ジョンストン(英語表記)Harry Hamilton Johnston

改訂新版 世界大百科事典 「ジョンストン」の意味・わかりやすい解説

ジョンストン
Harry Hamilton Johnston
生没年:1858-1927

イギリスのアフリカ植民地行政官で,探検家,言語学者,著述家としても有名。裕福な保険会社重役の子としてロンドンに生まれ,21歳で絵を描くためチュニスを訪れて以来,アフリカの自然と文化に興味を抱き,南アンゴラ,ザイール(現,コンゴ民主共和国),タンザニアなどを旅行した。1885年外務省に請われてニジェールデルタおよびカメルーン副領事に就任してから植民地行政官としての道を歩み,その後モザンビークマラウィウガンダなどで活動した。その限りで彼は帝国主義期イギリス政府の利害を代表する人物となったが,晩年は研究と著作の生活に戻り,《バントゥー語とセミ・バントゥー語の比較研究》や自伝,小説を含む幾多の書物を公にした。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジョンストン」の意味・わかりやすい解説

ジョンストン
Johnston, Joseph Eggleston

[生]1807.2.3. バージニア,ファームビル付近
[没]1891.3.21. ワシントンD.C.
アメリカ軍人,政治家。 1861年南部連合の連邦脱退に伴い出身地バージニアと運命をともにし,南軍に参加,シェナンドーの南軍指揮官。最初の戦闘,ブルランの戦いに勝利を得て信頼を集めた。南部連合大統領 J.デービスの作戦計画には反対であったが,その作戦に従い,62年5月フェアオークスの戦いで善戦し,重傷を負って R.リー将軍に職務を譲った。 65年3月シャーマン軍をノースカロライナで阻止しようとしたが,4月 26日ダラムステーションで降伏。戦後連邦下院議員 (1879~81) ,連邦鉄道委員 (85) をつとめた。

ジョンストン
Johnston, Albert Sidney

[生]1803.2.2. アメリカ,ケンタッキー,ワシントン
[没]1862.4.6. アメリカ,テネシー,シャイロー
アメリカ南北戦争期の軍人。ブラックホーク戦争やアメリカ=メキシコ戦争に従軍したのち,1861年南部連合の連邦脱退に伴い南軍に参加。南部連合大統領 J.デービスから西部方面軍司令官に任じられ,62年2月ナッシュビル陥落ののちミシシッピ州コリントに兵力を集中し,4月6~7日シャイローで U.グラント将軍指揮下の北軍を急襲して優勢に戦闘を展開したが,戦死した。

ジョンストン
Johnston, Sir Harry Hamilton

[生]1858.6.12. ロンドン
[没]1927.7.31. ノッティンガムシャー,ワークサップ近郊
イギリスの探検家,植民地行政官。 1882~83年ポルトガル領西アフリカからコンゴ川流域を探検,調査。 84年イギリス王立学士院のキリマンジャロ山調査隊を指揮。 85年以降外務省に入りアフリカで外交官,行政官をつとめる。アフリカについて多くの著作を発表,その他小説も執筆。

ジョンストン
Johnston, Richard Malcolm

[生]1822
[没]1898
アメリカのユーモア作家,教育者。 A.B.ロングストリート (1790~1870) の『ジョージア風景』 Georgia Scenes (35) の流れをくむユーモラスな『ジョージア・スケッチ』 Georgia Sketches (64) で記憶されている。

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百科事典マイペディア 「ジョンストン」の意味・わかりやすい解説

ジョンストン[島]【ジョンストン】

北太平洋中部,ハワイ南西約1000kmに位置する環礁にある米国領の島。周囲約25kmの礁原にジョンストン,サンドの2島がある。1807年英国人ジョンストンが到達,1858年以来米国とハワイ王国によって併合。米軍の航空基地,化学兵器の貯蔵基地。1969年7月同島南方の太平洋上にアポロ11号が着水。

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