ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
[没]1799. リオデジャネイロ
ポルトガルの詩人。下層階級の出であるが,1753年コインブラ大学で法学を修め,ルジターニア文学会 Arcádia Lusitana (1756~57) の創立者の一人となった。また 59年にはカステーロデビーデの判事,64~75年にはエルバスの軍法務官をつとめた。その地で高位聖職者間のいさかいに立会い,それが彼の風刺詩『聖水散布器』O Hissopeの好材料となった。リスボンに戻ると,風俗喜劇『偽りのヒロイズム』O Falso Heroísmoを書いた。ポルトガルの古典主義時代の重要な詩人の一人とされる。
[没]1739.10.18. リスボン
ポルトガルの劇作家。キリスト教に改宗したユダヤ人の子として生れ,8歳で両親とリスボンへ移住。コインブラ大学で教会法を学ぶ。 1726年母親とともに宗教裁判にかけられ勉学を中断,数ヵ月後,ユダヤ教を捨てることを誓い釈放されたが,37年,妻子とともに再び捕えられた。2年後に妻と娘は釈放されオランダに亡命したが,彼は斬首刑に処せられた。社会や個人を風刺する喜劇作家として,ビセンテ,モリエールの伝統を継ぐ一人とされる。代表作は『クレタの迷路』 Labirinto de Creta (1736) ,『アレクリンとマンジェローナの戦い』 Guerras do Alecrim e da Manjerona (37) 。
[没]1896.5.23. ボゴタ
コロンビアの詩人。富裕な,文学好きの家庭に生れ,21歳の頃ヨーロッパに旅行,多くの文学者に接したが,帰国後,一家の破産,父や妹の死,詩稿の散逸といった不幸が重なり,絶望のあまり 30歳でピストル自殺をとげた。マラルメ,ボードレール,ベルレーヌらの影響が濃く,ペシミズムとアイロニーに彩られた彼の詩は,その音楽性と斬新な詩形とによって,「近代派」の先駆とみなされる。代表作は『夜曲』 Nocturnos,『万霊節』 Día de Difuntos,『聖ヨハネの鐘』 Los maderos de San Juanなど。
[没]1861. リスボン
ポルトガルの歴史家,小説家,政治家。病気のためコインブラ大学を中退したが,リスボンのアジューダ図書館で研究を続け,歴史家エルクラーノを知る。 1854年王立科学アカデミーの会員に選ばれた。歴史小説作家としてエルクラーノの後継者とみなされる。代表作『ジョアン5世の青春時代』A Mocidade de D. João V (1852) ,『物語と伝説』 Contos e Lendas (73) ,歴史では『17,18世紀におけるポルトガル史』 História de Portugal nos Séculos XVII e XVIII (5巻,60~71) がある。
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