シューマッハー(読み)しゅーまっはー(英語表記)Emil Schumacher

デジタル大辞泉 「シューマッハー」の意味・読み・例文・類語

シューマッハー(Kurt Schumacher)

[1895~1952]ドイツの政治家。社会民主党国会議員としてヒトラー政権を批判し、投獄された。第二次大戦後は同党再建に尽力し、1946年から委員長を務めた。

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精選版 日本国語大辞典 「シューマッハー」の意味・読み・例文・類語

シューマッハー

  1. ( Kurt Schumacher クルト━ ) ドイツの政治家、経済学者。第一次世界大戦後、社会民主党に入党。第二次世界大戦後、党を再建して党首となり、反共的立場をとりながらドイツ再統一の実現に尽くした。(一八九五‐一九五二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シューマッハー」の意味・わかりやすい解説

シューマッハー(Emil Schumacher)
しゅーまっはー
Emil Schumacher
(1912―1999)

ドイツの画家。1950年代のドイツの抽象表現主義絵画を代表する。ハーゲンに生まれ、1932~1935年ドルトムントの工芸学校に学んだ。1950年以降、ボルスの影響の下にレリーフ状の効果をもつ暗く物質的な絵肌を発展させた。その絵肌を彼はしばしば厚紙、布、しわくちゃにした紙などで補強し、そこに裂け目を思わせる条痕(じょうこん)をつくった。彼は「僕は壁と闘うように絵画に立ち向かう。脱出する割れ目をみつけるために」といっている。1952年、ドイツの抽象画家たちがミュンヘンで結成したグループ「Zen(禅)49」に加わる。これは東洋および日本の線の表現やマーク・トビーのホワイト・ペインティングに影響されたグループである。1958~1977年、ハンブルクおよびカールスルーエの美術学校で教鞭(きょうべん)をとる。日本では1959年(昭和34)日本国際美術展で文部大臣賞、1966年東京国際版画ビエンナーレ展で都知事賞を受けた。1997年、パリのジュ・ド・ポーム国立ギャラリーで回顧展が催され、翌1998年ハンブルク美術館などに巡回した。

[野村太郎]


シューマッハー(Kurt Schumacher)
しゅーまっはー
Kurt Schumacher
(1895―1952)

ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の政治家。西プロイセンのクルムで商人の子に生まれる。第一次世界大戦で志願兵となり、右腕を失う。ハレ、ライプツィヒベルリンの大学で法律と経済を学ぶ。1918年労兵評議会に参加、社会民主党に入る。1920年シュトゥットガルトの党機関紙編集長、1924年ウュルテンベルク州議会議員、1930年国会議員、党左派に属す。ナチス政権下で地下活動に入ったがすぐ捕らえられ、敗戦まで強制収容所を転々とした。戦後西側占領地区で社会民主党再建に努力、共産党との合同に反対、1946年党委員長。1948年重病にもかかわらず制憲評議会に参加、1949年国会議員。ルール地方をめぐる石炭鉄鋼共同体案、アデナウアーの西方への統合政策、欧州防衛共同体案などに、ドイツの再統一を妨げるという理由で強く反対した。

[中川原徳仁]


シューマッハー(Fritz Schumacher)
しゅーまっはー
Fritz Schumacher
(1869―1947)

ドイツの建築家ブレーメン生まれ。建築の勉学はミュンヘンのティルシュと、ベルリンのシェーファーの指導を受け、1900年から09年までドレスデン高等工業学校の教授となり、のちハンブルク市の建築責任者となった。代表作はハンブルク市勧業館(1913)、続くアーレンスベルガー街の小学校、23年の商業補習学校などで、れんがを主要素材とする彼の厳格で巧みな手法を余すところなく示している。19~23年にはケルン市の都市問題担当の助役となり、公園、林区などの計画を行った。28年の水上飛行機格納庫では、素材処理の新手法をのぞかせている。『建築芸術の原理』『現代煉瓦建築の歴史』などの著書もある。

