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シュワルツェンベルク Schwarzenberg, Felix, Fürst zu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シュワルツェンベルク
Schwarzenberg, Felix, Fürst zu

[生]1800.10.2. クルマウ
[没]1852.4.5. ウィーン
オーストリアの軍人,政治家。オーストリア,ボヘミアに領地をもつ古い貴族の出身。 1844年大使としてナポリに駐在。 48年イタリア独立戦争に際し,軍を率いてイタリアに入り,J.ラデツキー元帥指揮下の軍と連合して反乱を鎮圧,メッテルニヒ失脚後の 11月首相となった。ハンガリーの革命を押え,フランツ・ヨーゼフ1世の即位を助け,49年の欽定憲法を発布させた。またドイツにおけるオーストリアの指導権保持のため,プロシアに対抗して,アドリア海から北海にいたる連邦制の「7000万人の帝国」を唱え,50年オルミュッツ協定締結にいたる情勢のなかでオーストリアの地位の強化に努めた。

シュワルツェンベルク
Schwarzenberg, Johann von

[生]1463.12.24.
[没]1528.10.20. ニュルンベルク
ドイツの刑法改革者。 1501年以来バンベルク司教の主宰となり,07年バンベルクの刑事裁判令制定に貢献。この刑事裁判令は神聖ローマ皇帝カルル5世時代に成立する『カロリナ刑事法典』の模範となった。彼は天才的な法学者であるとともにルター信奉者でもあり,倫理学上の著作をも残しており,近代初期のドイツ人文主義者の一人でもある。

シュワルツェンベルク
Schwarzenberg, Karl Philipp, Fürst zu

[生]1771.4.15. ウィーン
[没]1820.10.15. ライプチヒ
オーストリアの軍人。ナポレオン戦争で最も勲功を立てた連合軍司令官の一人。古い貴族の出身。 1787年オーストリア軍に入隊。対トルコ戦争 (1788~89) ,フランス革命戦争 (92~1801) に従軍し,頭角を現した。また外交畑でも活躍し,1810年フランス大使としてナポレオン1世とマリ・ルイーズの結婚交渉にあたった。 13年陸軍元帥に昇進し,対ナポレオン戦の連合軍司令官に任命され,オーストリア兵,ロシア兵,プロシア兵から成るボヘミア軍を率いて,同年 10月ライプチヒの戦いでフランス軍を撃破。 14年パリに入城した。

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