アメリカの哲学者で文人。哲学上の立場は批判的実在論に属する。マドリードに生まれ,8歳のときボストンに渡る。地中海的な古典とカトリシズムの世界からプロテスタンティズムの風土へ移住したことは,その精神形成に深い影響を与えた。1886年ハーバード大学を卒業,2年のドイツ留学の後,母校の正教授となる。《美意識論》(1896),《理性の生命》5巻(1905-06)等を著し,生物学的自然が精神的現象の根底にあることを論じた。聴講者にT.S.エリオットらがいる。1912年,保守的な〈上品な伝統〉に倦んで大学を辞し,イギリス,パリ等に居を移し,25年以降ローマに定住。《懐疑主義と動物的信》(1923)および《存在の王国》4巻(1927-40)において心理学主義を克服し,本質,物質,真理,精神等を存在論的にとらえる立場に立つ。ほかに小説《最後のピューリタン》(1936),評論《三哲学詩人》(1910),自伝《人と所》3巻(1944-53)をはじめ,詩集,書簡集など多数。
執筆者:青柳 晃一
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アメリカの哲学者。スペインに生まれ、9歳のときアメリカに移住。ドイツ留学を経て、1907~1912年まで母校ハーバード大学の教壇に立つ。第一次世界大戦を契機にヨーロッパに渡り、没するまでローマを中心に執筆活動を行った。批判的実在論から出発し、『存在の世界』4巻(1927~1940)で独自の哲学体系を形成した。そこでは、本質、物質、真理、精神の各領域が、人間認識の根底をなす動物的信念から解明されている。そのほか数多くの著作がアメリカで刊行され、ドイツ流観念論に対立する唯物論的自然主義と懐疑主義の色濃い思想が、その詩人的文章の魅力とともに、広範な影響をアメリカ社会に与えた。
[香川知晶 2015年10月20日]
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