サンテグジュペリ(読み)さんてぐじゅぺり(その他表記)Antoine de Saint-Exupéry

デジタル大辞泉 「サンテグジュペリ」の意味・読み・例文・類語

サンテグジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry)

[1900~1944]フランス小説家飛行士。危機的な状況なかで行動する人間を通して人間性問題追求。作「夜間飛行」「星の王子さま」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「サンテグジュペリ」の意味・読み・例文・類語

サン‐テグジュペリ

  1. ( Antoine de Saint-Exupéry アントワーヌ=ド━ ) フランスの小説家、飛行家パイロットの体験をもとに人間の崇高さ、勇気、知恵などを扱った作品を残す。「夜間飛行」「戦う操縦士」「星の王子さま」など。(一九〇〇‐四四

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンテグジュペリ」の意味・わかりやすい解説

サン・テグジュペリ
さんてぐじゅぺり
Antoine de Saint-Exupéry
(1900―1944)

フランスの飛行家で小説家。人間の条件を行動のうちに探究し、危機感のなかに人間性と人間の責任をとらえようとする行動主義文学の代表的作家。名門貴族の子弟としてリヨンに生まれる。初め海軍兵学校を志すが、入試に失敗し、美術学校で建築を学ぶ。1921年、兵役で航空隊に入り操縦士となったが、除隊後は工員、セールスマンなどをしながら、26年ごろから雑誌に文学作品を発表する。のちラテコエール航空会社に入ったが、当時は航空路開発時代で、数々の冒険、危難を経験する。1927年、トゥールーズ―カサブランカ空路のパイロットとなり、その体験から処女作『南方郵便機』(1929)を発表、未知の美を夢想する飛行家の内面を描く。その後、南米空路開発に従事したあと帰仏して結婚し、『夜間飛行』(1931)を執筆、これによりフェミナ賞を受賞する。続いて『人間の土地』(1939)では、行動の倫理を追求し、行動主義文学の旗印を鮮明にする。

 第二次世界大戦で動員され、とくに偵察任務に従事したが、独仏休戦後、一時、妻とニューヨークに亡命、戦争体験を踏まえた思索の書『戦う操縦士』(1942)、童話『星の王子さま』(1943)、書簡体エッセイ『ある人質への手紙』(1943)、文明を論じる未完の論文『城砦(じょうさい)』(没後刊、1948)などを発表。1943年北アフリカの原隊に復帰、連合軍のシチリア進攻を援護したが、翌年7月31日、偵察飛行のためコルシカ島の基地を発進したまま帰還せず。一説では帰投直前ドイツ戦闘機に撃墜されたといわれる。

[榊原晃三]

 1998年9月、フランス南部のマルセイユ沖でサン・テグジュペリの名前が彫られた銀のブレスレットが発見された。海中探索の結果、搭乗機の残骸(ざんがい)が発見され、2004年4月、墜落地点が特定された。

[編集部]

『山崎庸一郎・粟津則雄・渡辺一民他訳『サン=テグジュペリ著作集』6巻・別巻1(1962・みすず書房)』『山崎庸一郎著『サン=テグジュペリの生涯』(1971・新潮社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「サンテグジュペリ」の意味・わかりやすい解説

