ポーランドの小説家。ポーランド東部のポドラシェ地方の没落貴族の家に生まれ,苦学を強いられてワルシャワの大学在籍中から気鋭の社会時評家として論壇に登場。同時に社会性の強い短編小説の執筆にはいる。1876年から3年間アメリカを探訪。《旅行書簡》(1878)にはアメリカの大自然を前にした若き文学者の驚きと感動が,当時急増の一途にあったポーランド人移民の生活リポートやポーランド批判を交えながら,歯切れのよい文章で描かれている。帰国後彼は小説の執筆に本腰を入れ,82年から87年にかけて新聞紙上に連載された長編歴史小説《火と剣》《大洪水》《パン・ボウォディヨフスキ》は,それぞれコサック,スウェーデン,トルコとの戦争に明け暮れた17世紀ポーランドの史実にもとづいて,格調の高い文体と効果的な場面転換を用いて織りあげた壮大な歴史絵巻である。このいわゆる〈三部作〉は亡国の悲運に苦しむポーランド人に民族の底力を再認識させて,以来国民文学の古典として不動の位置を築いた。彼はまたワルシャワのミツキエビチ像建立に奔走するなど,創作以外の面でも民族意識の涵養に意欲的で,文字どおり19世紀後半を代表する保守実証主義の文化人であった。しかし彼の名を世界的に有名にしたのは次の《クオ・ウァディス》(1896)である。皇帝ネロの時代のローマで起きたキリスト教徒迫害を描いたこの長編は宗教文学としても成功をおさめ,日本にも明治30年代に初めて紹介されて以来,いくつもの翻訳が存在する。彼は第1次世界大戦の勃発後にスイスに渡ったが,死のまぎわまでポーランド救済活動に積極的であった。歴史小説以外にも《音楽師ヤンコ》(1879)などのリアリズムの短編や,少年少女向きにはアフリカ奥地を探検する冒険小説《砂漠と密林》(1910)を残し,いまなおポーランドで最も幅広く読まれる作家である。1905年にはノーベル文学賞を受賞した。
執筆者:西 成彦
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…運動は1862年にワルシャワ中央学校の名前で再興されたワルシャワ大学の卒業生を中心に展開されたが,なかでも有名だったのが〈新世代の首領〉と呼ばれたシフィエントホフスキである。そのほかプルス,シェンキエビチ,オジェシュコバらも,この運動の支持者として知られている。彼らは日常的な生産労働や,地道な社会問題の解決を軽視する旧世代のロマン主義的な考え方を批判した。…
※「シェンキェビチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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