シュメール人(読み)シュメールじん(英語表記)Sumerians

改訂新版 世界大百科事典 「シュメール人」の意味・わかりやすい解説

シュメール人 (シュメールじん)
Sumerians

メソポタミア南部に世界最古の古代文明を築いた民族。シュメール人はメソポタミアの原住民ではなく,おそらく前3500年前後に来住したと考えられる。原住地,来住経路,来住時期,言語系統などは不明で,一般に〈シュメール問題〉と呼ばれる。黒髪で短頭型のアルメノイド人種に属する。ウルク期に楔形文字の祖形である古拙文字を発明したのはシュメール人と見なされるが,それに先行するウバイド期の文化がシュメール人に属するかどうかは不明である。ウルク期に続くジャムダット・ナスル期から初期王朝期にかけてシュメール文明が急速に形成され,都市国家時代を迎える。この時期(前3千年紀)のシュメールの大都市にはニップール,ラガシュ,ウンマ,ウル,ウルク,シュルッパク,エリドゥ,アダブなどが知られている。エンen(〈主〉の意)から発展したルガルlugalまたはエンシensi(〈王〉または〈支配者〉の意)が各都市を支配した。農業は塩分に強い大麦を中心に,エンマ小麦,小麦,タマネギ,ニンニクの類,ナツメヤシ,豆類,キュウリ,カルダモン,クレソンその他の野菜を栽培した。家畜は牛,ロバ,羊,ヤギ,豚などを飼育し,30種類にのぼるビール,織物乳製品を作っていた。漁業も盛んで,海,川,運河などの魚類を捕獲し,食生活は豊かであった。宗教は多神教で,エンリル神を最高神とするパンテオン,すなわち天神アン,太陽神ウトゥ,月神ナンナ・スエン,金星神イナンナ,深淵の神エンキその他の神々を崇拝した。神殿建築ではジッグラトと呼ばれる多層建造物が特徴的で,なかでもウルのジッグラトは有名である。初期王朝期のあと一時セム系のアッカド王国期を迎えるが,ウルナンム王が再びシュメール人の主権を回復して,ウル第3王朝を樹立し,官僚組織による中央集権的専制統治を行った。貿易も活発に行われ,王は〈四方世界の王〉の称号をとなえた。しかし約100年後セム系のアムル人アモリ人(びと))の侵攻を受けて滅亡し,シュメール人は政治の舞台から姿を消した。
シュメール
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旺文社世界史事典 三訂版 「シュメール人」の解説

シュメール人
シュメールじん
Sumer

メソポタミア文明を生んだ南部のシュメール地方の住民。スメル人ともいう
言語の系統は不明。前3000年ごろから,独立した都市国家群による初期王朝時代を現出。国王は最高神官を兼ねた。これらの都市国家の中からウルク・ウル(ウル第1王朝)が覇権を握り,やがてラガシュが台頭した。前2350年ごろ,アッカド人が侵入してその統治を受けた。アッカド朝が衰えるとシュメールが復興,ウル第3王朝(前2113 (ごろ) 〜前2006 (ごろ) )がメソポタミアを統一した。前2000年ごろからエラム人・アムル人の侵入を受け衰退,セム化されて消滅。文化的には,楔形 (くさびがた) 文字・治水技術・金属文化・宗教・社会形態などがのちの民族に伝えられた。

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世界大百科事典(旧版)内のシュメール人の言及

【ウバイド文化】より

… ウバイド文化はメソポタミア南端に始まって北上し,3期には北メソポタミアでハラフ文化にとって代わる一方,ペルシア湾沿岸にも拡大し,さらにアナトリア,シリア,イラン高原にまで広がった。ウバイド文化を創造した人々がシュメール人であったか否かについては,なお議論があるが,ウバイド期における神殿の継続的発展を評価して,シュメール人の文化と考えるのが妥当であろう。【小野山 節】。…

【メソポタミア】より

…これ以後,前24世紀中葉までメソポタミア最南部でシュメール都市国家時代が続く。なおシュメール語は膠着語系に属し,周辺諸言語とは類縁関係をもたないから,シュメール人の起源については最終的な解答は与えられていない。またウルク期のシュメール文化はユーフラテス流域に急速に伝播し,シリア地方にもウルク期神殿を含む遺跡が見いだされている。…

※「シュメール人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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