[長谷川堯]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シューマッハー」の意味・わかりやすい解説

シューマッハー
Schumacher, Ernest Friedrich

[生]1911.8.16. ボン
[没]1977.9.4. スイス,フリブール
ドイツ生れのイギリスの経済学者。 1930年オックスフォード大学で経済学を学んだあと,コロンビア大学で経済学の講義を担当するが,実践的知識を求めて農業やジャーナリズムにもたずさわる。 37年にナチス・ドイツを逃れイギリスに亡命。第2次世界大戦中はオックスフォード大学で研究生活をおくり,45~50年にはイギリスのドイツ占領委員会経済顧問をつとめた。 50~70年イギリス石炭委員会会長,70年以後はイギリス土壌委員会会長を歴任。また,政府派遣のエネルギー問題専門家としてインド,ビルマにも赴任した。その多様な実務的知識と経済学理論をもとにして,途上国がとるべき開発戦略は「中間技術」 (生活に密着した安価な技術) の育成であると結論づけ,西欧型社会ではない「もうひとつの社会」のあり方を主張した。主著『人間復興の経済学』 Small Is Beautiful (1973) 。

シューマッハー
Schumacher, Kurt

[生]1895.10.13. ウェストファーレン,クルム
[没]1952.8.20. ハノーバー,バートピールモント
ドイツ社会民主党の指導者。ハレ,ライプチヒ,ベルリンの諸大学で学び,第1次世界大戦で右腕を失った。 1918年社会民主党に入党。 20年ウュルテンベルク州の党機関紙編集長,次いでドイツ社会民主党機関紙『フォアベルツ』の編集長となった。 24~31年ウュルテンベルク州議会議員,30~33年国会議員。共産党とナチスを激しく批判し,33年投獄された。 45年4月釈放され,ただちに社会民主党の再建に着手し,共産党との統一を志向する O.グローテウォールとの激しい抗争ののち,46年社会民主党再建大会で党首に選ばれた。 49年から西ドイツ連邦議会議員として,K.アデナウアーの西ヨーロッパ依存政策に反対したが,52年病死。

シューマッハー
Schumacher, Fritz

[生]1869.11.4. ブレーメン
[没]1947.11.5. リューネブルク
ドイツの建築家。ミュンヘン,ベルリンの工業学校に学んだ。 1899~1908年ドレスデン高等工業学校教授。ハンブルクをはじめ,多くの大都市の都市計画にたずさわり,学校,公園,市庁舎など公共建築物を設計。代表作はドレスデン火葬場 (1908) とハンブルク火葬場 (33) 。著述にすぐれ,『近代煉瓦建築の特質』 Das Wesen des neuzeitlichen,Backsteinbaus (17) ,『1800年以後のドイツ建築芸術の諸動向』 Strömungen der dt. Baukunst seit 1800 (35) ,『建築芸術の精神』 Der Geist der Baukunst (38) などの著書がある。

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百科事典マイペディア 「シューマッハー」の意味・わかりやすい解説

シューマッハー

ドイツの政治家。第1次大戦後ドイツ社会民主党に入り,機関紙編集長,国会議員となったがナチス政権下では12年間収容所に拘禁された。戦後西ドイツで党を再建,党首(1946年―1952年)として反共民主主義と自主外交を唱え続け,アデナウアーの好敵手でもあった。

シューマッハー

ドイツの建築家。ブレーメン生れ。ドレスデン工業大学教授を務めたのち,ハンブルクやケルンの土木建築監督として公共建築や都市計画を手がけた。ドイツ工作連盟の設立に参加。煉瓦を多用し,新様式を試みながらも,ドイツ建築の伝統を堅持した。代表作にドゥールスベルクの小学校(1923年)がある。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シューマッハー」の解説

シューマッハー
Kurt Schumacher

1895~1952

ドイツ社会民主党の指導者。経済学者出身で,第一次世界大戦後社会民主党に入り,地方機関紙の編集者,ヴュルテンベルク邦議会議員(1924~31年),国会議員(30~33年)として活躍し,ナチス支配下では43年を除き拘禁される。ナチス崩壊後英米占領地区を中心に社会民主党を再建し党首となり,反共の立場を強めながらも民主主義の実現に努力した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「シューマッハー」の解説

シューマッハー
Kurt Schumacher

1895〜1952
ドイツの政治家
第一次世界大戦後,ドイツ社会民主党に入党し,1930年国会議員となり活躍。1933年から45年まで,ほとんどの期間をナチスによって強制収容所に監禁された。第二次世界大戦後,社会民主党を再建して党主となり,反共的立場に立って活躍した。

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