して待機を続けた。ペルシア地上軍はアテナイの国土を無血占領し,アクロポリスも難なく陥落させて,マラトンの戦ののち建築中であった〈古パルテノン〉その他の神殿に火をかけ,聖財を略奪破壊した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

サラミスの海戦
さらみすのかいせん

紀元前480年9月に行われた、ペルシア戦争第2回遠征中の海戦。クセルクセス1世麾下(きか)の大軍はテルモピレーの天険を突破し、アテネを焼き払ったのち、イストモス(地峡)とその近くのサラミスSalams湾岸の最後の防衛線にギリシア軍を追い詰めた。海戦の作戦指導者、アテネのテミストクレスの策略によって、ギリシア連合艦隊は、兵力装備ともに優位にたつペルシア海軍を狭い水道内に誘い込み、小さいが機動力のあるギリシア軍船が攻撃を加え、大敗させた。これを近くの海岸で観戦していたペルシア王は、軍隊の一部を連れてアジアへ撤退。この海戦が戦争の帰趨(きすう)を決し、ギリシアにおけるアテネ海軍の地位を不動のものとした。[豊田和二]
『馬場恵二著『サラミスの海戦』(『世界のドキュメント1』所収・1968・人物往来社) ▽R. B. Nelson The Battle of Salamis(1975, William Luscombe, London) ▽C. Hignett Xerxes' Invasion of Greece (1963, Oxford University Press, Oxford)』

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世界大百科事典内のサラミスの海戦の言及

【海軍】より

…まずフェニキア海軍が前1400年から前500年ころまで地中海を支配し,次いでギリシア海軍が前300年ころまで制圧した。古代海戦の代表的な一例はサラミスの海戦(前480)である。対戦したペルシア,ギリシア両海軍とも主力は三段櫂座(かいざ)の軍船(120~200人乗り,80~90トン)で,陸兵が乗り込んで弓,槍,盾を使った敵船への斬込みや衝角による破壊が行われた。…

【テミストクレス】より

…前493年に首席アルコンの要職に選ばれ,ペルシアの来襲を見通し,ラウリオン銀山の収益を市民に分けるのを控えさせ,それを三段橈(かい)船の建造費に回した。こうして前480年にペルシア王クセルクセス1世が攻めこんできたときに,テミストクレスはストラテゴス(将軍)として艦隊を指揮し,ペルシア軍をサラミスの海戦で破った。 その後,彼は戦火に崩れたアテナイ市の立直しを図り,城壁を築き,さらにペイライエウス(ピレウス)港の建設を始めた。…

【ペルシア戦争】より

…テルモピュライの玉砕(テルモピュライの戦)で第1次防衛線は崩壊し,連合軍海上部隊はサラミスに集結して待機し,アクロポリスをはじめアッティカの土地がペルシア軍により荒廃に帰されるのを傍観した。しかし,テミストクレスの計略にかかってペルシア船隊がサラミス水道に侵入し,この歴史的海戦(サラミスの海戦)でペルシア船隊は敗退した。フェニキア船隊が完全に戦意を失い,クセルクセスはアジアに敗走した。…

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