サンタアナ(その他表記)Antonio López de Santa Anna

デジタル大辞泉 「サンタアナ」の意味・読み・例文・類語

サンタ‐アナ(Santa Ana)

中央アメリカ、エルサルバドル西部、グアテマラ国境近くにある都市。同国第2の規模の都市で、サンタアナ県の県都。旧市街のリベルタ公園周辺をはじめ、サンタアナ国立劇場サンタアナ大聖堂などの歴史的建造物が多く残っている。
米国カリフォルニア州南部の都市。ロサンゼルスの南東約50キロメートルに位置する。サンタアナ川沿いの肥沃な農業地帯にあり、柑橘類トウガラシなどを産する。食品加工業、楽器メーカーの工場が立地。

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改訂新版 世界大百科事典 「サンタアナ」の意味・わかりやすい解説

サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna
生没年:1794-1876

メキシコの軍人,大統領。独立からレフォルマへ向かう過渡期に,軍人としては有能であったが,日和見主義政治家として,定見のない行動と奇怪な遍歴によって,メキシコの運命を左右した。イダルゴが蜂起した時期に軍人となり,イトゥルビデ軍に加わって独立を達成したが,2年後に彼を打倒。初代共和国大統領ビクトリアとも対立。29年スペインとの戦争で国民的英雄となる。33年から11回大統領になり,中央集権化をはかったが,A.ブスタマンテやG.ファリアスなどに実務を執らせることが多かった。36年テキサスの反乱鎮圧に失敗したが,38年フランスとの戦争で勝利。48年米墨戦争の結果,アメリカに国土の半分を割譲し,53年には国境地帯を売却するにいたって,アユトラ革命が生じ失脚する。亡命先よりアメリカの援助で帰国し,マクシミリアン皇帝時代にも暗躍した。74年国外追放を解かれ,母国で没した。
執筆者:


サンタ・アナ
Santa Ana

アメリカ合衆国カリフォルニア州南西部の都市。人口34万0368(2005)。ロサンゼルスの南東55km,サンタ・アナ川に臨む。1869年に町が建設され,サンタ・アナ・バレーの肥沃な農業(オレンジ,トウガラシ,テンサイなど)地帯の交易中心地として発達したが,1940年代より工業化・住宅地化が進行してきた。高額所得者とメキシコ系を中心とする低所得人口が並存する。サンタ・アナ大学やバワーズ博物館などの文化施設をもつ。
執筆者:


サンタ・アナ
Santa Ana

エルサルバドル西部の同国第2の都市。人口26万1568(2003)。現在の名は1708年にさかのぼる。同国のコーヒータバコサトウキビ等の生産中心地で,また近くには避暑地として知られるコアテペク湖がある。16km西方にはチャルチュアパ市があり,同市はグアテマラ大統領J.R.バリオスの戦没(1885)の地,前5000年からのインディオの遺跡がある地として知られる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンタアナ」の意味・わかりやすい解説

サンタ・アナ
Santa Anna, Antonio López de

[生]1794.2.21. ベラクルス,ハラパ
[没]1876.6.21. メキシコシティー
メキシコの軍人,政治家。スペイン系官吏の家に生れ,1810年スペイン軍へ入隊。 21年 A.イトゥルビデの独立を支持,23年イトゥルビデ,28年 V.ゲレロに反乱,29年上陸したスペイン軍を撃退,32年 A.ブスタマンテ大統領に反乱,次いで 33~36年大統領となった。 36年テキサス独立軍に大敗して失脚したが,38年侵入フランス軍を撃退して人気を回復,41年クーデターで再度政権を奪い,以後3年間独裁制を維持した。 44年軍の反乱によって再び失脚,亡命した。 46年アメリカ=メキシコ戦争中帰国してメキシコ軍を指揮したが敗北,47年亡命した。しかし 53年再度帰国して大統領に就任,独裁制をしいたため,54年自由主義者の反乱が起り,55年失脚,亡命した。 74年帰国,貧困と失意のうちに死んだ。

サンタアナ
Santa Ana

エルサルバドル西部の都市。同国第2の都市で,同名県の県都。首都サンサルバドルの北西約 50km,標高約 650mの山間盆地にある。南南西に同国の最高峰サンタアナ火山 (2382m) を望む。国内最大のコーヒー栽培地帯の中心地で,世界最大級のコーヒー工場がある。その他サトウキビ,穀物などを集散し,蒸留酒綿織物,家具,皮革などの工業も立地。市内にはスペインゴシック様式の大聖堂,ルネサンス様式の国立劇場,エルカルバリオ聖堂など美しい建築物がある。南郊にあるコアテペケ湖は夏の保養地として知られる。パンアメリカン・ハイウェー,幹線鉄道が通る。人口 23万 2210 (1987推計) 。

サンタアナ
Santa Ana

アメリカ合衆国,カリフォルニア州南部にある都市。ロサンゼルスの南東約 55km,シエラネバダ山脈の一部を形成するサンタアナ山脈の南西麓に位置する。オレンジ,アボカドなどの果実を産し,酪農製品を製造。 1878年サザン・パシフィック鉄道が開通し,ロサンゼルスと結ばれた。 1940~50年代には軍事産業が盛んであった。現在はロサンゼルスへの通勤者の住宅都市になって,人口増加がみられる。アナハイムと連接して大都市圏を形成。人口 32万4528(2010)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンタアナ」の意味・わかりやすい解説

サンタ・アナ(Antonio López de Santa Anna)
さんたあな
Antonio López de Santa Anna
(1794―1876)

