イラン南西部,ファールス州の州都。テヘラン,イスファハーン,マシュハド,タブリーズにつぐ都市で,人口119万7847(2003)。ザーグロス山脈中の盆地,標高1505mにあり,テヘランまで919km,ペルシア湾の港ブーシェフルまで299km。年降水量385mm。
シーラーズの北東約50kmの所にあるペルセポリスがアケメネス朝の王宮だった頃には小村にすぎなかったが,684年にアラブの将軍ムハンマド・ブン・カーシムによって町が作られた。サッファール朝のヤークーブ・ブン・ライスはここを征服し,その弟がアティーク・モスクを建てた。ブワイフ朝下で栄え,934年には首都となり,周囲12kmの市壁が造られ,同朝のアドゥド・アッダウラの時にはさらに発展,病院も建てられた。またルクン・アッダウラの造ったロクナバード用水がこの町の用水源の一つとなった。12世紀中ごろから140年にわたりファールスを治めたファールス・アタベク朝(サルガール朝)の諸王は町の発展に努め,マスジェデ・ノウ(ノウ・モスク),ソンコル・モスクなど多くの建造物をのこした。ムザッファル朝の将兵の防戦によりモンゴルの攻撃を免れたが,1393年ティムールに占領された。サファビー朝のシャー・アッバース1世の時に多くの立派な建造物が造られた。13~16世紀にかけてシーラーズは,サーディー,ハーフィズなど有名な詩人や哲学者モッラー・サドラーを生み,イランの文芸・学問の中心となった。
1725年アフガン族の侵入により甚大な被害を被ったが,50年ザンド族のカリーム・ハーンがザンド朝(1750-94)を建て,シーラーズを都とした。30年間にわたるこの王の治下でシーラーズは繁栄を回復し,イラン第一の都市になった。彼はワキールの名を冠するバーザール,モスク,メドレセ(マドラサ),浴場(ハンマーム)のほか,立派な内城(アルク)を建設,石畳敷きの道路も造った。カージャール族のアーガー・ムハンマド・シャーとザンド朝との戦いでは,ザンド朝の市長ハジー・エブラヒームの裏切りによりシーラーズはカージャール側におち,大虐殺が行われシーラーズは再び荒廃した。19世紀後半にはブーシェフル港に最も近いこの町は,ケルマーン,イスファハーンとともに対イギリス貿易の拠点の一つとなったが,1891年の推定人口は3万1000にすぎず,ヤズド(人口4万)より小都市であった。パフラビー朝のレザー・シャー期に市域の拡大が行われ繁栄を回復した。
気候は温暖で,町の周囲には果樹園が多く,ブドウ酒もよい。周辺の村ではテンサイ,小麦,綿花,大麦を産する。1894年2月など古来たびたび震災を受けた。近くにはカシュガーイー族とハムセ族が住み,シーラーズは彼らの取引の中心となっている。
執筆者:岡﨑 正孝
シーラーズにはマスジェデ・ジャーミー(875),マスジェデ・ノウ(12世紀),ホダーイ・ハーネ図書館(1351),メドレセ・ハーン(1651)などの古い遺構があるが,多くは後代の修復が著しいために旧態をとどめていない。現存する重要な遺構の大半は,18世紀のアフガン族による破壊以後に建造されたものである(ザンド朝時代の城郭,バーザール,貯水池,公衆浴場,詩人ハーフィズとサーディーの廟,バーゲ・ナザル苑内のパビリオン(現在,古写本や陶器を展示するファールス博物館))。なかでもマスジェデ・ワキール(18世紀中期),シャーエ・チェラークの廟(13世紀。14,19世紀改築)などが重要。ナランジェスターン,バーゲ・エラム苑のパビリオンなどは,19世紀カージャール朝の代表的邸宅建築である。
シーラーズは,モンゴル時代からミニアチュールの制作が盛んになり,古拙な様式の作品が多数制作された。さらにティムール朝時代の最盛期には,首都ヘラートの宮廷工房に劣らない活動をみせ,総督のイスカンダールやスルタン・イブラーヒームの保護奨励の下に数々の傑作が生まれた。また,カシュガーイー族などの遊牧民の絨毯の集散地として知られている。
執筆者:杉村 棟
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イラン南部、ファールス州の州都。商工業都市。人口105万3025(1996)、156万5572(2016センサス)。南北を山脈に挟まれた標高1500メートルの盆地上にあり、温暖な気候と美しい庭園で知られる古都である。近郊は豊かな農村地帯で、糖度の高いブドウを原料としたワインが有名である。象眼(ぞうがん)細工や、トルコ系遊牧民カシュカイによる独特の文様のじゅうたんでも知られる。紡織、セメント工場がある。市内にはイランの大詩人ハーフィズとサーディーの廟(びょう)、民間信仰の中心のシャー・チャラーグ廟のほか、ザンド朝時代のモスク、庭園などが残っている。近郊にはペルセポリスに代表されるアケメネス朝やササン朝の遺跡が多い。
[香川優子]
7世紀末にウマイヤ朝のイラク総督ハッジャージュの従兄弟(いとこ)のムハンマドによって建設された。9世紀後半にはサッファール朝の治下に発展し、大モスクがつくられた。10世紀にはブワイフ朝のファールス政権の首都となり、市壁、宮殿、病院、図書館などが整備された。モンゴルやティームールによる破壊は免れたものの、18世紀にはナーディル・シャーの攻撃によって荒廃した。しかし、同世紀後半にはカリーム・ハーンによってザンド朝の首都に定められ、ふたたび市壁や堀、公共建造物がつくられ、バザールも整えられた。19世紀初めには大地震によって被害を受けたが復興し、現在に至っている。
[清水宏祐]
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