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ジュネーブ ジュネーブ Genève

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジュネーブ
ジュネーブ
Genève

ドイツ語ではゲンフ Genfスイス南西端,ジュネーブ州の州都。レマン湖 (ジュネーブ湖) 南西端から流出するローヌ川の河谷に位置する。ローマ時代にはすでにガリア人の城塞町として知られていたが,ローマ帝国ブルグンド王国などの支配を経て,14世紀中頃からはほぼ 3世紀にわたって,自治権の拡大を求める市民勢力とこれを圧迫するサボイア家との抗争の場となった。

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百科事典マイペディアの解説

ジュネーブ

ドイツ名はゲンフGenf。スイス西端,ジュネーブ州の州都。レマン湖からローヌ川の流出する地点に位置する国際的都市。フランス語地域の精神的中心。国際赤十字ILO世界保健機関などの本部所在地で,国際連合ヨーロッパ本部が置かれているパレ・デ・ナシヨンがある。

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世界大百科事典 第2版の解説

ジュネーブ【Genève】

スイス連邦を構成するカントン(州),およびその州都名。英語ではジェニーバGenevaドイツ語ではゲンフGenfと呼ぶ。市の人口は17万4000(1996)。スイス南西部,レマン湖からローヌ川が流れ出る交通の要所にある。紀元前からすでにケルト系部族アロブロゲスがここに城塞都市を作っていたが,前120年以降ローマに服従した。ローマ帝政下でもジュネーブは都市として栄えた。ゲルマン大移動のおりには繰り返し攻撃を受け,繁栄を失っていった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジュネーブ
じゅねーぶ
Genve

スイス南西部の都市。チューリヒに次ぐ同国第二の大都市で、同名の小州ジュネーブ州の州都。英語名ジェニーバGeneva、ドイツ語名ゲンフGenf。人口17万5998(2001)。スイス南西端のレマン湖(ジュネーブ湖)からローヌ川が流出する地点の両岸に位置する。北西にはジュラ山脈、南東にはアルプスの山地を望む谷間にあり、フランスとの国境に近い。そのため、フランス風の思考・生活様式の影響を受け、「スイスのパリ」ともよばれる。住民の7割はフランス語を話し、プロテスタントカトリック教徒の数は相なかばする。湖岸集落の起源は旧石器時代にさかのぼるが、都市としての発展は16世紀の宗教改革者J・カルバンに負うところが大で、ヨーロッパの宗教改革の中心地、さらにはプロテスタンティズムの世界的な中心都市となった。18世紀のルソーによる哲学・教育学、H・B・ド・ソシュールなどによる自然科学研究の活況が、現在のこの都市の学術・文化の基礎となった。この町出身のデュナンが創設した赤十字の国際委員会の所在地であり、第一次世界大戦後に国際連盟が置かれたパレ・デ・ナシオンは、現在国連ヨーロッパ本部となっている。そのほか、国際労働機関、世界保健機関、世界気象機関をはじめ多くの国際的な機関がある国際都市で、国際会議が頻繁に開催され、市内に住む外国人の数は人口の37.6%を占める。
 16~17世紀にフランスからの宗教難民が入り込み、彼らがもつ時計製造の技術がここに時計工業をおこし、スイスの代表的な工業とした。19世紀末まで盛んであった繊維工業にかわって、現在は機械工業(タービン、機関車、ミシンなど)、精密機器製造業、化学工業などが盛んである。伝統的な装身具製造もいまに残っている。また、スイス南西の玄関として、商業・貿易の中心としての機能も備えている。各種見本市が開かれるが、なかでも毎年の自動車見本市は有名である。スイスのフランス語圏最古のジュネーブ大学(1559年アカデミーとして創設、1873年大学となる)には、国内のドイツ語圏からも在学する学生が多い。ヨーロッパ共同原子核研究所(CERN)には、世界中から研究者が集まる。市街はローヌ川により二分され、左岸の丘陵部に旧市街がある。その象徴はサン・ピエール大聖堂で、ほかに宗教改革記念碑、大学、美術歴史博物館、市庁舎などがあり、これらを含む旧市街には古い趣(おもむき)のある建物が並ぶ。右岸は新市街で、駅や郵便局があり、住宅地がここから広がっている。湖岸や市中に美しい庭園があり、アルプスの名山モンブランを遠望できるこの町は、スイスでもっとも美しい都市といわれる。
 ジュネーブ州は1815年に連邦に最後に加盟した州で、面積282平方キロメートル、人口41万4300(2001)。ジュネーブ市域を中心に、フランスへの穀物、野菜、果物などを供給する農業地域がその周辺を取り巻く。[前島郁雄]

歴史

ローヌ川、レマン湖を利用した水上交易、および陸上交通の拠点として、ローマ帝政時代より栄えた。400年ごろより司教所在地となる。カロリング帝国の崩壊後、ブルグント王国、ついで1032年以降神聖ローマ帝国に属したが、都市支配権をめぐって在地の領主ジュネーブ伯と司教は長期間争った。1124年の協定により、初めて司教が都市領主として正式に君臨することになった。13世紀後半以降になるとサボイア家がジュネーブに支配の足場を築き始め、今度はサボイア家と都市君主たる司教の闘争が展開された。この間、司教は1387年に「自由特許状」をジュネーブに与えている。15世紀初頭には、市参事会の存在も確認される。一方、サボイア家は都市周辺の土地を支配下に収め、司教の地位にも同家の出身者を多数つけるようになり、都市の自治を脅かした。1533年司教は都市ジュネーブの支配権をサボイア家に譲り渡そうとしたので、市民は司教を都市から追放した。この独立闘争には、1526年以来同盟関係にあったベルンとフリブールの後押しがあった。1536年以降のファレルとカルバンによる宗教改革の導入は、司教からの政治的、教会的自立を完成させる役割も負うことになった。しかし、新教派都市となったジュネーブは、スイスのカトリック諸州の強い反対でスイス連邦に加入することはできなかった。17世紀初頭サボイア家は巻き返しの奇襲に失敗して、正式に都市共和国ジュネーブの独立を認めた。ジュネーブがスイス連邦に加入したのはナポレオン体制崩壊後の1815年である。[森田安一]

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