メキシコ独立後の混乱のなかで、11回権力を握った保守派の軍人、独裁者。クリオーリョ(スペイン系白人)の家に生まれ、1810年スペイン軍に入隊して昇進した。21年イツルビデの独立宣言を支持、22年にはイツルビデを見捨てて共和派に加わり、23年以後軍人実力者として自由主義者を支援した。29年侵入したスペイン軍に大勝して国民的英雄となり、33年自由主義者に推されて大統領に就任した。しかし、副大統領ゴメス・ファリアスが推進した自由主義的改革が、教会、大地主、軍を中心とする保守派に反対されると保守派に転向、以後保守勢力の中心人物となった。36年テキサス独立戦争でアメリカ軍の捕虜となり一時失脚したが、38年の対フランス戦争で人気を回復し、46~47年の対アメリカ戦争を指揮した。敗戦後一時亡命したが、53~55年には保守派に迎えられて独裁者となった。しかし、領土の一部をアメリカに売却するなどの暴政が自由主義者の反感を買い、55年の自由主義革命によって追放された。

[野田 隆]


サンタ・アナ(エルサルバドル)
さんたあな
Santa Ana

中央アメリカ、エルサルバドル西部にある都市。サン・サルバドルの北西80キロメートル、サンタ・アナ火山(2181メートル)西麓(せいろく)に位置する。人口20万2337(1992センサス)、16万4500(2002推計)。1576年に建設され、コーヒー栽培の拡大とともに発展した。周辺の肥沃(ひよく)な火山麓は、同国最大の輸出産品であるコーヒーの代表的な産地で、同市はその取引の中心地である。太平洋岸のアカフトラ、ホンジュラス湾岸のプエルト・バリオス(グアテマラ)に鉄道が通じる。

[栗原尚子]


サンタ・アナ(アメリカ合衆国)
さんたあな
Santa Ana

アメリカ合衆国、カリフォルニア州南部の都市。人口33万7977(2000)。アナハイム‐サンタ・アナ‐ガーデングローブ大都市地域の中心に位置し、行政・商工業・医療の中核都市として発展した。肥沃(ひよく)なサンタ・アナ谷でとれるトウガラシ、ウォールナッツなど農産物の集散地であり、缶詰・加工工場も多い。工業ではラジオ、接続器、農業機械、毛織物、スポーツ用品などが生産されている。1869年に町が建設された。

[作野和世]


サンタ・アナ(砂漠風)
さんたあな
Santa Ana

アメリカのカリフォルニア州サンタ・アナ峡谷で吹く、暑く乾いたフェーン型の砂漠風。峡谷の狭められた所で吹くため、砂漠地帯からシエラ・ネバダ山脈の東側に吹き抜ける風は強風となり、砂塵(さじん)を運んでいく。冬にもっとも吹きやすく、この風が吹くと果樹に大きな被害が出る。

[根本順吉]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「サンタアナ」の解説

サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna

1794~1876

19世紀前半の独立後のメキシコにおいて実権を奮った軍人政治家。1833年から55年までの間に9回にわたって大統領に就任した(在任1833~35,39,41~44,47,53~55)。この間36年には,メキシコからの独立を宣言したテキサスに対して鎮圧活動を行った際に,アラモの砦でテキサス人守備軍を全滅させた。しかし,その後の反撃でテキサスの独立を許し,さらにテキサスのアメリカへの併合を原因に始まった45年のアメリカ‐メキシコ戦争で敗れ,現在のニューメキシコ,アリゾナ,カリフォルニアを失った。

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百科事典マイペディア 「サンタアナ」の意味・わかりやすい解説

サンタ・アナ

メキシコの軍人,政治家。独立運動に加わり,スペイン軍を破った名声を利用して1833年から数回大統領に選ばれ,中央集権化をはかった。1848年米墨戦争の結果,アメリカに国土の半分を割譲し,1853年に国境地帯を売却したため,アユトラ革命が生じて失脚。
→関連項目メキシコ(国)

サンタ・アナ

エルサルバドル西部にある同国第2の都市。首都サン・サルバドルの北西約50km,サンタ・アナ火山麓,標高650mにある。肥沃な農業地域の中心地。コーヒー,タバコ,サトウキビを産する。近くにコアテペク湖,マヤ文明のタツマル遺跡がある。1708年創設。20万4340人(2007)。

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世界大百科事典(旧版)内のサンタアナの言及

【エルサルバドル】より

…面積は九州のほぼ半分である。
[自然,住民]
 地理的に同国は,海岸線と平行的に走る北部と南部の火山性の山岳地帯(最高峰は南部の火山サンタ・アナ山で標高2381m),それに挟まれた高原・渓谷地帯,さらに沿岸部の四つに区分される。人口の60%と都市のほとんどは,南部の山岳地帯に集中している。…

【風】より

… コラcollaフィリピンの強風。 サンタ・アナSanta Anaアメリカのカリフォルニア州南部サンタ・アナ地方に吹くフェーンを伴った北寄りの乾熱風。 シロッコscirocco∥sirocco地中海北岸に吹く暖かい南または南東風。…

【ダバオ】より

…60年代から外資系企業による日本向けのバナナ農園開発が進み,市内ではカリナン付近にいくつか開かれた。市の中心から3km北のサンタ・アナと8kmのササに港湾施設があり,マニラ麻,木材,バナナなど輸出商品はササ港から積み出される。67年ダバオ州が北,南,東の3州に分割され,ダバオは南ダバオ州の一部となり,以後州都ではなくなったが,引き続きこの地域の政治・経済・文化の中心地であることに変りない。…

※「サンタアナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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