コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

シェワルナゼ Shevardnadze, Eduard

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シェワルナゼ
Shevardnadze, Eduard

[生]1928.1.25. ザカフカズ社会主義連邦ソビエト共和国,ママチ
[没]2014.7.7. ジョージア,トビリシ
ジョージアグルジア),ソビエト連邦の政治家。ジョージア大統領(在任 1995~2003)。フルネーム Eduard Amvrosievich Shevardnadze。1948年グルジア共産党入党。1959年クタイシ教育大学を卒業。1948年からコムソモール活動に従事し,1957~61年グルジア・コムソモール中央委員会第一書記。1965~72年グルジア=ソビエト社会主義共和国の内務大臣を務め,1972年グルジア共産党中央委員会第一書記に就任,1976年ソ連共産党中央委員,1978年同党政治局員候補となる。1985年ソ連共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフによって政治局員に抜擢され,ソ連の外務大臣に任命された。ゴルバチョフの側近として,1988年アフガニスタンからのソ連軍撤退,アメリカ合衆国との軍縮交渉,グラスノスチ政策やペレストロイカ政策の推進などに貢献した。1990年に政権内の保守派台頭を警告して外相を辞任,1991年ソ連共産党を離党したが,8月クーデターののち短期間外相に復帰した。ソ連解体後の 1992年ジョージアに帰国,国家評議会議長を経て最高会議議長(国家元首)となり,グルジア内戦の終結に向けて努力した。1995年に行なわれた大統領選挙で勝利を収め,新憲法採択後初の大統領に就任。2000年に再選を果たしたが,2003年に議会選挙の混乱に続く政変により辞任した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

シェワルナゼ(Eduard Amvrosievich Shevardnadze)

[1928~2014]ジョージア(グルジア)・ソ連の政治家。グルジア共産党第一書記などを経て、1985年にソ連ゴルバチョフ政権下で外務大臣に就任。米国との冷戦終結やドイツ統一などの推進に貢献した。ソ連崩壊後はグルジア共和国の第2代大統領を務めた。在任1995~2003。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シェワルナゼ
しぇわるなぜ
Едуард Амвросиевич Щеварднадзе Eduard Amvrosievich Shchevardnadze
(1928―2014)

ジョージア(グルジア)の政治家。1948年ジョージア共産党入党。1959年にクタイシ教育大学卒業後、ジョージア・コムソモール(共産青年同盟)と党活動に従事。1965年からジョージア共和国内務相、1972年同共和国党第一書記。1976年ソ連共産党中央委員、1978年政治局員候補とクレムリンの階段をかけ昇り、1985年7月書記長の任にあったゴルバチョフの抜擢(ばってき)により政治局員兼外相に就任した。ペレストロイカの重要な一翼を担ったが、保守派との妥協をみせ始めたゴルバチョフと袂(たもと)を分かち、1990年7月政治局員を辞任、1991年1月には外相も辞任した。同年8月の保守派クーデターでは、クーデター首謀者らに徹底抗戦の構えをみせた。ソ連が消滅し、独立国家共同体(CIS)創設後の1992年3月、ジョージア国家評議会議長に就任、同年10月国民投票によって最高会議議長に選出された。1995年11月、初の大統領選挙で当選。2000年4月の大統領選挙では再選を果たした。2003年11月、議会選挙の結果から政局が混乱、野党勢力に国会議事堂を占拠され、非常事態宣言を発令したが、軍の一部が野党に合流、同月23日大統領を辞任した。[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

シェワルナゼの関連キーワードソ連崩壊と東欧の歴史的変革ジョージア(旧グルジア)ミハイル サーカシビリニノ ブルジャナゼアブハジア紛争パラジャーノフグルジア政変サーカシビリ日ロ文化協定静穏保持法1月25日グロムイコ南オセチアバラ革命ソユーズ

今日のキーワード

ムガベ大統領

1924年、英植民地の南ローデシア(現ジンバブエ)生まれ。解放闘争に参加し、80年にジンバブエを独立に導いた。同年から首相、87年から大統領として実権を握り続けた。2000年以降は白人農場主の農園を強...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android