サンテグジュペリ
Antoine de Saint-Exupéry
生没年:1900-44

フランスの飛行家,作家。由緒ある貴族の家系に生まれ,カトリック系の学校で中等教育を終えたあと海軍をめざすが,兵学校の入試に失敗,1921年兵役に服し陸軍飛行操縦学生となる。22年予備少尉に任官,除隊後は一時会社員生活に甘んじる。26年ラテコエール航空会社に入り,トゥールーズ~カサブランカ線の定期郵便飛行に従事,中継基地のキャップ・ジュビーの飛行場長時代に《南方郵便機》(1929)を執筆する。29年アエロポスタ・アルヘンチーナ社の支配人としてブエノス・アイレスに赴任,パタゴニア線の開拓に努力し,《夜間飛行》(1931。フェミナ賞)を執筆する。31年親会社のアエロポスタル社の内紛によって退社,テストパイロット,ジャーナリストとして活躍,《人間の大地》(1939。アカデミー小説大賞)を発表する。第2次大戦が始まると召集を受け偵察機を操縦,その功績によって感状を受ける。ドイツ軍の侵入後はアメリカに亡命,《戦う操縦士》(1942),《星の王子さま》(1943),《ある人質への手紙》(1943)を出版。43年北アフリカにあった原隊に復帰,アメリカ軍と協力してフランス本土上空の偵察飛行に従事,44年7月コルシカ島の基地から出撃後に消息を絶ち,ドイツ戦闘機に撃墜されたものと推定されている。死後,その思想大全とみなされるべき未完の大作《城砦》(1948)が刊行された。

 幾度かの危険な飛行や体験から生み出された彼の著作には,人間,自然,文明についての省察と,その秩序,モラルの復活への渇望とがみなぎっている。〈飛行機の英雄〉であった彼は,1930年代の行動の文学を代表する一人とみなされている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンテグジュペリ」の意味・わかりやすい解説

サン=テグジュペリ
Saint-Exupéry, Antoine Marie Roger de

[生]1900.6.29. リヨン
[没]1944.7.31. マルセイユ沖
フランスの小説家,飛行士。初めエコール・ナバル (海軍兵学校) を志望したが果たさず,兵役で空軍に入隊,飛行士の資格を取ったのち,ラテコエール社に入社,初期の長距離航空路開設に重要な役割を果した。第2次世界大戦に際して偵察機パイロット,のち北アフリカで連合軍の飛行士となったが,任務でコルシカ島を飛び立ってのち,消息を断った。墜落地点は長らく不明だったが,2003年 10月にマルセイユ沖で引き揚げられた機体の一部が,2004年に本人の搭乗機と確認された。飛行士としての知識と経験を,人間精神の価値に関する深い省察にまで高めて,密度の高い詩的な文体に表現した。『南方郵便機』 Courrier Sud (1929) やフランスと南アメリカを結ぶ最初の定期航空路開設のエピソードを扱った『夜間飛行』 Vol de nuit (1931) ,飛行の体験を通じての,人間の尊厳と責任,愛と連帯に関する思索を記した『人間の土地』 Terre des hommes (1939) ,ある従軍飛行士の悲劇的任務の物語『戦う操縦士』 Pilote de guerre (1942) や童話のスタイルによる『星の王子さま』 Le Petit Prince (1943) のほか,レジスタンスのさなかに同胞に向けて書いた『ある人質への手紙』 Lettre à un otage (1943) ,遺稿集『城砦』 Citadelle (1948) がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「サンテグジュペリ」の意味・わかりやすい解説

サンテグジュペリ

フランスの作家。兵役で操縦を習い,のち民間航空の操縦士となる。《南方郵便機》(1929年)に続いて,夜間飛行の危険を通して人間の行動の高貴さを追求する《夜間飛行》(1931年)で名声を博した。第2次大戦に志願兵として従軍中,コルシカ島から出撃したままゆくえ不明となる。ほかに《人間の土地》,童話《星の王子さま》(1943年)や《戦う操縦士》,未完の大作《城砦》など。
→関連項目ダラピッコラドーネン

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のサンテグジュペリの言及

【児童文学】より

…同じころのショボーL.Chauveauは子どもの酷薄さと向きあった作家である。第2次大戦で死んだサンテグジュペリの《星の王子さま》(1943)は詩のように美しい傑作であった。戦後ギヨーR.Guillotが出現して,はじめてフランスにおける子ども固有の文学が世界的にみとめられたといってよい。…

【夜間飛行】より

…フランスの作家サンテグジュペリの小説。作者がアエロポスタル社のアルゼンチン支社長時代に執筆され,1931年に出版,同年のフェミナ賞の受賞作となる。…

※「サンテグジュペリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android