クセルクセス1世
クセルクセスいっせい
Xerxēs I
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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クセルクセス[1世]
Xerxēs Ⅰ
ペルシア帝国の王。在位,前486-前465年。父ダレイオス1世の末年に起こったエジプトの反乱を平定してまもなく,バビロニアの反乱に直面した。ペルセポリス出土のいわゆる〈邪神崇拝禁止碑文〉はこの鎮圧を記念して制作されたと考えられる。相次ぐ内乱のため,父の遺志を継いだギリシア遠征はようやく前480年に実施された。みずから兵を率いて進軍したクセルクセスはアテナイまで達することができたが,サラミスの海戦での敗北を知って帰国し,遠征は失敗に終わった。父がのこしたもう一つの未完の事業であるペルセポリス王城の建設工事は,彼の治世中にいちじるしく進行した。王城の宝蔵から出土したエラム語文書(ペルセポリス宝蔵文書)は,大部分がクセルクセス時代に属する〈労働者支給文書〉である。後半には王をとりまく側近の権力争いが公然化し,その結果彼は宮廷陰謀のために殺された。
執筆者:佐藤 進
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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クセルクセス1世(クセルクセスいっせい)
Xerxes Ⅰ
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のクセルクセス1世の言及
【ギリシア】より
…僭主政打倒のときにペルシアに亡命したもとのアテナイ僭主ヒッピアスもこれに同行したが,マラトンの戦でアテナイ軍はほとんど単独でこれに勝利した。その後まもなくアテナイの名将テミストクレスの海軍拡張政策がアテナイ人の支持を受けていたとき,ダレイオスの後を継いだクセルクセス1世は前480年自ら陸海の大軍を率いてギリシアに侵入した。この危機にあたってギリシア諸市の態度はさまざまであったが,陸軍強国スパルタと海軍強国アテナイの協力ができたことはギリシア諸市の戦いにとって大きな意義をもった。…
【テミストクレス】より
…前493年に首席アルコンの要職に選ばれ,ペルシアの来襲を見通し,ラウリオン銀山の収益を市民に分けるのを控えさせ,それを三段橈(かい)船の建造費に回した。こうして前480年にペルシア王クセルクセス1世が攻めこんできたときに,テミストクレスはストラテゴス(将軍)として艦隊を指揮し,ペルシア軍を[サラミスの海戦]で破った。 その後,彼は戦火に崩れたアテナイ市の立直しを図り,城壁を築き,さらにペイライエウス(ピレウス)港の建設を始めた。…
【ペルシア戦争】より
…この頃アテナイでは,対ペルシア路線をめぐる対立が有力政治家の抗争を激化させ,[オストラキスモス](陶片追放)の投票が連年施行されるなかで,[テミストクレス]に代表される反ペルシア路線が固まっていった。
[第2回ペルシア戦争(前480‐前479)]
ダレイオスの遺志を継いだ[クセルクセス1世]は,陸海呼応の大兵力でギリシアを征服する準備にかかった。マケドニア,テッサリア地方の味方陣営内への確保が保証されたものと思われる。…
【ペルシア帝国】より
… 前5世紀に入ると,イオニア諸都市の反乱([イオニア反乱])を契機としてギリシアとの対立が生じ,[ペルシア戦争]が起こった。しかし,帝国にとっていっそう重大な問題は,ダレイオスの末年から[クセルクセス1世]の初期にかけて相次いで起こったエジプト(前486)とバビロニア(前484および前482)の反乱であった。クセルクセスは反乱を鎮圧した後,2州に対する統制を強化した。…
※「クセルクセス1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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