百科事典マイペディア 「ドイツ工作連盟」の意味・わかりやすい解説
ドイツ工作連盟【ドイツこうさくれんめい】
→関連項目シューマッハー|タウト|帝国工芸会
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DWBと略す。プロイセンの貿易省工芸美術部門主任であった建築家ヘルマン・ムテジウス(1861―1927)が主導して、1907年秋、ミュンヘンで結成されたドイツの建築家・工芸家・実業家の組織。新時代に向けての工業生産品のあり方が検討され、ここから今日のインダストリアル・デザインの基礎が築かれた。連盟結成に先だち、ムテジウスはロンドンの大使館に勤務(1896~1903)しており、この時期にイギリスの合理的な住宅建築や明快な工芸品から多くの示唆を受けたのだった。結成後、14年のケルンにおける連盟展などで近代主義の方向を定め、27年のシュトゥットガルトの住宅展でその成果は頂点に達する。DWBの歩みに影響されて、オーストリア、スイス、スウェーデン、イギリスにも、1910年以降に同様の連盟が発足している。
DWBは、1933年ナチス政権によって解散させられたが、第二次世界大戦後の50年に再建された。
[高見堅志郎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…都市のイメージに対しても,1918年T.ガルニエが〈工業都市〉案を提出し,中世都市をモデルとする都市理念を払拭した。イギリスのアーツ・アンド・クラフツ・ムーブメントの影響を受けて1907年ドイツ工作連盟Deutscher Werkbundが設立され,ここでは機械生産(大量生産と規格化)を前提としたデザインが提唱されてゆく。これらの試みと並行して,20世紀初頭にグロピウス,F.L.ライト,ル・コルビュジエが,合理性と機能性に基づく完全に新しい造形によってヨーロッパ建築に影響を与えるようになる。…
…またウィーンのゼツェッシオン(分離派),とくに建築家J.ホフマンらを中心に1903年設立されたウィーン工房は,機能性と直線の合理性を強調し,建築と工芸各分野で近代の新しい造型を目ざしたが,いまだ装飾芸術の範囲にとどまっていた。装飾性を切り捨て,生産主義,機能主義に立つ近代デザインの思想が現れてくるのは,イギリスの住宅の調査から機能主義をひきだした建築家ムテジウスHermann Muthesius(1861‐1927)によるドイツ工作連盟Deutscher Werkbundの設立(1907。ミュンヘン),そのころからはじまるP.ベーレンスのAEG電機会社での建築,工業製品,広告などにわたる一貫した活動,さらにアメリカの生き生きした産業社会に触れてヨーロッパの文化的遅滞を痛感したA.ロースの激しい言説(〈装飾は罪である〉。…
…このころ,事務所にグロピウス,ミース・ファン・デル・ローエがおり,ル・コルビュジエも訪ね来たり彼の影響を受ける。またムテジウスHermann Muthesius(1861‐1927)とともにドイツ工作連盟Deutscher Werkbund(1907ミュンヘンで設立)の指導者として建築,工芸の振興に尽くす。大戦後はベルリンとウィーンのアカデミーで教壇に立つかたわら,IG染料会社事務所(1924)のような表現主義的作品から,ベルリンのアレクサンダー広場の事務所ビル(1931)のような国際様式建築へと作風を変えていった。…
※「ドイツ工作連盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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